コラム
松浦勝人:浜崎あゆみ=坪田信貴:ビリギャル!?
今週の『Friday』(2月19日号)のある記事に目が留まった。
この記事の内容を読んで、坪田信貴がひらめいた、いわゆる、ビリギャルの先生で、今や坪田塾を全国展開している‘起業家’である。最近では、吉本興業の社外取締役をも務められているようである。また、本業よりも、新人育成などの講演活動が主な仕事の軸足になっているとも聞いている。
エイベックス会長松浦勝人も一代で、音楽業界の雄にのし上がった人物である。この坪田先生とビリギャル、松浦会長と浜崎あゆみの関係がダブって見えてきてしまう。後者の関係は、去年(2020年)テレビ朝日系で、小松成美の小説『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)のドラマ化で話題となった。
今や坪田塾は、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)からその映画に至るまで、その影響力で、坪田塾には、‘私もビリギャルになれるかも’の幻想がビジネス展開の推進力ともなり教室数が増えている模様である。
エイベックスも、松浦社長と浜崎あゆみや倖田來未との関係に、「私もスターに!」と夢見る少女をビジネス対象としてスクールビジネス化したことが、この会社の第三、第四のスターが生まれぬ淵源ともなったらしい。本来の目的、新人発掘育成から、歌手やダンサーを夢見る少女をビジネス対象にしたことである。これは、近年の吉本興業と吉本NSCとの関係にも言えることである。このNSCとM1グランプリの関係は、某出版社と芥川賞の関係に似て非ではないように思える。
さて本題に入るとしよう。ここで、指導者と教え子との関係は、本来では、なかなか部外者にはうかがい知れない領域、いわば、‘伝授・教授・育成’という“暗黙知”の世界である。その秘められた世界は、外部者には、様々な色彩をもって見つめられる。理想的な目線(バラ色)もあれば、現実的な目線(青色・灰色)もある。
多くの浅慮、短慮の受験生親子は、この<ビリギャルと坪田先生>に自身を準えて、「私も!」と幻想に近い夢をみる。奇跡に映るがゆえに、書籍化されヒットし、映画にもなった。<人生とは見た目以上に劇的なものではない>という庶民の良識を持ち合わせていれば、こんなに書籍もバカ売れせず、また、映画もヒットしなかったはずである。ここに近年、様々なハウツー本がヒットする<出版社のヒント>(金脈)がある。コラムニスト小田島隆の言葉、SNSによる‘イワシの群れ現象’である。
一方、林修氏の弁である。「あんな例(ビリギャルの成功)は、受験業界にいて、当たり前で、別に驚くほどのことでもない」そう思っておられる教育関係者も多いのも事実である。
物事は、観方で、両面から言える。
物事には、奇跡の化学反応現象といったものがある。これを、ビリギャルに適用すれば、あのさやかという少女の気質、単細胞で負けず嫌いで、努力する根性があった。これは必須の条件である。さらに、サクセス、成り上がり、そのためには、強烈なコンプレックスが必要である。コンプレックの強い人間ほどプライドが高いともいう。その負の力が、まるで、遊園地のバイキングという乗り物のように、揺り返しが強い、その反動で成功もする。ジャンパーは大きく踏み込めば踏み込むほど高く飛べる理屈に似たものがある。この負のバネは、矢沢永吉にしろ、ニトリの社長似鳥昭雄にしろ、その典型である。一般人は、彼らほどコンプレックがない。中途半端なコンプレックスである。ビリギャルにはその素地があっただけの話である。また、その母親ああちゃんの、娘への周囲にはバカ親とも映る愛情、そして、ヴェテラン講師坪田先生、この三者の組み合わせがなければ、あの物語は成立しなかったのである。競馬で例えれば、GⅠ(早慶以上東大以下の大学)レースで勝利する馬は、厩務員(親)、調教師(親or教師or塾講師)、ジョッキー(教師or塾講師)この三者の連携が見事に花開けば、本来駄馬であっても、億単位で落札された血統のいい名馬に勝てるということでもある。
