コラム
成毛眞氏の『AI時代の子育て戦略』を読んで
成毛眞氏の『AI時代の子育て戦略』(SB新書)を読んで率直な感想を述べさせていただくことにする。特に以下の観点から主張されているところが標準的庶民感覚・一般庶民的感性、そして凡庸なる知性というものがあるならば、その常識的側面から異議を唱えたいのです。
そもそも、彼の書籍は『日本人の9割に英語はいらない』(祥伝社)などから、いつもビジネス的観点から納得、時に溜飲が下がる思いがしてきました。その鋭い省察力に感心、感服もしてきました。しかし、ことが子育てという段になると、どうも、説得力に欠ける、上から目線、自身の足元が見えていない、こうした様々な論拠の脆弱さが感じてならないのです。では、本書の問題点とやらを列挙してみたいと思います。
①子どもにゲームをやらせなさい{⇒子どもにはスポーツ選手なるように育てよ}
②子ども時代からプログラミングを学ばせなさい{⇒子ども時代から英会話を学ばせよ}
③AI時代を生き抜くためにはSTEM教育が大切{⇒理系教育が大切、当たり前}
④行く価値があるのは、資格につながる大学だけ⇒{大学はほぼ行く意味なし}
⑤大学に行かずに成功した経営者も増えている⇒{高卒で成功した経営者が増えている}
⑥政治家と学歴の関係{⇒政治家と学歴との関係を“結果論”で語っているに過ぎない}
⑦ご飯は食べなくていい{⇒嫌いな科目は、捨て科目でもいい}
※以上の{⇒・・・}の箇所は、我流に飛躍して解釈した点でもある。
以上が、一般大衆にとって、参考にすると、その後親御さんはもちろんのこと、我が子にしろ、社会的不幸のただ中に立たされる可能性が高い見識であると言わざるをえません。
①子どもにゲームをやらせなさい
これは、全てが全てのゲームソフトを肯定しているわけではなく、『ゼルダの伝説』などは絶賛してもいる。ご自身が実際にやってみて、また『日経サイエンス』の記事を引用して、ゲームが知的能力を長期的に向上させる効果があると主張されてもいます。しかしであります、世間一般の親子で、これはいいソフトだ、こればダメなソフトだ、このゲームが認知能力に結びつく、これは時間の無駄だなどなど選別してやってはいません。味噌も糞もえり分けてゲームを我が子に与えたりしてはいないし、また、成毛氏のようにゲームに親和性のある父親でもない。実際に、成毛氏は、中年ゲーマーだったとのこと。自身の正の経験を牽強付会的論調で無責任的に語っているようです。こんな意見は、参考にすらなりません。
②子ども時代からプログラミングを学ばせなさい
この意見は、ご自身の娘さんの経験によるものです。お嬢さんが小学生だった頃、近所の理系東大生(東大工学部)が、家庭教師をやらせて欲しいと言ってきたので、仕方なく、自身の娘にあてがったそうです。すると、その学生は、勉強ではなく、プログラミングとやらを個別に教えていたそうです。その後、その娘さんが、大手商社に勤めるようになり、会社内でそのスキルが大いに役立ち、同僚上司から一目置かれるようになったというエピソードを交えて、子ども時代のプログラミング教育の重要性を語っていた。これはこれで、成毛家内の成功事例であり、それもマンツーマン、おそらく出来の言い理系の東大生から、まるで音大生からピアノを教わるように、プログラミングを習っていたのでありましょう。こうした事例を、次元を変えて小学校や中学校の集団でプログラミングを推進すべし論に文科省はすり替えてもいる。これは、小学校の週数時間の英語授業で英語ができるようにはならなのと同義でもあります。やはり、自腹を切って、大枚はたいて、プログラミングがある意味、その後の人生で役に立った事例であり、一般庶民には、参考にすらならない。小学校から英会話をやってその後社会人として役に立った論と奥底では全く同じと言わざるを得ません。その過程にブラックボックス的“飛躍”があることを忘れてはいけません。
③AI時代を生き抜くためにはSTEM教育が必要
S(サイエンス)T(テクノロジー)E(エンジニアリング)M(マセマティクス)教育とは、近年中島さち子{※数学オリンピックの日本で初めての女子金メダリスト:彼女はSTEAMというアートも加えたものを推進}さんが主導して、教育熱心なご家庭、エリートの親御さんから注目の的となっている教育手法であります。これなんぞは、そもそも、高校生の段階で、数学落ちこぼれ、数学挫折組、数学嫌い派などなど、こうした部族に入ってしまう今の日本の教育システムでは、机上の空論、高嶺の花といったものと主張したい。私が、本ブログの“数学随想”で語っている問題点を解消しないかぎり、ほんの一部のエリート教育のお題目で終わってしまうものを成毛氏は主張されもいる。教育の理想論、憧れの教育論など誰でも語れる。それが、文科省の体質でもある。
