コラム
日本経済新聞の文化度というもの
《日本のジレンマ》という若手起業家・若手研究者などの論客が《朝まで生テレビ》の如く様々なテーマを議論する番組が以前ありました。今やタレント化している社会学者古市憲寿が司会のNHKの月一回の番組でした。あるIT系の、確か、若手論客が次のようなことを発言していたことが非常に印象深く残っています。
「全ての新聞で一番、素晴らしいのは日本経済新聞です。なぜならば、経済の専門紙とはいえ、一般の朝日や読売と違い、最終面(テレビ欄)を、文化欄として使用し、しかも、大手3紙と比べてみても遜色ない、いやむしろそれ以上の充実度が光ります。」
そうです。日本経済新聞は、一般紙が、テレビ欄を設けている最終面を、“私の履歴書”などの文化事項に特化し、しかも他紙を圧倒するくらい充実させている点が、秀逸なのです。その人の名前を忘れましたが、理系IT系社長だったと思いますが、なるほど鋭い指摘だと改めて気づかされた思いがあります。それをものの見事に、典型的に証明してくれたのが、2020年7月20日(月)から24日(金)まで特集した新進気鋭の一番油が乗り切っている哲学者の連載記事です。
月曜日:國分功一郎
火曜日:東浩紀
水曜日:萱野稔人
木曜日:小川仁志
金曜日:千葉雅也
彼らの経歴や書籍は敢えてここでは申し上げません。テレビや新聞などのメディアで、何かと、様々な事件や出来事、事象に関しての、色々なコメントや記事をとても目にする思想家たちでもあります。
彼らに共通するのは、フランス系思想(ドゥルーズなど)を横断してきた経歴の持ち主であり、フリーターや社会人など、人生の遠回りをしてきた履歴の持ち主でも共通するところがあります。それは、ある意味で、グローバルスタンダード、アメリカの規範という大河の岸辺に、流されずに、佇み、静かに思索を行ってきた“知性”の持ち主でもあるということです。こうした現代日本で最も活躍されている哲学者の特集、即ち《哲学者が考えていること》と、《音楽を創った絵画》という特集、更に、《私の履歴書》というお馴染みの名物欄で最終面を占めています。日本のクオリティーペーパーと呼んでも一番差支えない一般紙であることの証明でもあります。あくまでも私の基準でのことですが、最も質の高い新聞とは、文化欄と教育欄の充実度にそのメルクマールがあるといえます。
もう一つ、この日本経済新聞がクオリティーペーパーと呼べる所以は、教育欄が、朝日・読売、そして毎日に比べ、各段に充実していて、質の高さで優っているといった点が挙げられます。
月曜日は、高校から大学を照射した観点の記事が秀逸です。高校の先生や校長あたりが、高等教育の現状や入試の動向など知るには貴重な情報や意見が毎週掲載されますし、水曜日は、大学から企業を視野に入れた、就職活動をしている学生の海図のような記事を掲載しています。大学生などが、自らが学んでいる大学の立ち位置の確認、そして、これから進む企業社会というものを覗ける記事が毎週のように載ります。このように、月曜日と水曜日に、中等教育から高等教育への道標、そして、高等教育から実社会への指針、これほど教育に関して毎週情報提供してくれる新聞は他にはありません。特に、月曜日、池上彰氏の《大岡山通信》という東工大の講義をもとに書いているコラムなど高校生にはとても勉強になるものが非常に多い。
表面は経済の専門誌でありながらも、実は、それとは裏腹に、文化・教育に関する記事が充実しているというのが、日本経済新聞の知る人ぞ知る特性でもあるのです。これは、テレビの夜のニュース番組《ワールドビジネスサテライト》(テレビ東京)にも該当します。そこから企画出版された書籍『スミスの本棚』などその典型です。ある洋食屋さん、蕎麦屋さんのサイドメニューや裏メニューなどが、超うまい名店であるのと似たような側面があるやしれません。
実は、これは、日経新聞や飲食店だけにいえることではなく、教師やサラリーマンにも該当することではないかと思うのです。
