コラム
共通テストに求められる資質とは?<作家高橋源一郎と平野啓一郎>
小説家の事例を挙げて恐縮だが、作家高橋源一郎と平野啓一郎を“大学受験”の俎上にのせていただこう。
高橋は、丁度、学生紛争で、唯一東大入試が中止となった学年で、灘校から、東大を目指してはいたが、急遽、目標を変更せざるをえなくなり、京都大学を受験する。あいにく、不合格となる。仕方なく、二期校でもあった横浜国立大学へ進む。その後、学業へはのめり込めず、アルバイトなどで糊口をしのぎ、その後大学除籍とあいなる。その後、肉体労働の苦節を経て作家デビューする。
これは、もしもの話である。もしも、彼が東大を受験していたならば、ひょっとして合格していたやもしれない。それは、入試問題の質にある。50年以上も昔なので確かなことは言えないが、東大と京大では、全く問題の質が違うということでもある。
平野啓一郎は、三島由紀夫の再来として、最年少{※厳密には丸山健二であるが}で芥川賞を受賞した早熟の“天才?”である。彼は京都大学法学部出身である。因に、彼の新書『スローリーディング』で自称してもいる遅読家でもある。本を速く読めない、むしろ、その遅読こそ、読書の本道であるとさえ彼は語ってもいる。彼は、センター試験世代でもあった。ひょっとしたら、東大受験をしたてとしても、失礼ながら合格できなかったような気がする。その問題処理能力が、遅読派の観点から、東大の二次試験やセンター試験には不向きであったとも推察できるからだ。だから、西の雄京都大学へと進んだことに私は何の疑いも抱いていない。これに、平野氏は、「私は、昔から京都で学生生活を送りたかった」「昔から京都大学の気風が憧れであった」という口実を吐かれる以前の問題として指摘しているまでである。彼の、勉学上の資質と受験問題の相性から、京大へと進んだ論拠を指摘しているまでである。この推察は、恐らく間違ってはいないと個人的ながら確信してもいる。
この点で、灘校から、東大ではなく京都大学へ進む者、いや、進まざるをえぬ者、また、近年、昔の東京御三家の一角に君臨していた私立武蔵高校も、学校の教育方針で、センター試験や共通テストで、<時間切迫型の問題>に不得手になってしまう資質を育てることも東大合格者激減の大きな要因になっていることは、作家佐藤優氏が主張してもいるように、現に彼らに現場で接していての正直な感想であろう。じっくりとモノを深く考える高校生には、センター試験は不向きであるとも彼は述べている。
さて、この高橋は、東大の目標が頓挫し、急遽、京大を受験し、失敗する。高橋はじっくり考える型の学生ではなかったということである。片や、自身の資質を認識し、東大ではなく、京大へと賢明にも進んだ平野、この両者に言えることは、読解力と速読能力というものの比較により浮かび上がる学習的資質というものである。これは、国語という科目のみならず、英語や社会、ひょっとしたら、数学などの理系科目にも該当するのではないかと考える。
これは、センター試験受験生の、一般的鉄則なのだが、「12月後半から1月中旬のセンター試験までは、東大京大の二次問題は当然、早慶の過去問すら向き合うな」といった通説がある。それは、短時間で問題処理するコツ、センスを磨いておかないと通常、平凡な受験生は、国民的大行事の試験で、予想外に失敗してしまうからである。深く考えず、表層的に問題を短時間で処理する心構えを忘れてしまい、試験後、「あ!記述問題を解く感覚でマークシートに向き合っていた!バカだった!」と後悔するのが落ちでもある。
私流に言わせてもらおう。センター試験から令和の共通テストと国公立の二次試験の決定的な違いとは?
柔道の試合、これはオリンピックでもいい。試合5分以内で、<技あり>や<有効{※今は廃止}>などポイントをこつこつ積み重ね、相手に勝つ、これが、センター試験や共通テストの正体である。一方、同じ柔道の試合でも、これはあり得ないことだが、時間無制限一本勝負として、相手に<一本>で勝つまでは、勝敗を決しない方式、これが、二次試験に該当する記述問題の本質とさえ言ってもいい。後者の方式にすれは、日本人は、オリンピックの柔道という種目で、もっとメダリストを出すことであろう。
世の政府の文教族?なる政治家や、一部のメディアに登場する大手予備校の入試分析官?なる人々は、この共通テストの‘いい点’、いわば、理念(思考力や判断力など)にかぶってくる微細な点、どうでもいい点、それを、改善されただの、センター試験より質がよくなってきているだの、公的権威の問題に、忖度か、おべっちゃらか、また、“奇問”への適応能力がさも自身の能力としてひけらかしたいのか、やたら、昭和の軍国主義教育や先軍政治に迎合する言説を述べた知識人とダブって見えてきてしまう。この“変異”なる試験の異常さを誰も批判しようとしない。批判できないまでに、共通テストが超権威化してしまった。それは、半数以上が、私大が参加してもいるからでもある。大学受験制度における在野、反権力という存在が皆無となってしまったからである。令和の時代、この共通テストは、ゴジラ化したといってもいい。中等教育という都市(学校システム・カリキュラム)をこれから破壊しつくすことだろう。<教育という街>が機能不全に陥れば、そこに住む者たちは、不自由、そして不幸にもなる。こうした連鎖現象を思わせる、想像すらできないのは、コロナ禍で話題となった9月入学がどれほど日本の教育風土を砂漠化してしまうかに思いを巡らすことができないのと同じである。これは、杞憂ではない。憂国である。戦前の近衛内閣から東条内閣の日本社会を想起させ、寒気が走る今日この頃でもある。
