コラム

白井聡の"ユーミン発言"について

 先日、白井聡という政治学者がユーミンこと、松任谷由実に“才能への仁義に欠く”発言をし、相当なネットバッシングをうけ、その発言を撤回したことが記憶に新しい。その微熱が覚めやまぬうちに一言、思想・信条と知性という関係に浅学ながら言及しておきたい。
 
 「思想・信条を越えた友情」という言い方を昔はよく耳にした方もおられよう。また、「不寛容に対して、寛容であるべきか?」といった問いもよく倫理哲学で問題にされる。日韓関係や日中関係などの政治問題が、その最たるものである。
 リベラルという言葉をこの場では、曖昧となるので、敢えて使わず、左と右と白黒はっきりさせて申し上げるとしよう。
 
 右系の人間は、まず情、即ち、人間という生き物を前提に論を立てる。それに対して、左系の人間は、知(知性ではない)を前提に、論を組みたてる。それは、自然言語とC言語ほどの違いが論拠の段階で生じてくるのである。
 
 小林秀雄と正宗白鳥との間で、トルストイの死をめぐる「思想と実生活」という論争がかつてあった。小林は思想と実生活は別物である。正宗は同じであると主張した。詳しく知りたい方は、ネットなどで検索してその内情を知って欲しい。この場では割愛させていただく。
 このテーマは、芸術と実生活のレベルにも敷衍して言えることである。その人間の作品、その人間の思想、これらとその人間個人そのものは別物であるという小林的観点からこの白井聡を俎上にあげたいのである。
 
 個人的な思い出、記憶をもとに率直に申し上げる。
 かつて朝日ジャーナル編集長からTBSのニュース23の司会者で活躍された筑紫哲也というジャーナリストがいた。彼の新聞・雑誌での発言やテレビ番組でのコメントなどにいつも違和感や反感を覚えたものである。しかし、決して、彼を嫌うとか、反発するとか、さらに生理的拒否感にまでは至らなかった思いがある。それは、どうも、彼の音楽・映画・芸能などの知的フィールドの広さ、また、見識へのリスペクトがあったからではないかと思う。彼とも親交のあった音楽家坂本龍一が、かつて、「僕は、日本人ではなく地球人である」と発言していたが、その時も「なんだ、こいつ、何言ってんの?」とその場では違和感を感じながらも、さらに反感にまでいったが、反発し嫌いになることはなかった記憶がある。自身の筑紫や坂本への異議申し立てが、反感や嫌悪、ときには、敵意にはいたらなかったのは、彼らの信条を取り巻く知性や教養へのリスペクトがあったからでもある。
 大江健三郎が、ユートピア的理想論を掲げて、文化勲章は辞退したが、ノーベル賞はちゃっかりもらう“権威主義的”心根も、坂本龍一的信条と似たものがある。大江の左寄りの思想というものを、もし、文学的実績や障害児の大江光を育てた“人道家的教育者(親)”の側面を取っ払ったら、ユートピア的理想論の“狂人”と烙印を押されかねない脆弱な論拠の社会運動家に成り下がってしまうことだろう。その危うさを江藤淳は「才能が資質を食いつぶす」と評したことがある。それほど、彼は、ヒューマニスト思想家渡辺一夫の鬼っ子でもあった。
 私が高校生だった頃、ドラマ‘飛び出せ青春’の主題歌“太陽がくれた季節”や由紀さおりの“夜明けのスキャット”や坂本九の“見上げてごらん夜の星を”、さらに国民歌ともいえる“手のひらを太陽に”など名曲の数々を作曲したいずみたくが共産党シンパであったことを知っても、別に、彼の作品はもちろん、彼という人間も嫌いになどならなかった。大学生の頃、劇作家井上ひさしが共産党支持者であったことを知っても、一向に彼の文学的資質に対するリスペクトの念は薄れなかった。
 それでは、左系の人間はどうであろうか?思想・信条が異なる、たもとを分かつ段ともなると、同志・仲間には非常に冷淡なのである。これが、ものの見事に馬脚を現したのが先般の白井聡のユーミン発言でもある。<芸術と実生活を一致させたがる気質>が左翼には多いのである。
 