英語の教師であっても、日本史の教師以上に、歴史に造詣が深い、また古今東西の古典や教養をたしなんでいる。いや、学問を俯瞰できる目線を持つ、また、知の大局観的視野を有する学者といっていいかもしれません。英文科系の学者などを例に挙げれば、保守派の論客でもある渡部昇一・竹村健一や『思考の整理学』で一躍有名になった外山滋比古、さらにまた、怪物的知の巨人井筒俊彦に薫陶をうけた鈴木孝夫のように。それに対して、大学共通テスト(新テスト)の英語民間試験導入の諮問委員会で“暗躍”した、上智大学出の吉田研一や東進ハイスクールの安河内哲也などは英語学科出身で、我流の一般論として申しあげれば、知性に欠けるのです。また、フランス語や哲学を大学で専攻しても、英文科出の英語教師よりも、英語の本質がわかり、教え方がうまい講師が陰ながら多いのも事実です。
TOEICを何回、何十回も満点取ったとか、それを売りに自身の書籍や大手の予備校の英語講座で稼ごうと考えている安直な講師が多いのが教育産業の一潮流でもあります。出版社もそれに便乗しようとします。東大生に勉強のハウツー本を書かせたり、お笑いタレントに人生処世術の本を出させたりする商魂と同じものを感じます。世には様々な英語の資格を有する英語講師(TハイスクールのY講師など)がいますが、そういう人に限り、日本語というものに疎い、言語や文化、時に教養に欠ける講師が目に付きます。
最後に、別に彼を評価しているわけではありませんが、申し添えておきます。
日経新聞のみならず、著名な知識人や、売れっ子予備校講師など、その看板以外のフィールドで、他の土俵で、どれだけ活躍できるか、それは、あの林修氏を観れば歴然とするでしょう。恐らく、彼は、現代文以外も、歴史や経済など高校生程度を相手にすれば、魅了する講義ができるような気がしますが、如何なものでありましょう?ひょっとしたら、大学受験レベルの英語だったら、半年くらい猛勉強すれば、発音は別として大手の予備校でも教鞭がとれるのではないかと思っているくらいであります。
「はしごの頂上に登る勇気は貴い。更にそこから降りて来てきて、再び登り返す勇気を持つのは更に貴い。」(速水御舟)
「全ての新聞で一番、素晴らしいのは日本経済新聞です。なぜならば、経済の専門紙とはいえ、一般の朝日や読売と違い、最終面(テレビ欄)を、文化欄として使用し、しかも、大手3紙と比べてみても遜色ない、いやむしろそれ以上の充実度が光ります。」
そうです。日本経済新聞は、一般紙が、テレビ欄を設けている最終面を、“私の履歴書”などの文化事項に特化し、しかも他紙を圧倒するくらい充実させている点が、秀逸なのです。その人の名前を忘れましたが、理系IT系社長だったと思いますが、なるほど鋭い指摘だと改めて気づかされた思いがあります。それをものの見事に、典型的に証明してくれたのが、2020年7月20日(月)から24日(金)まで特集した新進気鋭の一番油が乗り切っている哲学者の連載記事です。
月曜日:國分功一郎
火曜日:東浩紀
水曜日:萱野稔人
木曜日:小川仁志
金曜日:千葉雅也
彼らの経歴や書籍は敢えてここでは申し上げません。テレビや新聞などのメディアで、何かと、様々な事件や出来事、事象に関しての、色々なコメントや記事をとても目にする思想家たちでもあります。
彼らに共通するのは、フランス系思想(ドゥルーズなど)を横断してきた経歴の持ち主であり、フリーターや社会人など、人生の遠回りをしてきた履歴の持ち主でも共通するところがあります。それは、ある意味で、グローバルスタンダード、アメリカの規範という大河の岸辺に、流されずに、佇み、静かに思索を行ってきた“知性”の持ち主でもあるということです。こうした現代日本で最も活躍されている哲学者の特集、即ち《哲学者が考えていること》と、《音楽を創った絵画》という特集、更に、《私の履歴書》というお馴染みの名物欄で最終面を占めています。日本のクオリティーペーパーと呼んでも一番差支えない一般紙であることの証明でもあります。あくまでも私の基準でのことですが、最も質の高い新聞とは、文化欄と教育欄の充実度にそのメルクマールがあるといえます。
