コラム
奇遇にも!今日の日経のコラムと私の知見の一致
「21世紀、最も魅力的な職業」。10年近く前、米ビジネス誌がそう呼んだ仕事がデータサイエンティストだ。IT(情報技術)の普及で集まる膨大な数字を解析し、確かな判断へ経営者を導く。ここに優秀な人材を得られるかどうかで企業の命運は大きく変わるという。▼成長中の動画配信会社、米ネットフリックスもデータ分析の部署がある。新規採用候補者の中で最適な人材をどう選ぶか。ヒントを得ようと、すでに在籍する社員で特に優秀な人たちの共通する点を探す。答えは音楽をこよなく愛する点だった。以降、面接では音楽への関心や楽器の経験を、それとなく探るようにしたそうだ。▼元最高人事責任者が著書で明かしたエピソードだ。論理的思考が軸となる業務だからこそ、創造性や感受性が発想の差を生む。議論好きが集まる職場には、無口だが独自の視点で発言する人を加えたこともある。こうして多種多様な人が集まり異文化への理解が育ち、「イカゲーム」などの非英語圏のヒット作に結びついた。▼日本企業はどうか。面接経験者がしばしば語る採用の決め手は「職場になじむか」「一緒に働きたいと思えるか」。和を重んじる姿勢は、うっかりすると同質の集団の土壌となる。居心地はいい。しかし異論は芽吹きにくい。そうした環境で「業界に例のないイノベーションを起こせ」と求めるのは、いささか無理がある。
日本経済新聞【春秋】(2021年12月20日)より
このコラムで、展開してきた私の主旨をものの見事に言い当ててくれてもいる。
一見して役にたたないように見える側面、それが、その人の資質を深部で支えてもいるということである。文明を支える文化であり、自然科学系ノーベル賞受賞者の、傍目には見えない文学青年的気質の側面である。結局は、日本でも重要視されかけているデータサイエンティストであれ、プログラマーであり、そのバックボーンは、音楽、絵画、文学などの芸術に存するということでもある。論理、いや知性のかじ取りをするのは、感性であることをこのネットフリックスの事例で証明してくれてもいる。この音楽や絵画などで洗練された感性を、私は<真の主観性>と命名したいのである。
今ブーム(?)らしき、柳宗悦が提唱した【民藝】なるものの規範は、「観る⇒感じる⇒知る⇒考える」の工程にあるという。21世紀、デジタル化社会では、この手順が逆になっているように思えて仕方がない。“考える”が最初にくるから、<誤った主観>の陥穽にはまる。いくら膨大なデータを持ち合わせていても、それをヒントに、発見、発明といったイノベーションを起こす原動力、いわば、揺るぎのない<自我に支えられた主観性>のみが、その情報を“宝に”する理性ともなるからである。これは、何も飛躍でもなんでもない、ものごとの真理を言ったまでである。この点、今最も注目されているマーケティングコンサルタントの山口周や山口揚平などは、ほぼ同様の論を展開されてもいる。
更に、私のモットーでもある、<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>という気質こそ、“different”の基盤ともなりうることは、私のコラム、即ち、「不便益の大切さ=痩せ我慢のススメ」「真の個人主義の試金石は“different”にあり!」「デジタルは客観性、アナログは主観性!?」「客観と主観について語る」でご納得いただけるかと思う。
「和をもって貴しとなす」(聖徳太子)の遺伝子を組み込まれた日本で、近代明治以降、いや、敗戦後であろうか。いや、平成であろうか。いや依然として、“和”最優先社会であることは、この日経のコラムが語っているところである。和を同と混同する国民気質から脱しきれられない。「君子は和すれども同ぜず、小人は同すれども和せず」(孔子)これが日本人にはなかなかできない。日本に真の個人主義者はマイノリティーであるかだ。
敗戦により、与えられた民主主義国家になり、本来、個人主義という謂いは、否定的コノテーションを有してもきた国家では、真の“個”の確立は、自由民主主義というより社会民主主義の気風の方がなじめるのではと思ってもしまう。
最後に、平成の世、日本の大企業が、GAFA帝国に大敗を喫した最大の原因は、日本のエリート会社員(貴族)が、生温い‘ワークライフバランス’なんぞという、仕事と趣味が別個の価値観で捉えるものを信条としてきたのに対して、アメリカの天才(武士)が、‘ワークアズライフ’を実践してもいた、その仕事への情熱度の差であった。渋沢栄一の箴言「人間にとって、仕事というものが生きる手段ではなく、生きる目的であったなら、どんなに幸せであろうか」これを実行した者たちが、シリコンバレー生まれの大富豪たちでもある。
私の生き方の3モットー<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>は教え子に、次のように説くのですが、英語の教え方には超共感してはくれますが、この主義にはほとんど共鳴してはくれません。やはり、令和の“永井荷風”なのでありましょうか?