 これは昔のエピードで、今や左系の人間の気質が戦前の日本人と変質しているかもしれないが、敢えて語るとしよう。
 
 もと共産党員でプロレタリア活動をしていた作家林房雄が、治安維持法で豊多摩刑務所に収監されていた頃である。刑務所内で転向し、出獄する時になって刑務所には、元の共産党員は誰一人迎えには来なかったそうである。ただ一人、彼を刑務所へ迎えに行った人が、あの小林秀雄であった。
 このエピソードから、左系の人間の冷たさ・冷酷さ、それをまざまざと感じた思いがある。余談ながら、あのノーベル文学賞受賞者の大江健三郎は、思想・信条が違う作家には、たとえ才能が漲っている新人作家にしても、とても冷淡であると聞き覚えがある。大学時代に、サルトルがどうも好きにはなれなかったが、カミュに惹かれたのは、どうも人間の本質を“知”で観るか、“情”で観るか、その違いも一つの理由であった。
 
 この白井聡という人間は、レーニンの研究者であるそうだが、政治馬鹿、政治しかやってこなかった学者、知のあそびがない、知の余裕がない、その<知のあそび>こそ人間への寛容さの淵源なのである。論理亡者の学者、信条居士学者、そうした最たるものが彼でもある。彼の書籍を数冊読んだが、理想的観点から現状を小ばかに、揶揄し、批判しているだけである。確かに、状況への分析能力といった知性は、“マルクス”ばりのものを感じるが、ただそれだけである。「それなら、あなたなら、日本の現状を政治家的立場、実践者であればどう対処、改革するかね?」と問い質してもみたくなる言説である。その処方箋は一切語っていない。いや、語れないのである。昔社会党委員長石橋政嗣が主張した『非武装中立論』と根底でつながっている意見でしかないのが特徴である。知だけをひけらかした、上から目線で日米の状況を<知的理想論>で批判している書、それが『国体論 菊と星条旗』でもある。
 
 白井が若かりし頃、荒井由実の曲は好きだったが、ユーミンになってからダメだしをする芸術的感性、それを疑いたくなる。「荒井由実で夭折していればよかった」だと?彼は、芸術を実生活にどうも結びつけたいらしい左翼の典型的人間でもあるようだ。
 恐らく、彼は、ユーミンの旦那松任谷正隆の祖父が戦前の右翼の巨頭頭山満であることにまず我慢がならないのであろう。そして、また、右派首相で同年齢の安倍晋三ともプライベートで親交があることに、さらに、“頭にキノコ、足にタケノコ(怒髪天をつく怒りの表現)”状態で、分別を忘れ、理性を失い、左翼ばりの冷淡な論理のおもむくままに、つい口を滑らせ、墓穴を掘った感が否めない。
 フランスの格言に、「十代で社会主義に染まらぬ者は薄情だ。しかし、二十歳過ぎても社会主義に染まって奴は馬鹿だ」というものがあるが、彼は確かに頭がいいかもしれないが、頭がいいことと、社会科学以外のジャンルで“人を納得させる柔らかい知性”を持ち合わせていること別物であることを彼から学ぼうではないか。
 
 最後に、この白井発言を援用すると、「あの三島由紀夫は、盾の会を発足させる以前の、政治活動、政治的発言などする以前の、マッチョ姿の“近代ゴリラ”以前の、青白き文壇の秀才で終わるべきだった」と言うに等しい発言となることを主張しておきたい。
 
 生前の三島の行為・行動を、知性なき者は、右翼と断じた知性あるものは、伝統主義と認識した知性ある左派の人間は、究極の保守と烙印を押した。あの堤清二が、蔭で盾の会を支えてもいたことがその何よりの証拠である。知性なき左翼は、彼を狂人と切り捨てた。しかし、知性ある左系の人間たちでも、彼を一思想家として危険文化人として“リスペクト”してもいた。それを受けて、「思想家が危険というレッテルを張られることほど名誉なことはない!」と皮肉交じりに、ニヒルに返す刀で左派に応戦してもいる。彼の小説や戯曲などが、左派の連中をそうさせたのだ。今でも、三輪明宏が、三島由紀夫や寺山修司を“悪く”語らない所以は、知的マナーをわきまえてもいるからだ。これこそ“才能への仁義”というものである。
 
 あの白井聡は、知的マナーが欠落した、欠陥左翼人間といわざるをえない。
 
 小説も読まない。音楽も聴かない。演劇や映画も観ない。趣味がなく、受験勉強オンリーで東大文学部に進んだ、受験秀才が、この<白井聡という人間の正体>でもある。

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