コラム

スマホは"デジタル糖尿病"ともなるジャンクフード

ひと昔前のことだ、次のような会話のやり取りをラジオかどこかで聞いた覚えがある。
「現代社会では、貧乏人の方が、昔は贅沢病の象徴でもあった“糖尿病”に罹っている割合が高い。皮肉なことに、糖尿病は、ある意味、社会の下層民の証拠の一つになってしまった」
これは、アメリカにも該当する発言ではある。つまりは、給与の安い労働者に限り、ジャンクフード(スナック菓子など)やファーストフード(マクドナルドなど)で空腹をしのぎ、三度の食事を済ませる慣例が浸透している証拠である。
日本でも、早朝、建設現場に向かう肉体労働者が、コンビニに立ち寄り、ワゴン車から数名下車し、カップラーメンにレジ脇でお湯を注ぎ、その上に菓子パンを乗せて出てゆく光景は、多くの人に馴染みがあるあるものだと思う。その彼らは、昼食時も、コンビニのおにぎりや牛どん、街中華などで炭水化物系で腹を満たし、午後の作業におもむく。
今や、先進国では、栄養失調は“絶滅危惧種”である。むしろ、低学歴、ブルーカラーの労働者が、高脂肪・高炭水化物食品を摂取する傾向が高いことが特徴である。
以前アメリカ社会では、入社面接で、メタボ、肥満体質の人は、はねられたという噂すら耳にしたことがある。つまり、私生活で、その人は、自主管理がなっていない、食生活にいて自律性が欠けているとの烙印を押されたらしい。「自身の健康管理すらできていない人間が、他人や組織をどうしてマネジメントできようか?」といった論理・理屈でもあろう。
高カロリー、高脂肪の食べものは、確かに“うまい”ものが多いのは事実である。野菜や大豆系食品は、ヘルシーではあるが、どうしても摂取不足になりがちなのは、飽食時代、豊かな文明社会に生きている者としては、どっぷりつかってその、“非健康的麻薬性”に気づきもせず日々をすごしてしまうというのが、凡人としての悲しい性でもあり、人間の業でもある。「分かっちゃいるけどやめられない」というメンタルであろうか?
このアメリカや日本社会の、食生活の、“上級<健康>国民”と“下流<不健康>国民”を世界の国家レベルに敷衍して考えてもみよう。
伊藤亜聖の『デジタル化する新興国』という良書で有名にもなった、世界的傾向、それは、途上国であればあるほど日米仏独英などの先進国よりも数段デジタル化が進んでいるという事実である。アフリカの未開の地に住む、電気すらままならない地域の非文明化の部族ですら、生活全般をスマホだけでまかなっている現状は、少々異常で、違和感すら覚える。
アフリカは、グローバルの観点から、もはやデジタルの実験場になりつつある。だから、中国が、オセロゲームの如きに、一国一国と食指を伸ばして、習近平シンパの政府を、デジタルの親和性という“腹黒い友情”のツールで増やしている心根が透けても見えてくる。
実は、このアフリカの途上国の人々と同じ脳のメンタルへの影響が、日本などのスマホ依存症の人々と同じことを指摘する者はいない。むしろ、途上国の人々は、あんなにスマホなどデジタル化が進んでいるにもかかわらず、日本がこんなにデジタル化が遅れていると自己批判する風潮に浅薄なる世論が靡く。
アフリカの途上国の人々は、スマホがなければ‘情弱’(情報弱者)となる運命にある。いわば、<情報の栄養失調>である。スマホとの健康的な付き合い方、デジタルとアナログの幸福な共存関係というものが成立しない途上国の人は、日本における食生活の“下流<不健康>国民”に該当する。
私がいいたいことは、一点である。これは、タブレット端末やノート型パソコンにも言えることだが、スマホに一日、2~3時間から、多い人で7~8時間も首ったけの生活習慣が、三度の食事が、ジャンクフードやファーストフードで済まして、腹いっぱいになればいいやといった生活習慣病の原因と同じもの、いわば、<デジタル糖尿病>の元凶であると主張したいのである。
歩きスマホ、電車内スマホ、それは、私から言わせてもらえば、歩きポテトチップス、電車内ハンバーガーとでも言わせてもらおうか。四六時中、カス情報を脳内に入れていれば、社内の昼食時、帰宅時の夕食時、こうした健康管理の源でもある食事という習慣に悪影響を及ぼしかけないという行為と同じであるということに大衆は気づいてもいないようである。「健康には、空腹時が必要である、できれば長いほどいい」これも有名な医師たち(鎌田實や南雲吉則など)から聞き覚えのあるアドバイスである。これは、<空腹時>イコール<デジタルデトックス>とも言えないであろうか?弊著『反デジタル考』の中で言及してもいるフレーズ「アナログでいることは禅僧であることだ!」、まさしくそれを指してもいる。
最近出た新書『言葉が消滅する前に』(國分功一郎・千葉雅也共著)、それは、ネット社会の、濃密な言葉による人間のコミュニケーションへの希薄化現象を取り上げたものである。俊英なる賢人は、世の危険を予知するカナリア的存在でもある。何も、『スマホ脳』の筆者ハンセン氏という精神科医だけではないのである、この異常なるデジタル社会に警鐘を鳴らしているのは。人文社会学系の人の方が断然多いのである。何故か、世の危機は、臨床的知性(※エビデンス優先主義)より感性的知性の方が感度が鋭いレーダーとなりうるからである。それは科学者よりも意外とSF作家の方が、未来を予知する資質に長けている点に似てもいる。後者の方が直観と直感が鋭敏なのである。
一流アスリート、パリコレのモデル(※拒食症にもなる非健康的なモデルもいる)、彼らは、ストイックなまでに自身に、健康とフィジカル最優先の食生活を強いている。この食生活管理というものに似て、このデジタル化社会で自律性をもってスマホ断食、スマホラマダンを実行するのは至難の業でもあろう。しかし、私は、敢えて勧めるのである。SNS社会における<痩せ我慢>というものを。
「大好きなラーメンを食べるのは年2回だけである」(富永愛)

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