1.TDLやUSJには夢中になるな!
2.ユニクロやJUなんぞでは衣服を買うな!
3.サイゼリアなどではイタリアンなんぞ食うな!
4.鬼滅の刃なんぞの映画を友人と同調して観るな!
私は、この4項目を実践している<つむじ曲がり>でもある。
日本経済新聞【春秋】(2021年12月20日)より
このコラムで、展開してきた私の主旨をものの見事に言い当ててくれてもいる。
一見して役にたたないように見える側面、それが、その人の資質を深部で支えてもいるということである。文明を支える文化であり、自然科学系ノーベル賞受賞者の、傍目には見えない文学青年的気質の側面である。結局は、日本でも重要視されかけているデータサイエンティストであれ、プログラマーであり、そのバックボーンは、音楽、絵画、文学などの芸術に存するということでもある。論理、いや知性のかじ取りをするのは、感性であることをこのネットフリックスの事例で証明してくれてもいる。この音楽や絵画などで洗練された感性を、私は<真の主観性>と命名したいのである。
今ブーム(?)らしき、柳宗悦が提唱した【民藝】なるものの規範は、「観る⇒感じる⇒知る⇒考える」の工程にあるという。21世紀、デジタル化社会では、この手順が逆になっているように思えて仕方がない。“考える”が最初にくるから、<誤った主観>の陥穽にはまる。いくら膨大なデータを持ち合わせていても、それをヒントに、発見、発明といったイノベーションを起こす原動力、いわば、揺るぎのない<自我に支えられた主観性>のみが、その情報を“宝に”する理性ともなるからである。これは、何も飛躍でもなんでもない、ものごとの真理を言ったまでである。この点、今最も注目されているマーケティングコンサルタントの山口周や山口揚平などは、ほぼ同様の論を展開されてもいる。
更に、私のモットーでもある、<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>という気質こそ、“different”の基盤ともなりうることは、私のコラム、即ち、「不便益の大切さ=痩せ我慢のススメ」「真の個人主義の試金石は“different”にあり!」「デジタルは客観性、アナログは主観性!?」「客観と主観について語る」でご納得いただけるかと思う。
「和をもって貴しとなす」(聖徳太子)の遺伝子を組み込まれた日本で、近代明治以降、いや、敗戦後であろうか。いや、平成であろうか。いや依然として、“和”最優先社会であることは、この日経のコラムが語っているところである。和を同と混同する国民気質から脱しきれられない。「君子は和すれども同ぜず、小人は同すれども和せず」(孔子)これが日本人にはなかなかできない。日本に真の個人主義者はマイノリティーであるかだ。
敗戦により、与えられた民主主義国家になり、本来、個人主義という謂いは、否定的コノテーションを有してもきた国家では、真の“個”の確立は、自由民主主義というより社会民主主義の気風の方がなじめるのではと思ってもしまう。
最後に、平成の世、日本の大企業が、GAFA帝国に大敗を喫した最大の原因は、日本のエリート会社員(貴族)が、生温い‘ワークライフバランス’なんぞという、仕事と趣味が別個の価値観で捉えるものを信条としてきたのに対して、アメリカの天才(武士)が、‘ワークアズライフ’を実践してもいた、その仕事への情熱度の差であった。渋沢栄一の箴言「人間にとって、仕事というものが生きる手段ではなく、生きる目的であったなら、どんなに幸せであろうか」これを実行した者たちが、シリコンバレー生まれの大富豪たちでもある。
私の生き方の3モットー<痩せ我慢・へそ曲がり・天の邪鬼>は教え子に、次のように説くのですが、英語の教え方には超共感してはくれますが、この主義にはほとんど共鳴してはくれません。やはり、令和の“永井荷風”なのでありましょうか?
1.TDLやUSJには夢中になるな!
2.ユニクロやJUなんぞでは衣服を買うな!
3.サイゼリアなどではイタリアンなんぞ食うな!
4.鬼滅の刃なんぞの映画を友人と同調して観るな!
私は、この4項目を実践している<つむじ曲がり>でもある。