④行く価値のあるのは資格につながる大学だけ
この意見もいかがなものか、成毛氏らしくなく、底の浅いものである。特に弁護士と教師を挙げておられるが、弁護士なんぞは、大学に通わなくても、独学と伊藤塾あたりに通えばなれる。また、教師になるために資格が必要、確かにそうであろうが、近い将来、教員免許状すら必要ない時代、いや、非教員採用試験ルートの時代がきてもよさそうである。そもそも大学経由で士業に就いた者に限って、その業界で生き残ってゆく野生味の知性に欠けるような気がする。この成毛氏の意見は裏を返せば、「大学に行く目的は資格を得るためだけ」とも解釈できる。どうもこの意見も承服できぬのである。この論調は、ホリエモンこと堀江貴文と近いものである。実際、成毛氏と堀江氏とは、本書の中で対談されてもいる。意見の旗色が似通ってもいる。ビジネス界の勝ち組が、新自由主義と自己責任論で、弱者や敗者のことなどお構いなく持論を好き勝手に展開し、世相を斬るのが習性らしい。
⑤大学に行かずに成功した経営者も増えている
「成功した経営者も増えている」の、その語気がいかがわしい。果たしてどれだけ、高卒で、令和の時代ビジネスで成功できましょうや?飲食業界、料理の世界やパティシエの世界、また様々なサービス業界なら多々彩々おりましょう。また、小中高とデジタルに親和性もあり、ゲームソフトやプログラミングなど、一芸に秀でた者を例に取って意見を述べているとしか考えられない。
「大学時代(モラトリアム)にやりたいこと、好きなこと、夢など見つからなかった者が、就職活動に励むのである。いわば、一般企業に就職する者は、将来のやりたいことが大学4年間で見つけられなかた部族である」という皮肉めいた言説をバブル期の私は耳にした覚えがある。それを援用させていただくと、「高校時代に将来の目標や目的、究極は夢とも言っていいのだが、それが見つからなかった者が、ひとまず、大学進学するのである」こうした中等教育の部族を前にして、このような意見は、大学に行けなかった、行く学力がなかった高校生への‘酸っぱいブドウ’の論理というものである。ビジネスのエスタブリッシュメントが商業高校や工業高校の生徒を前にして適当な講演をしているとしか思えないのである。
「最終学歴は、最初に入った会社だ」となかなか旨いことを発言されてもいる。この観点から言わせてもらえば、やはり、一応大学は言っておくべしと彼は本音では思ってもいるのと同義であります。その論点から言えば、「大学に行かずに成功した経営者も増えている」は矛盾するのであります。大学に入らず高卒で入った会社(中小企業)をどれほど早期で退職する未成年がいるか、その視点を忘れて、「大学に行かずに成功した経営者もいる」と無責任なことをぬかしておられる。それは、一部の天才や幸運な者、超努力家の種族である。
⑥政治家と学歴と関係
「まず、あれだけ長期政権を維持できる安倍総理は、頭がいいと断言できる。安倍総理は、小学校エスカレーター式に成蹊大学に進学している。つまり、大学受験を経験していないながらも、地頭がいい。」(P96)
この箇所を読んで、目を疑った、成毛氏の人間を見る洞察力というものを疑った。詳しく語れば“安倍首相論”を一本書けてしまうので、詳しくは述べないが、どうも、「成功している事例は全て正しい、儲かっているビジネスは全て正しい、長期政権の首相は正しい、即、頭がいい」このような短絡的思考の穴倉に入っている、いや、ビジネス界のエスタブリッシュメントのみが周囲にいる、その種族のみしか目に入らぬらしいが、そのためその成功事例から正解を導きだす、引き出したい論理思考を、人間にも無意識に当てはめているようである。「起きていることは全て正しい」(勝間和代)という本があったが、ビジネスにおけるへーゲリアン{※現実を超肯定する意見の持ち主}の気質大である。長期政権の遠因は、菅官房長官と麻生副総理との絶妙結束トリオ、そして祖父と父親の七光り(十七光り)、あと民主党政権の失敗策が第二次安倍内閣に追い風になったに過ぎない。決して、地頭がいいなどと言えた代物ではない。なぜならば、彼の教育政策は、全くの零点であることからしてそれが証明されてもいよう。ここでは深く踏み込まない。
