コラム
真の個人主義の試金石は"different"にあり!
Be different.
平川唯一
「人と同じことをするな」と、NHKラジオ講座「英語会話」の講師だった唯一からよく聞かされたと、次男の冽は言う。この言葉どおり、冽自身も企業経営者にして英会話講師、ウクレレ奏者と、ユニークな人生を送る。16歳で渡米し、波乱万丈の生涯を送った父らしく、きっと、自己自身の模倣をするな、という意味も含めていたのだろう。冽の『「カムカムエヴリバディ」の平川唯一』から
折々のことば「朝日新聞」(2021・11・16)より
以上の生き方の流儀は、かのアップル社の広告コピーThink different(Steve Jobs)の会社経営方針と全く同じです。キーワードはdifferentという語に尽きます。
私の好きなフランスの格言に、cultiver la differenceというものがあります。「差異を耕せ」⇒「さらなる多様性を」くらいの意味です。個人主義の総本山でもある国民性を表してもいます。人と違っていい、人と違うのが当たり前、本来人は別個の存在だ、それを自覚させてもくれます。
下世話な例を挙げて恐縮ですが、血液型性格分析の本で、私が特に目を引いた一文を引用します。
「B型は、人と同じことを嫌う、むしろ人から違うと言われると内心うれしくなってしまう」
この指摘は、私を含め、教え子でほぼ適応します。90%以上実証済みです。
この指摘は、O型やA型の生徒に、「他人と違うのって、気分よくない?」と吐くと「嫌だ~!どこが違うの?」「うれしくない!」と返答が帰ってもきます。やはりB型特有の気質なようです。勿論、A型やO型でも人と違うことを好む気質を持つ方がいることを前提に話しているまでです。バブルの時代、アカデミックの世界ではもはや仏文科は斜陽期を迎えてもいた時機、私は、頑固に、実益性{※潰しが効くという意味で}など無視し、英文科ではなく仏文科を選択したのであります。
もう一点挙げられます。それは以下の指摘です。
「B型人間は、人から危ないとか、駄目だとか前もって指摘されても、自身では絶対にその行為・行動を改めようとしない。実際、自身が失敗やしくじって初めて、その欠点や誤りに気付く(心でやっぱりそうだったか!と後から呟く)」
まさしく、これも、教え子をフォーマットとして、ほぼ実証済みです。
この2点から、日本人のB型という種族は、もっともフランス人的資質を持ち合わせていると言いえるような気がします。いわゆる個人主義の遺伝子が一番濃厚であるということです。
ひと昔前のことです、恐らくサッカー選手の中田英寿が、まだ余力を残しながらサッカーワールドカップ後、引退し、「自分探しの旅に出る」と公言したことがありました。多分、それ以後、巷では、<自分探し>という言葉が独り歩きし、学生や社会人の間で、将来の目標や夢を描き切れない口実として、モラトリアム人間の綺麗な言葉としてもてはやされてきました。近年養老孟司氏が、この言葉を「自分探しなどしても、自分なんかどこにもいない、見つからない」と批判してもいます。ですから、愚昧なる大衆でもこの言葉は最近では用いなくなってもいる、死語の域に入っているといってもいい。
では、このdifferentという語を少々深堀させていただくことにします。
手前味噌で申し訳ありませんが、私のlife(人生・生活)のモットーは、弊著『反デジタル考』でも言及されているように、次の3語に集約されてもいます。
痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼
恐らくは、この三本柱が、半世紀以上生きてきた私の実人生の、無意識的に、羅針盤だった気がします。この入り口は、両親の離婚による、高校中退、そして中学浪人、そして理系人間から文系人間への転向、それに尽きると思います。その詳しい経緯は、この場では語りませんが、恐らく、思春期の16から17才の時期に、周りの友人とは決定的に違う経験をしたことが、その後のある意味“人生のマイペース主義”を育んでいったような気がします。これが、ある意味、「人は人、自分は自分」という個性を際立たせたのかもしれません。
さて、この三要素というものと、先天的な、異能や異才と化学反応したとき、初期の段階では、異端という烙印を押されるのが世の常でありましょうが、それが社会的に大成功を収めた時、それは栄誉、時には正統とみなされるのであります。その典型が、プロ野球選手の野茂英雄、イチロー、そして大谷翔平であります。彼らは、トルネード投法、振り子打法、そして二刀流という、ある意味、我流を貫いた異端児でもありました。これは、ミュージシャン山下達郎(※彼もB型)の弁であります。
「通俗が通俗を突き抜けてしまうと、それは古典(超一流)となってしまう」
これは、海外では、ビートルズ然り、国内では、作詞家松本隆しかり、作曲家筒美京平しかりであります。
この真理を、アスリートに援用すると、こうも言えます。
「異端、異能、異才、これを徹底して孤高を極めると、正統となってしまう」
これが、メジャーリーグで大成功を収めた以上の3選手でもあるのです。
