コラム
数学は情緒である。国語が数学を育む。
同じ現代文の参考書を使って国語が伸びる人、青チャートを使っても挫折する人、一問一答集と山川の教科書だけで、東大の二次の日本史論述が書ける人、こうした格差、学力の開きというものの淵源をどこに探るべきなのか、超進学校だ、地頭がいい、集中力がある、努力家だ、勉強の仕方だ、などなど様々な要因が指摘されよう。しかし、この学習上の<暗黙知>の世界を私なりに考えてみた、その私見を述べてみたい。
タレント予備校講師である林修氏は、日ごろ様々な番組で語られてもいる自説というものがある。それは、「全ての科目で一番大切なのは、数学だ。数学こそ論理を学べる恰好の教材だからだ!物事の筋道はすべて数学の考えに帰着する!」というものである。現役で東大文Ⅰに進んだ受験の勝ち組らしい発言である。東進ハイスクールの初年度、数学講師として採用された自負と劣等感が感じられる。この劣等感とは、その次の年(一年数学講師をして次の年)から「数学を教える長期戦ともなれば、自分は理系の猛者に負ける、だったらニッチで、自身でも貯金のある科目、現代文に鞍替えした方が予備校界で生き延びられる!」と覚醒したとも語っている。その経歴がそれを証明している。やはり、文系の勝利者(国立文系の最高峰に進学)でも、数学が得意でも、大学受験までの力量では、家庭教師に毛が生えたくらいで、大手の予備校では到底沈んでゆく、理系秀才は教えられない敗北感を予見したか、その暗い前途を思い描いたに違いない。
実は、ここに秀才林修氏の自身の資質への死角というものがある。自身の科目への気質を陶冶した背景というものが分かっていないようなのである。彼自身も何気なく吐いてもいる、自身の読書体験というものである。彼は、小学生時代(4~5年生くらいまでに)に日本画家の祖父の書庫にあった日本文学大全集を読破していたという点である。だから、6年生から始めた中学受験勉強がたった1年で、愛知県ナンバーワンの進学校東海中学に合格したと思われるのである。これは、読書体験のたまもの、その読書量が、左脳か右脳かは知らないが、その脳髄を耕していたことははっきりといえるのである。その後、その読書経験が、自身に「自らの得意分野はこれだ!」と悟らせ、数学講師から現代文講師へと変貌を見事にとげさせたのである。親の恩、子知らずではないが、<読書の恩、国語猛者・数学勝利者知らず>といったところだろうか。こうした我を見つめる目線、それに欠ける性格が、林修氏の弱点の一つでもあり、彼自身自虐的に発言する言葉「私は友人がほとんどいない」の要因にもなっているような気がする。傍から見ると嫌みったらしく映る面でもある。
この林修氏が主張する「一番大切な科目は数学だ!」とやらを真っ向から否定する言説がある。それは、天才数学者である岡潔によるものである。
「数学は情緒である」
この言葉も、数学がそこそこ得意な受験秀才から数学が苦手な凡庸なる高校生くらいには<禅問答>の如くに響くことであろう。当然である。やはり、天才数学者の発言であるがゆえ、数学とは疎遠なる学生・社会人には、「なにを崇高なことを言われるか!」を苦笑いしながら反発したくもなる名言だからである。私とて高校数学の落伍者であり、読書なる習慣を高校1年から身についた遅まき国語族からすると、当然、大学生の頃まで、この発言は、不明なる名言でもあったが、40代に入り、中高生に直接勉学なるものを教授してきて円熟期に入る頃、自身の10代をファーマットとして顧みたとき、また、数学者藤原正彦氏の寸鉄「小学生に必要なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」に接したとき、この岡潔の名言の真実がうっすらと了解した思いがしたのである。その実感が湧き上げるのと同時に、湯川秀樹の一族はみな漢学者であったとか、福井謙一は夏目漱石の愛読者であったとか、益川敏英は芥川龍之介フリークであったとか、ノーベル賞受賞の背景に、文学ありきという因果性も納得した思いがしたものである。
国語とは、読書と同義であり、読書とは、情緒を知ることでもある。これは、凡人でもわかる。しかし、数学とは、論理が基盤であり、論理とは、緻密なる整合性(計算や式)のことでもある。ここに、愚昧なる私には、まさに論理の飛躍が感じられてしまうのである。しかし、この数学を公式と計算に集約してしまう視点がそもそも問題なのである。数学をセンスと捉える見地から言えば、知識、良識、分別、人間の感情の因果律、そして人の情緒の理解という風に、段階的に情緒という芋虫が、論理というさなぎを通じて、数学という蝶に飛躍するという道筋もわからなくもない。実は、ここに林修氏のモデルケースが臨床実験として説得力を増してもくるのである。