世の‘お目出度い’親御さんは、この競馬でいう、我が子を名ジョッキー(武豊など)に乗せれば、GⅠ(何々賞からダービーに至るまで)レースで勝利できるものと思い込んでいる節がある。これは、有名予備校に通えば、合格できる、有名参考書を使えば、実力がつくなどと短絡的に考えている受験生にも該当することである。
ただはっきり言えることは、世の人が、驚く、あこがれる、感動する“師弟関係”は、二度とは訪れないという真実である。それを忘れさせる狡猾さが、坪田信貴の言説にはぷんぷんと臭ってくる。
坪田氏の『才能の正体』(幻冬舎){※またも幻冬舎か!}という本を読んでみたが、ビジネスハウツー本を、心理学的に、受験生向けに‘翻訳’しなおした類の本である。はっきり言ってしまうが、この本は、野村克也氏の出されている本を数十冊読みこんでいる私としては、その内容が、すべてこの名伯楽の言説に包含されてしまうものであるということである。いわば、すでに野村の言説の焼き増し、祖述に過ぎぬというのが正直な感想である。また、青山学院の原晋監督ならば、「ほとんどが百も承知のことですね」と苦笑するであろうことばかりである。
王貞治と荒川博、瀬古利彦と中村清、高橋尚子と小出義雄、北島康介と平井伯昌などなどである。シンボリルドルフと岡部幸雄{※名馬が騎手を育てた典型}……。
名監督であった野村克也でも、育成した名捕手は、ヤクルト時代の古田敦也だけであった。阪神時代は、じゃじゃ馬新庄剛志を、そこそこあのレベルにまで育て上げた。楽天時代は、マー君こと田中将大の資質を殺さなかっただけでも成功である。実質、古田だけである、育てた上げた教え子と言えるのは。長嶋監督でさえ、松井秀喜一人だけである、本当に育て上げたと言える選手は。
松浦勝人とて同じである。浜崎あゆみだけである、真に手塩に掛けたアーティストは。坪井信貴とビリギャルのさやかの“成功体験”も二度とは‘奇跡’は起きない事例である。しかし、「私こそは、二度目のビリギャルに!」と夢をみて、坪田塾に入塾するのは、日露戦争の勝利を再びと、昭和の時代、巨大妄想を抱きアメリカに開戦した帝国陸軍(坪田シンパの受験生)の資質とダブって見えてきてしまうのである。
エイベックスがアーティストを育てられなくなったワケ
~本社ビルを700億円で売却、新人育成スクールも4月末で移転~
~本社ビルを700億円で売却、新人育成スクールも4月末で移転~
この記事の内容を読んで、坪田信貴がひらめいた、いわゆる、ビリギャルの先生で、今や坪田塾を全国展開している‘起業家’である。最近では、吉本興業の社外取締役をも務められているようである。また、本業よりも、新人育成などの講演活動が主な仕事の軸足になっているとも聞いている。
エイベックス会長松浦勝人も一代で、音楽業界の雄にのし上がった人物である。この坪田先生とビリギャル、松浦会長と浜崎あゆみの関係がダブって見えてきてしまう。後者の関係は、去年(2020年)テレビ朝日系で、小松成美の小説『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)のドラマ化で話題となった。
今や坪田塾は、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)からその映画に至るまで、その影響力で、坪田塾には、‘私もビリギャルになれるかも’の幻想がビジネス展開の推進力ともなり教室数が増えている模様である。
エイベックスも、松浦社長と浜崎あゆみや倖田來未との関係に、「私もスターに!」と夢見る少女をビジネス対象としてスクールビジネス化したことが、この会社の第三、第四のスターが生まれぬ淵源ともなったらしい。本来の目的、新人発掘育成から、歌手やダンサーを夢見る少女をビジネス対象にしたことである。これは、近年の吉本興業と吉本NSCとの関係にも言えることである。このNSCとM1グランプリの関係は、某出版社と芥川賞の関係に似て非ではないように思える。
さて本題に入るとしよう。ここで、指導者と教え子との関係は、本来では、なかなか部外者にはうかがい知れない領域、いわば、‘伝授・教授・育成’という“暗黙知”の世界である。その秘められた世界は、外部者には、様々な色彩をもって見つめられる。理想的な目線(バラ色)もあれば、現実的な目線(青色・灰色)もある。