⑦ご飯はたべなくてもいい{※我が子に嫌いなものは敢えて食べさせなくてもいい}
これは、食育の観点から如何なものか?中田英寿はスナック菓子ばかりを食べていたとかイチローは野菜嫌いであったとか、こうした天才アスリートの事例を挙げて、「ママ、中田やイチローってさ、スナック菓子大好きで、お野菜なんかまったく食べなかったんだって、僕もそうする!」と子どもが反発してきたら、「そうね、彼らに見習って、明日からコンビニで好きなポテトチップスやチョコを買ってきてあげるね、坊や!野菜も明日からご飯に出さないことに決めたわ!ケンちゃん!」とその母親が応じでもしたら、その子どもはどのように育つであろうか?それを是としているようである。
この食に関してだけでなく、習い事や学校の教科についても好きなことをとことんやらせて嫌いなものはやらせるなといった自由放任主義を唱えてもおられる。これは成毛氏が若かりし頃、ワーカーホリックで、家庭を顧みる時間がなかった仕事人間でありながらも成毛氏の妻が、娘さんを上手に育てれあげられて、どうも育児や教育に無関心、無頓着であったことが幸いして、このような無責任発言に帰着しているようである。仕事が順調、むしろ成功、家庭、子育ては妻が御して成功した事例を、さも自身の思い、自身の手柄、希望の投影的意見として発言されているとしか考えられない。この資質は、堀江貴文と瓜二つでもある。参考にすると、とんでもない我が子の将来を招きかねない。
最後に付け加えてもおくが、成毛氏は、自身が発達障害であることを公言してもいる。事実『発達障害は最強の武器である』という新書も出されている。
ここで言わせてもらうが、その発達障害者の世の成功者のハウツー本は、同類者、また、同世代の、社会不適応人間にはよき助言ともなろう。しかし、自身の、障害の資質をベースにして、フォーマットとして、子育て論、育児論を展開されるなどとは、自己中心的、例外の事例を普通一般の事例に当てはめようとする、時に、押し付ける“危険”な教育論ともなりかねない。事実、本書の表紙の宣伝文句に、次のように書いてかることが良識ある親御さんならば疑念を抱くことがなによりの証拠でもある。
“勉強”なんて必要ない!成毛流子育てのススメ{⇒“非学問”のススメ!?}
“食える大人”にするための成毛流子育て術を公開する。{⇒“食える大人”イコール幸福!?}
※“食える大人”にしたための成毛流子育て術を後悔する!と申し添えておこう。
そもそも、彼の書籍は『日本人の9割に英語はいらない』(祥伝社)などから、いつもビジネス的観点から納得、時に溜飲が下がる思いがしてきました。その鋭い省察力に感心、感服もしてきました。しかし、ことが子育てという段になると、どうも、説得力に欠ける、上から目線、自身の足元が見えていない、こうした様々な論拠の脆弱さが感じてならないのです。では、本書の問題点とやらを列挙してみたいと思います。
①子どもにゲームをやらせなさい{⇒子どもにはスポーツ選手なるように育てよ}
②子ども時代からプログラミングを学ばせなさい{⇒子ども時代から英会話を学ばせよ}
③AI時代を生き抜くためにはSTEM教育が大切{⇒理系教育が大切、当たり前}
④行く価値があるのは、資格につながる大学だけ⇒{大学はほぼ行く意味なし}
⑤大学に行かずに成功した経営者も増えている⇒{高卒で成功した経営者が増えている}
⑥政治家と学歴の関係{⇒政治家と学歴との関係を“結果論”で語っているに過ぎない}
⑦ご飯は食べなくていい{⇒嫌いな科目は、捨て科目でもいい}
※以上の{⇒・・・}の箇所は、我流に飛躍して解釈した点でもある。
以上が、一般大衆にとって、参考にすると、その後親御さんはもちろんのこと、我が子にしろ、社会的不幸のただ中に立たされる可能性が高い見識であると言わざるをえません。
①子どもにゲームをやらせなさい
これは、全てが全てのゲームソフトを肯定しているわけではなく、『ゼルダの伝説』などは絶賛してもいる。ご自身が実際にやってみて、また『日経サイエンス』の記事を引用して、ゲームが知的能力を長期的に向上させる効果があると主張されてもいます。しかしであります、世間一般の親子で、これはいいソフトだ、こればダメなソフトだ、このゲームが認知能力に結びつく、これは時間の無駄だなどなど選別してやってはいません。味噌も糞もえり分けてゲームを我が子に与えたりしてはいないし、また、成毛氏のようにゲームに親和性のある父親でもない。実際に、成毛氏は、中年ゲーマーだったとのこと。自身の正の経験を牽強付会的論調で無責任的に語っているようです。こんな意見は、参考にすらなりません。