もう一つ、この日本経済新聞がクオリティーペーパーと呼べる所以は、教育欄が、朝日・読売、そして毎日に比べ、各段に充実していて、質の高さで優っているといった点が挙げられます。
月曜日は、高校から大学を照射した観点の記事が秀逸です。高校の先生や校長あたりが、高等教育の現状や入試の動向など知るには貴重な情報や意見が毎週掲載されますし、水曜日は、大学から企業を視野に入れた、就職活動をしている学生の海図のような記事を掲載しています。大学生などが、自らが学んでいる大学の立ち位置の確認、そして、これから進む企業社会というものを覗ける記事が毎週のように載ります。このように、月曜日と水曜日に、中等教育から高等教育への道標、そして、高等教育から実社会への指針、これほど教育に関して毎週情報提供してくれる新聞は他にはありません。特に、月曜日、池上彰氏の《大岡山通信》という東工大の講義をもとに書いているコラムなど高校生にはとても勉強になるものが非常に多い。
表面は経済の専門誌でありながらも、実は、それとは裏腹に、文化・教育に関する記事が充実しているというのが、日本経済新聞の知る人ぞ知る特性でもあるのです。これは、テレビの夜のニュース番組《ワールドビジネスサテライト》(テレビ東京)にも該当します。そこから企画出版された書籍『スミスの本棚』などその典型です。ある洋食屋さん、蕎麦屋さんのサイドメニューや裏メニューなどが、超うまい名店であるのと似たような側面があるやしれません。
実は、これは、日経新聞や飲食店だけにいえることではなく、教師やサラリーマンにも該当することではないかと思うのです。
英語の教師であっても、日本史の教師以上に、歴史に造詣が深い、また古今東西の古典や教養をたしなんでいる。いや、学問を俯瞰できる目線を持つ、また、知の大局観的視野を有する学者といっていいかもしれません。英文科系の学者などを例に挙げれば、保守派の論客でもある渡部昇一・竹村健一や『思考の整理学』で一躍有名になった外山滋比古、さらにまた、怪物的知の巨人井筒俊彦に薫陶をうけた鈴木孝夫のように。それに対して、大学共通テスト(新テスト)の英語民間試験導入の諮問委員会で“暗躍”した、上智大学出の吉田研一や東進ハイスクールの安河内哲也などは英語学科出身で、我流の一般論として申しあげれば、知性に欠けるのです。また、フランス語や哲学を大学で専攻しても、英文科出の英語教師よりも、英語の本質がわかり、教え方がうまい講師が陰ながら多いのも事実です。
TOEICを何回、何十回も満点取ったとか、それを売りに自身の書籍や大手の予備校の英語講座で稼ごうと考えている安直な講師が多いのが教育産業の一潮流でもあります。出版社もそれに便乗しようとします。東大生に勉強のハウツー本を書かせたり、お笑いタレントに人生処世術の本を出させたりする商魂と同じものを感じます。世には様々な英語の資格を有する英語講師(TハイスクールのY講師など)がいますが、そういう人に限り、日本語というものに疎い、言語や文化、時に教養に欠ける講師が目に付きます。
最後に、別に彼を評価しているわけではありませんが、申し添えておきます。
日経新聞のみならず、著名な知識人や、売れっ子予備校講師など、その看板以外のフィールドで、他の土俵で、どれだけ活躍できるか、それは、あの林修氏を観れば歴然とするでしょう。恐らく、彼は、現代文以外も、歴史や経済など高校生程度を相手にすれば、魅了する講義ができるような気がしますが、如何なものでありましょう?ひょっとしたら、大学受験レベルの英語だったら、半年くらい猛勉強すれば、発音は別として大手の予備校でも教鞭がとれるのではないかと思っているくらいであります。
「はしごの頂上に登る勇気は貴い。更にそこから降りて来てきて、再び登り返す勇気を持つのは更に貴い。」(速水御舟)