多くの浅慮、短慮の受験生親子は、この<ビリギャルと坪田先生>に自身を準えて、「私も!」と幻想に近い夢をみる。奇跡に映るがゆえに、書籍化されヒットし、映画にもなった。<人生とは見た目以上に劇的なものではない>という庶民の良識を持ち合わせていれば、こんなに書籍もバカ売れせず、また、映画もヒットしなかったはずである。ここに近年、様々なハウツー本がヒットする<出版社のヒント>(金脈)がある。コラムニスト小田島隆の言葉、SNSによる‘イワシの群れ現象’である。
一方、林修氏の弁である。「あんな例(ビリギャルの成功)は、受験業界にいて、当たり前で、別に驚くほどのことでもない」そう思っておられる教育関係者も多いのも事実である。
物事は、観方で、両面から言える。
物事には、奇跡の化学反応現象といったものがある。これを、ビリギャルに適用すれば、あのさやかという少女の気質、単細胞で負けず嫌いで、努力する根性があった。これは必須の条件である。さらに、サクセス、成り上がり、そのためには、強烈なコンプレックスが必要である。コンプレックの強い人間ほどプライドが高いともいう。その負の力が、まるで、遊園地のバイキングという乗り物のように、揺り返しが強い、その反動で成功もする。ジャンパーは大きく踏み込めば踏み込むほど高く飛べる理屈に似たものがある。この負のバネは、矢沢永吉にしろ、ニトリの社長似鳥昭雄にしろ、その典型である。一般人は、彼らほどコンプレックがない。中途半端なコンプレックスである。ビリギャルにはその素地があっただけの話である。また、その母親ああちゃんの、娘への周囲にはバカ親とも映る愛情、そして、ヴェテラン講師坪田先生、この三者の組み合わせがなければ、あの物語は成立しなかったのである。競馬で例えれば、GⅠ(早慶以上東大以下の大学)レースで勝利する馬は、厩務員(親)、調教師(親or教師or塾講師)、ジョッキー(教師or塾講師)この三者の連携が見事に花開けば、本来駄馬であっても、億単位で落札された血統のいい名馬に勝てるということでもある。
世の‘お目出度い’親御さんは、この競馬でいう、我が子を名ジョッキー(武豊など)に乗せれば、GⅠ(何々賞からダービーに至るまで)レースで勝利できるものと思い込んでいる節がある。これは、有名予備校に通えば、合格できる、有名参考書を使えば、実力がつくなどと短絡的に考えている受験生にも該当することである。
ただはっきり言えることは、世の人が、驚く、あこがれる、感動する“師弟関係”は、二度とは訪れないという真実である。それを忘れさせる狡猾さが、坪田信貴の言説にはぷんぷんと臭ってくる。
坪田氏の『才能の正体』(幻冬舎){※またも幻冬舎か!}という本を読んでみたが、ビジネスハウツー本を、心理学的に、受験生向けに‘翻訳’しなおした類の本である。はっきり言ってしまうが、この本は、野村克也氏の出されている本を数十冊読みこんでいる私としては、その内容が、すべてこの名伯楽の言説に包含されてしまうものであるということである。いわば、すでに野村の言説の焼き増し、祖述に過ぎぬというのが正直な感想である。また、青山学院の原晋監督ならば、「ほとんどが百も承知のことですね」と苦笑するであろうことばかりである。
王貞治と荒川博、瀬古利彦と中村清、高橋尚子と小出義雄、北島康介と平井伯昌などなどである。シンボリルドルフと岡部幸雄{※名馬が騎手を育てた典型}……。
名監督であった野村克也でも、育成した名捕手は、ヤクルト時代の古田敦也だけであった。阪神時代は、じゃじゃ馬新庄剛志を、そこそこあのレベルにまで育て上げた。楽天時代は、マー君こと田中将大の資質を殺さなかっただけでも成功である。実質、古田だけである、育てた上げた教え子と言えるのは。長嶋監督でさえ、松井秀喜一人だけである、本当に育て上げたと言える選手は。
松浦勝人とて同じである。浜崎あゆみだけである、真に手塩に掛けたアーティストは。坪井信貴とビリギャルのさやかの“成功体験”も二度とは‘奇跡’は起きない事例である。しかし、「私こそは、二度目のビリギャルに!」と夢をみて、坪田塾に入塾するのは、日露戦争の勝利を再びと、昭和の時代、巨大妄想を抱きアメリカに開戦した帝国陸軍(坪田シンパの受験生)の資質とダブって見えてきてしまうのである。