コラム

NHKの"うわさの保護者会"の3テーマ

  小学校からの英語必須化アクティブ・ラーニングプログラミング教育、こういった問題が、2020年度の大学入試改革とリンクして語られてきています。その根底にあるマグマは、グローバル化・AI化・その他様々な要因です。そして、政府、文科省、財界がバックに、それが推進されようとしています。
 NHKで、うわさの保護者会という、尾木ママこと、尾木直樹氏が司会(MC)を務める番組があります。この番組で言いたいことが、一つあるのです。毎回、様々なテーマで、放送されるこの番組は、「PTAは何のため?」「どうして忘れ物するの?」「あぁ宿題!」「習い事は難しい」「わが家の食事 これでいいの!?」こうしたテーマなら、一々文句やいちゃもん等言いたくもありませんし、この場で私が敢えて取り上げる必要もありません。上記の、3つの小学校における教育改革、その番組制作の予定調和的と申しますか、結論が見え透いている結末が、ちょうど、この番組が、政府、文科省のスポークスマン的立ち位置になっていて、現場・現実を忘れさせる、一種ユートピア的世界しか、映し出していない点、これに異議申し立てたいのです。それは、文科省のきれいな理想主義と同じ肌色を感じざるをえないからでもあります。
 まずテーマが「早期化する小学校の英語教育 ウチの子大丈夫!といった、小学校の早期英語教育に関してですが、匿名の親御さんが7名番組に登場します。小学校からの英語教育に賛成か反対かをNHKの司会者が尋ねます。すると、4名は賛成、2名は反対にまわります。そこで、番組は進行します。尾木ママは、いつものオネ~言葉で「グローバル化で、英語は大切なのよ~!」と、文科省依りの発言をして、小学校の現場の先生4~5人に、その取り組みを5分前後の議論のビデオを7名の親御さんに見せます。更に、埼玉県の深谷市の小学校での英語の授業、あるモデルケース(成功している学校です)のビデオを7名に見せます。最後に、その2名の初めは反対だった母親たちも、最後は、「いいんじゃないの」と賛成に回り、大団円と相成ります
 ここでちょっと待ってくださいよと異議申し立てをしたくなるのです。そもそも、小学生に英語を現場で教えている、それもテレビで登場するくらいのレベルの、その5名ほどの教諭は、相当英語に前向き、真摯に、しかも熱心に、自身の立ち位置も認識し、おそらく、学級崩壊していない40名を前提にして、そこそこうまくいっているケースです。また、深谷市の、その小学校は、校長先生以下、教師も、また、生徒も、英語を小学校で学ぶという基本方針・考えで纏まって、成功しているケースです。こんな小学校、公立では、せいぜい1~2割程度だと推測されます。モデルや女優が身に付けて、CMで売られる服を、ネットで購入し、自身には余り似合わないと実感する、その教育ヴァージョンと同じ幻想・錯覚を、親御さんに抱かせるのです、この早期英語教育の回の番組は。
 プログラミング教育の時<回>も、その番組を見ましたが、英語同様に、小学生に英語をきちんと教えられか不安であると同様に、“現場の昭和生まれの先生がプログラミングなんか、教えられるのかしら?”と不安がる、また、その、これからの必要性に疑問を抱く番組内の母親たちに、現に、プログラミング教育を実践しているスペシャリストにご登場していただくのです。その方は、恐らくNHKの教育番組に登場するくらいですから、日本で指折りの、1、2位くらいの優秀な人物が、番組で実際にプログラミングなるものを指導・披露するわけです。もちろん、分かりやすく、相当のスキルもあり、番組の親御さんたちは、「これなら、こんなのがプログラミング教育なのか!」と納得して、みな、賛成に回るという段取りになっている。これも、文科省のスポークスマン的番組構成になっているのです。
 アクティブ・ラーニングの時も同様です。番組の親御さんたちは、その実態が判然としない。なんとなく理解不明です。生徒主体で、生徒の自主性に任せ、従来の暗記、知識型の学習ではないと耳当たりのいいことが番組内で説明されます。しかも、これからの世の中、詰め込み・一方通行的学習スタイルでは、グローバル化した社会には太刀打ちできないと、理想的、もっとも的物言いで、危機感と不安を煽るかのように、このアクティブ・ラーニングなる手法を肯定色染めてゆきます。ある海外で教育を、まさに、アクティブ・ラーニングで受けてきたという母親が、絶賛します。「私も、海外で、これで教育をアメリカで受けてきましたが、よかったです」しかし、その母親の発言を注意深く聞くと、15名前後で、休む暇もなく、発言しっぱなしの状況にあったといいます。そうです、ここの所こそが、盲点なのです。フィンランドにしろ、アメリカにしろ、そのやっているカリキュラムは、日本の40名学級の半分以下の少人数制です。この前提条件を同じにしなければ、小学校からの英語教育にしろ、プログラミング教育にしろ、当然、アクティブ・ラーニングにしろ、成功など、夢のまた夢なのです。それで成功すれば、その現場の先生のスキルが相当に高い、その先生の自己奉仕的無償残業とも言える善意、また、たまたまその学年とクラスが積極的な生徒の母集団で幸運にも恵まれた、こうした条件がそろわなければ、こうした、小学校英語、プログラミング教育、アクティブ・ラーニングなるものは実を結ばないとも断言できるのです。現場には、そんな、有能な教師など3割もいない、そんな、積極的な生徒など3割もいないといった現実主義、言い方を変えると、勉強的姿勢の“性悪説”に立たなければ、ゆとり教育の二の舞になりかねないです。
 横浜市の大岡小学校でのアクティブ・ラーニングのモデルケースを放映していましたが、植物の現場実験のようなものです。その担任の先生も相当“仕込み”をしてはいましたが、これほど熱意のある先生など、どれほどいましょうや?また、このアクティブ・ラーニングで、教室内で、ほとんど知識を教授せず、その親世代が昭和の教室で覚え習った、歴史・地理・理科また、漢字や算数の基本知識レベルには当然、ポスト平成の子供たちは、学ばない、学ぶ時間もない。それをどう担保してくれるのか?その点には、番組では言及されていません。そうした最低限度の基礎知識は、学校外、即ち、塾で身に付けるしかない。これからは、昭和時代に公立の小学校や中学校で学んだ知識は、学校外の塾で身に付けその知識の応用活用の場に、義務教育がなっていくことを、この3つの新しい教科{小学校英語教育、プログラミング教育、アクティブ・ラーニング}から炙り出されてくる現実をNHKの、文科省のスポークスマン的番組を観て、つくづく確信した次第なのです。

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