&デカルトの「我思う故に我あり」ではありませんが、まず、「我違うと思う故に我行動する」と考えることから自身の内面に埋まっているピカリと輝く異才や異能に巡り合えるということでもあります。人と違うと諍いや軋轢など人間関係にひびが入りかねません。それ以上に、自身の流儀を優先する資質、それが、幸福なる<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>の三原則なのです。
おそらくノーベル賞を取ってもおかしくはなかったミスター半導体こと、東北大学名誉教授でもあった西澤潤一に『独創は闘いにあり』(プレジデント社)という書物があります。世の大成者は、自らの人生を独りで闘いながら創り上げてきたという謂いでもあります。その点、孤独を、孤立を、孤高をなんとも思わぬキャラそれこそが、泰然自若たる痩せ我慢でもあり、へそ曲がりでもあり、天の邪鬼でもあったと言えます。一般論的日本人気質は、これから一番遠いところにあるように見受けられます。因みに、この西澤氏の独創の定義とは、以下の言葉に集約されてもいます。
「独創とは、他者に追従することではなく、自ら未開の境地を開拓することである」
因に、野茂、イチロー、大谷はB型です。野村克也氏の書にもありますが、野球界の名選手はB型がO型に劣らぬくらい多いといいます。因に、A型とAB型は名選手では少ないそうです。野村氏もB型であり、400勝投手金田正一も、スーパースター長嶋茂雄もそうであります。日本人の血液型人口比率が、A型約40%、O型約30%、B型20%、AB型10%であることを考慮すると、驚くべき比率であることが分かるかと思われます。
デカルトも語っています。「森に迷ったら、まず、一点を決めて、その方向へ進むことだ」と、その一点に向かおうと決意させる駆動力こそ、痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼でもあるのです。それを原理原則として人生を歩むと、自身の異才や異能に遭遇する可能性も高いということです。自分は他人と違うんだ、違っていいんだ、そういうものの考え方、価値観は、何も、LGBTQの世界だけではないのです。
「君子は和すれども同ぜず。小人は同すれども和せず。」(孔子)
※1970年代に、世界の最先端を行っていた日本の半導体産業、その叡知でもあるミスター半導体こと、西澤潤一氏が、次のように語っていた予言が現実のものとなった。
「半導体産業を主導する国家が、これから日本から韓国に移り、中国を経てベトナムへ移行するであろう」
平川唯一
「人と同じことをするな」と、NHKラジオ講座「英語会話」の講師だった唯一からよく聞かされたと、次男の冽は言う。この言葉どおり、冽自身も企業経営者にして英会話講師、ウクレレ奏者と、ユニークな人生を送る。16歳で渡米し、波乱万丈の生涯を送った父らしく、きっと、自己自身の模倣をするな、という意味も含めていたのだろう。冽の『「カムカムエヴリバディ」の平川唯一』から
折々のことば「朝日新聞」(2021・11・16)より
以上の生き方の流儀は、かのアップル社の広告コピーThink different(Steve Jobs)の会社経営方針と全く同じです。キーワードはdifferentという語に尽きます。
私の好きなフランスの格言に、cultiver la differenceというものがあります。「差異を耕せ」⇒「さらなる多様性を」くらいの意味です。個人主義の総本山でもある国民性を表してもいます。人と違っていい、人と違うのが当たり前、本来人は別個の存在だ、それを自覚させてもくれます。
下世話な例を挙げて恐縮ですが、血液型性格分析の本で、私が特に目を引いた一文を引用します。
「B型は、人と同じことを嫌う、むしろ人から違うと言われると内心うれしくなってしまう」
この指摘は、私を含め、教え子でほぼ適応します。90%以上実証済みです。
この指摘は、O型やA型の生徒に、「他人と違うのって、気分よくない?」と吐くと「嫌だ~!どこが違うの?」「うれしくない!」と返答が帰ってもきます。やはりB型特有の気質なようです。勿論、A型やO型でも人と違うことを好む気質を持つ方がいることを前提に話しているまでです。バブルの時代、アカデミックの世界ではもはや仏文科は斜陽期を迎えてもいた時機、私は、頑固に、実益性{※潰しが効くという意味で}など無視し、英文科ではなく仏文科を選択したのであります。
もう一点挙げられます。それは以下の指摘です。
「B型人間は、人から危ないとか、駄目だとか前もって指摘されても、自身では絶対にその行為・行動を改めようとしない。実際、自身が失敗やしくじって初めて、その欠点や誤りに気付く(心でやっぱりそうだったか!と後から呟く)」
まさしく、これも、教え子をフォーマットとして、ほぼ実証済みです。
この2点から、日本人のB型という種族は、もっともフランス人的資質を持ち合わせていると言いえるような気がします。いわゆる個人主義の遺伝子が一番濃厚であるということです。