②子ども時代からプログラミングを学ばせなさい
この意見は、ご自身の娘さんの経験によるものです。お嬢さんが小学生だった頃、近所の理系東大生(東大工学部)が、家庭教師をやらせて欲しいと言ってきたので、仕方なく、自身の娘にあてがったそうです。すると、その学生は、勉強ではなく、プログラミングとやらを個別に教えていたそうです。その後、その娘さんが、大手商社に勤めるようになり、会社内でそのスキルが大いに役立ち、同僚上司から一目置かれるようになったというエピソードを交えて、子ども時代のプログラミング教育の重要性を語っていた。これはこれで、成毛家内の成功事例であり、それもマンツーマン、おそらく出来の言い理系の東大生から、まるで音大生からピアノを教わるように、プログラミングを習っていたのでありましょう。こうした事例を、次元を変えて小学校や中学校の集団でプログラミングを推進すべし論に文科省はすり替えてもいる。これは、小学校の週数時間の英語授業で英語ができるようにはならなのと同義でもあります。やはり、自腹を切って、大枚はたいて、プログラミングがある意味、その後の人生で役に立った事例であり、一般庶民には、参考にすらならない。小学校から英会話をやってその後社会人として役に立った論と奥底では全く同じと言わざるを得ません。その過程にブラックボックス的“飛躍”があることを忘れてはいけません。
③AI時代を生き抜くためにはSTEM教育が必要
S(サイエンス)T(テクノロジー)E(エンジニアリング)M(マセマティクス)教育とは、近年中島さち子{※数学オリンピックの日本で初めての女子金メダリスト:彼女はSTEAMというアートも加えたものを推進}さんが主導して、教育熱心なご家庭、エリートの親御さんから注目の的となっている教育手法であります。これなんぞは、そもそも、高校生の段階で、数学落ちこぼれ、数学挫折組、数学嫌い派などなど、こうした部族に入ってしまう今の日本の教育システムでは、机上の空論、高嶺の花といったものと主張したい。私が、本ブログの“数学随想”で語っている問題点を解消しないかぎり、ほんの一部のエリート教育のお題目で終わってしまうものを成毛氏は主張されもいる。教育の理想論、憧れの教育論など誰でも語れる。それが、文科省の体質でもある。
④行く価値のあるのは資格につながる大学だけ
この意見もいかがなものか、成毛氏らしくなく、底の浅いものである。特に弁護士と教師を挙げておられるが、弁護士なんぞは、大学に通わなくても、独学と伊藤塾あたりに通えばなれる。また、教師になるために資格が必要、確かにそうであろうが、近い将来、教員免許状すら必要ない時代、いや、非教員採用試験ルートの時代がきてもよさそうである。そもそも大学経由で士業に就いた者に限って、その業界で生き残ってゆく野生味の知性に欠けるような気がする。この成毛氏の意見は裏を返せば、「大学に行く目的は資格を得るためだけ」とも解釈できる。どうもこの意見も承服できぬのである。この論調は、ホリエモンこと堀江貴文と近いものである。実際、成毛氏と堀江氏とは、本書の中で対談されてもいる。意見の旗色が似通ってもいる。ビジネス界の勝ち組が、新自由主義と自己責任論で、弱者や敗者のことなどお構いなく持論を好き勝手に展開し、世相を斬るのが習性らしい。
⑤大学に行かずに成功した経営者も増えている
「成功した経営者も増えている」の、その語気がいかがわしい。果たしてどれだけ、高卒で、令和の時代ビジネスで成功できましょうや?飲食業界、料理の世界やパティシエの世界、また様々なサービス業界なら多々彩々おりましょう。また、小中高とデジタルに親和性もあり、ゲームソフトやプログラミングなど、一芸に秀でた者を例に取って意見を述べているとしか考えられない。
「大学時代(モラトリアム)にやりたいこと、好きなこと、夢など見つからなかった者が、就職活動に励むのである。いわば、一般企業に就職する者は、将来のやりたいことが大学4年間で見つけられなかた部族である」という皮肉めいた言説をバブル期の私は耳にした覚えがある。それを援用させていただくと、「高校時代に将来の目標や目的、究極は夢とも言っていいのだが、それが見つからなかった者が、ひとまず、大学進学するのである」こうした中等教育の部族を前にして、このような意見は、大学に行けなかった、行く学力がなかった高校生への‘酸っぱいブドウ’の論理というものである。ビジネスのエスタブリッシュメントが商業高校や工業高校の生徒を前にして適当な講演をしているとしか思えないのである。