しかし、「うちの子は、本好きで、月に何十冊も読書をしてはいるが、国語も算数も成績がぱっとしない」という反論が出てくるのは当然である。この論法は、同じ参考書や問題集を使う、また、同じ予備校のカリスマ講師の授業を受ける、それでも、国語、英語、数学の成功者、挫折者が生まれる原因である。その点に関して次回で言及してみることにする。(つづく)
タレント予備校講師である林修氏は、日ごろ様々な番組で語られてもいる自説というものがある。それは、「全ての科目で一番大切なのは、数学だ。数学こそ論理を学べる恰好の教材だからだ!物事の筋道はすべて数学の考えに帰着する!」というものである。現役で東大文Ⅰに進んだ受験の勝ち組らしい発言である。東進ハイスクールの初年度、数学講師として採用された自負と劣等感が感じられる。この劣等感とは、その次の年(一年数学講師をして次の年)から「数学を教える長期戦ともなれば、自分は理系の猛者に負ける、だったらニッチで、自身でも貯金のある科目、現代文に鞍替えした方が予備校界で生き延びられる!」と覚醒したとも語っている。その経歴がそれを証明している。やはり、文系の勝利者(国立文系の最高峰に進学)でも、数学が得意でも、大学受験までの力量では、家庭教師に毛が生えたくらいで、大手の予備校では到底沈んでゆく、理系秀才は教えられない敗北感を予見したか、その暗い前途を思い描いたに違いない。
実は、ここに秀才林修氏の自身の資質への死角というものがある。自身の科目への気質を陶冶した背景というものが分かっていないようなのである。彼自身も何気なく吐いてもいる、自身の読書体験というものである。彼は、小学生時代(4~5年生くらいまでに)に日本画家の祖父の書庫にあった日本文学大全集を読破していたという点である。だから、6年生から始めた中学受験勉強がたった1年で、愛知県ナンバーワンの進学校東海中学に合格したと思われるのである。これは、読書体験のたまもの、その読書量が、左脳か右脳かは知らないが、その脳髄を耕していたことははっきりといえるのである。その後、その読書経験が、自身に「自らの得意分野はこれだ!」と悟らせ、数学講師から現代文講師へと変貌を見事にとげさせたのである。親の恩、子知らずではないが、<読書の恩、国語猛者・数学勝利者知らず>といったところだろうか。こうした我を見つめる目線、それに欠ける性格が、林修氏の弱点の一つでもあり、彼自身自虐的に発言する言葉「私は友人がほとんどいない」の要因にもなっているような気がする。傍から見ると嫌みったらしく映る面でもある。
この林修氏が主張する「一番大切な科目は数学だ!」とやらを真っ向から否定する言説がある。それは、天才数学者である岡潔によるものである。
「数学は情緒である」
この言葉も、数学がそこそこ得意な受験秀才から数学が苦手な凡庸なる高校生くらいには<禅問答>の如くに響くことであろう。当然である。やはり、天才数学者の発言であるがゆえ、数学とは疎遠なる学生・社会人には、「なにを崇高なことを言われるか!」を苦笑いしながら反発したくもなる名言だからである。私とて高校数学の落伍者であり、読書なる習慣を高校1年から身についた遅まき国語族からすると、当然、大学生の頃まで、この発言は、不明なる名言でもあったが、40代に入り、中高生に直接勉学なるものを教授してきて円熟期に入る頃、自身の10代をファーマットとして顧みたとき、また、数学者藤原正彦氏の寸鉄「小学生に必要なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」に接したとき、この岡潔の名言の真実がうっすらと了解した思いがしたのである。その実感が湧き上げるのと同時に、湯川秀樹の一族はみな漢学者であったとか、福井謙一は夏目漱石の愛読者であったとか、益川敏英は芥川龍之介フリークであったとか、ノーベル賞受賞の背景に、文学ありきという因果性も納得した思いがしたものである。
国語とは、読書と同義であり、読書とは、情緒を知ることでもある。これは、凡人でもわかる。しかし、数学とは、論理が基盤であり、論理とは、緻密なる整合性(計算や式)のことでもある。ここに、愚昧なる私には、まさに論理の飛躍が感じられてしまうのである。しかし、この数学を公式と計算に集約してしまう視点がそもそも問題なのである。数学をセンスと捉える見地から言えば、知識、良識、分別、人間の感情の因果律、そして人の情緒の理解という風に、段階的に情緒という芋虫が、論理というさなぎを通じて、数学という蝶に飛躍するという道筋もわからなくもない。実は、ここに林修氏のモデルケースが臨床実験として説得力を増してもくるのである。
しかし、「うちの子は、本好きで、月に何十冊も読書をしてはいるが、国語も算数も成績がぱっとしない」という反論が出てくるのは当然である。この論法は、同じ参考書や問題集を使う、また、同じ予備校のカリスマ講師の授業を受ける、それでも、国語、英語、数学の成功者、挫折者が生まれる原因である。その点に関して次回で言及してみることにする。(つづく)