ひと昔前のことです、恐らくサッカー選手の中田英寿が、まだ余力を残しながらサッカーワールドカップ後、引退し、「自分探しの旅に出る」と公言したことがありました。多分、それ以後、巷では、<自分探し>という言葉が独り歩きし、学生や社会人の間で、将来の目標や夢を描き切れない口実として、モラトリアム人間の綺麗な言葉としてもてはやされてきました。近年養老孟司氏が、この言葉を「自分探しなどしても、自分なんかどこにもいない、見つからない」と批判してもいます。ですから、愚昧なる大衆でもこの言葉は最近では用いなくなってもいる、死語の域に入っているといってもいい。
では、このdifferentという語を少々深堀させていただくことにします。
手前味噌で申し訳ありませんが、私のlife(人生・生活)のモットーは、弊著『反デジタル考』でも言及されているように、次の3語に集約されてもいます。
痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼
恐らくは、この三本柱が、半世紀以上生きてきた私の実人生の、無意識的に、羅針盤だった気がします。この入り口は、両親の離婚による、高校中退、そして中学浪人、そして理系人間から文系人間への転向、それに尽きると思います。その詳しい経緯は、この場では語りませんが、恐らく、思春期の16から17才の時期に、周りの友人とは決定的に違う経験をしたことが、その後のある意味“人生のマイペース主義”を育んでいったような気がします。これが、ある意味、「人は人、自分は自分」という個性を際立たせたのかもしれません。
さて、この三要素というものと、先天的な、異能や異才と化学反応したとき、初期の段階では、異端という烙印を押されるのが世の常でありましょうが、それが社会的に大成功を収めた時、それは栄誉、時には正統とみなされるのであります。その典型が、プロ野球選手の野茂英雄、イチロー、そして大谷翔平であります。彼らは、トルネード投法、振り子打法、そして二刀流という、ある意味、我流を貫いた異端児でもありました。これは、ミュージシャン山下達郎(※彼もB型)の弁であります。
「通俗が通俗を突き抜けてしまうと、それは古典(超一流)となってしまう」
これは、海外では、ビートルズ然り、国内では、作詞家松本隆しかり、作曲家筒美京平しかりであります。
この真理を、アスリートに援用すると、こうも言えます。
「異端、異能、異才、これを徹底して孤高を極めると、正統となってしまう」
これが、メジャーリーグで大成功を収めた以上の3選手でもあるのです。
&デカルトの「我思う故に我あり」ではありませんが、まず、「我違うと思う故に我行動する」と考えることから自身の内面に埋まっているピカリと輝く異才や異能に巡り合えるということでもあります。人と違うと諍いや軋轢など人間関係にひびが入りかねません。それ以上に、自身の流儀を優先する資質、それが、幸福なる<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>の三原則なのです。
おそらくノーベル賞を取ってもおかしくはなかったミスター半導体こと、東北大学名誉教授でもあった西澤潤一に『独創は闘いにあり』(プレジデント社)という書物があります。世の大成者は、自らの人生を独りで闘いながら創り上げてきたという謂いでもあります。その点、孤独を、孤立を、孤高をなんとも思わぬキャラそれこそが、泰然自若たる痩せ我慢でもあり、へそ曲がりでもあり、天の邪鬼でもあったと言えます。一般論的日本人気質は、これから一番遠いところにあるように見受けられます。因みに、この西澤氏の独創の定義とは、以下の言葉に集約されてもいます。
「独創とは、他者に追従することではなく、自ら未開の境地を開拓することである」
因に、野茂、イチロー、大谷はB型です。野村克也氏の書にもありますが、野球界の名選手はB型がO型に劣らぬくらい多いといいます。因に、A型とAB型は名選手では少ないそうです。野村氏もB型であり、400勝投手金田正一も、スーパースター長嶋茂雄もそうであります。日本人の血液型人口比率が、A型約40%、O型約30%、B型20%、AB型10%であることを考慮すると、驚くべき比率であることが分かるかと思われます。
デカルトも語っています。「森に迷ったら、まず、一点を決めて、その方向へ進むことだ」と、その一点に向かおうと決意させる駆動力こそ、痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼でもあるのです。それを原理原則として人生を歩むと、自身の異才や異能に遭遇する可能性も高いということです。自分は他人と違うんだ、違っていいんだ、そういうものの考え方、価値観は、何も、LGBTQの世界だけではないのです。
「君子は和すれども同ぜず。小人は同すれども和せず。」(孔子)
※1970年代に、世界の最先端を行っていた日本の半導体産業、その叡知でもあるミスター半導体こと、西澤潤一氏が、次のように語っていた予言が現実のものとなった。
「半導体産業を主導する国家が、これから日本から韓国に移り、中国を経てベトナムへ移行するであろう」