「最終学歴は、最初に入った会社だ」となかなか旨いことを発言されてもいる。この観点から言わせてもらえば、やはり、一応大学は言っておくべしと彼は本音では思ってもいるのと同義であります。その論点から言えば、「大学に行かずに成功した経営者も増えている」は矛盾するのであります。大学に入らず高卒で入った会社(中小企業)をどれほど早期で退職する未成年がいるか、その視点を忘れて、「大学に行かずに成功した経営者もいる」と無責任なことをぬかしておられる。それは、一部の天才や幸運な者、超努力家の種族である。
⑥政治家と学歴と関係
「まず、あれだけ長期政権を維持できる安倍総理は、頭がいいと断言できる。安倍総理は、小学校エスカレーター式に成蹊大学に進学している。つまり、大学受験を経験していないながらも、地頭がいい。」(P96)
この箇所を読んで、目を疑った、成毛氏の人間を見る洞察力というものを疑った。詳しく語れば“安倍首相論”を一本書けてしまうので、詳しくは述べないが、どうも、「成功している事例は全て正しい、儲かっているビジネスは全て正しい、長期政権の首相は正しい、即、頭がいい」このような短絡的思考の穴倉に入っている、いや、ビジネス界のエスタブリッシュメントのみが周囲にいる、その種族のみしか目に入らぬらしいが、そのためその成功事例から正解を導きだす、引き出したい論理思考を、人間にも無意識に当てはめているようである。「起きていることは全て正しい」(勝間和代)という本があったが、ビジネスにおけるへーゲリアン{※現実を超肯定する意見の持ち主}の気質大である。長期政権の遠因は、菅官房長官と麻生副総理との絶妙結束トリオ、そして祖父と父親の七光り(十七光り)、あと民主党政権の失敗策が第二次安倍内閣に追い風になったに過ぎない。決して、地頭がいいなどと言えた代物ではない。なぜならば、彼の教育政策は、全くの零点であることからしてそれが証明されてもいよう。ここでは深く踏み込まない。
⑦ご飯はたべなくてもいい{※我が子に嫌いなものは敢えて食べさせなくてもいい}
これは、食育の観点から如何なものか?中田英寿はスナック菓子ばかりを食べていたとかイチローは野菜嫌いであったとか、こうした天才アスリートの事例を挙げて、「ママ、中田やイチローってさ、スナック菓子大好きで、お野菜なんかまったく食べなかったんだって、僕もそうする!」と子どもが反発してきたら、「そうね、彼らに見習って、明日からコンビニで好きなポテトチップスやチョコを買ってきてあげるね、坊や!野菜も明日からご飯に出さないことに決めたわ!ケンちゃん!」とその母親が応じでもしたら、その子どもはどのように育つであろうか?それを是としているようである。
この食に関してだけでなく、習い事や学校の教科についても好きなことをとことんやらせて嫌いなものはやらせるなといった自由放任主義を唱えてもおられる。これは成毛氏が若かりし頃、ワーカーホリックで、家庭を顧みる時間がなかった仕事人間でありながらも成毛氏の妻が、娘さんを上手に育てれあげられて、どうも育児や教育に無関心、無頓着であったことが幸いして、このような無責任発言に帰着しているようである。仕事が順調、むしろ成功、家庭、子育ては妻が御して成功した事例を、さも自身の思い、自身の手柄、希望の投影的意見として発言されているとしか考えられない。この資質は、堀江貴文と瓜二つでもある。参考にすると、とんでもない我が子の将来を招きかねない。
最後に付け加えてもおくが、成毛氏は、自身が発達障害であることを公言してもいる。事実『発達障害は最強の武器である』という新書も出されている。
ここで言わせてもらうが、その発達障害者の世の成功者のハウツー本は、同類者、また、同世代の、社会不適応人間にはよき助言ともなろう。しかし、自身の、障害の資質をベースにして、フォーマットとして、子育て論、育児論を展開されるなどとは、自己中心的、例外の事例を普通一般の事例に当てはめようとする、時に、押し付ける“危険”な教育論ともなりかねない。事実、本書の表紙の宣伝文句に、次のように書いてかることが良識ある親御さんならば疑念を抱くことがなによりの証拠でもある。
“勉強”なんて必要ない!成毛流子育てのススメ{⇒“非学問”のススメ!?}
“食える大人”にするための成毛流子育て術を公開する。{⇒“食える大人”イコール幸福!?}
※“食える大人”にしたための成毛流子育て術を後悔する!と申し添えておこう。