※この共通テストにまで到る道程。共通一次試験は、翌日の新聞紙面で報じられると、普通に、肉眼で、その問題を解いてみようと思わせるほどの文字の大きさであった。センター試験もリスニングが導入される以前は、まあ何とか紙面でその問題が解読できる文字の大きさでもあった。近年、センター試験末期から先日の共通テストに至っては、もう、肉眼では判別・解読できないくらいの小さな文字になってしまった。恐らく、受験生が次の日に答え合わせに使う程度になれさがり、たた、それは国民的試験を報じる目印に過ぎないものになってしまった。新聞の紙面で解読できないほど微細な情報や文字数が、その異常さを物語ってもいる。
高橋は、丁度、学生紛争で、唯一東大入試が中止となった学年で、灘校から、東大を目指してはいたが、急遽、目標を変更せざるをえなくなり、京都大学を受験する。あいにく、不合格となる。仕方なく、二期校でもあった横浜国立大学へ進む。その後、学業へはのめり込めず、アルバイトなどで糊口をしのぎ、その後大学除籍とあいなる。その後、肉体労働の苦節を経て作家デビューする。
これは、もしもの話である。もしも、彼が東大を受験していたならば、ひょっとして合格していたやもしれない。それは、入試問題の質にある。50年以上も昔なので確かなことは言えないが、東大と京大では、全く問題の質が違うということでもある。
平野啓一郎は、三島由紀夫の再来として、最年少{※厳密には丸山健二であるが}で芥川賞を受賞した早熟の“天才?”である。彼は京都大学法学部出身である。因に、彼の新書『スローリーディング』で自称してもいる遅読家でもある。本を速く読めない、むしろ、その遅読こそ、読書の本道であるとさえ彼は語ってもいる。彼は、センター試験世代でもあった。ひょっとしたら、東大受験をしたてとしても、失礼ながら合格できなかったような気がする。その問題処理能力が、遅読派の観点から、東大の二次試験やセンター試験には不向きであったとも推察できるからだ。だから、西の雄京都大学へと進んだことに私は何の疑いも抱いていない。これに、平野氏は、「私は、昔から京都で学生生活を送りたかった」「昔から京都大学の気風が憧れであった」という口実を吐かれる以前の問題として指摘しているまでである。彼の、勉学上の資質と受験問題の相性から、京大へと進んだ論拠を指摘しているまでである。この推察は、恐らく間違ってはいないと個人的ながら確信してもいる。
この点で、灘校から、東大ではなく京都大学へ進む者、いや、進まざるをえぬ者、また、近年、昔の東京御三家の一角に君臨していた私立武蔵高校も、学校の教育方針で、センター試験や共通テストで、<時間切迫型の問題>に不得手になってしまう資質を育てることも東大合格者激減の大きな要因になっていることは、作家佐藤優氏が主張してもいるように、現に彼らに現場で接していての正直な感想であろう。じっくりとモノを深く考える高校生には、センター試験は不向きであるとも彼は述べている。
さて、この高橋は、東大の目標が頓挫し、急遽、京大を受験し、失敗する。高橋はじっくり考える型の学生ではなかったということである。片や、自身の資質を認識し、東大ではなく、京大へと賢明にも進んだ平野、この両者に言えることは、読解力と速読能力というものの比較により浮かび上がる学習的資質というものである。これは、国語という科目のみならず、英語や社会、ひょっとしたら、数学などの理系科目にも該当するのではないかと考える。
これは、センター試験受験生の、一般的鉄則なのだが、「12月後半から1月中旬のセンター試験までは、東大京大の二次問題は当然、早慶の過去問すら向き合うな」といった通説がある。それは、短時間で問題処理するコツ、センスを磨いておかないと通常、平凡な受験生は、国民的大行事の試験で、予想外に失敗してしまうからである。深く考えず、表層的に問題を短時間で処理する心構えを忘れてしまい、試験後、「あ!記述問題を解く感覚でマークシートに向き合っていた!バカだった!」と後悔するのが落ちでもある。
私流に言わせてもらおう。センター試験から令和の共通テストと国公立の二次試験の決定的な違いとは?
柔道の試合、これはオリンピックでもいい。試合5分以内で、<技あり>や<有効{※今は廃止}>などポイントをこつこつ積み重ね、相手に勝つ、これが、センター試験や共通テストの正体である。一方、同じ柔道の試合でも、これはあり得ないことだが、時間無制限一本勝負として、相手に<一本>で勝つまでは、勝敗を決しない方式、これが、二次試験に該当する記述問題の本質とさえ言ってもいい。後者の方式にすれは、日本人は、オリンピックの柔道という種目で、もっとメダリストを出すことであろう。
世の政府の文教族?なる政治家や、一部のメディアに登場する大手予備校の入試分析官?なる人々は、この共通テストの‘いい点’、いわば、理念(思考力や判断力など)にかぶってくる微細な点、どうでもいい点、それを、改善されただの、センター試験より質がよくなってきているだの、公的権威の問題に、忖度か、おべっちゃらか、また、“奇問”への適応能力がさも自身の能力としてひけらかしたいのか、やたら、昭和の軍国主義教育や先軍政治に迎合する言説を述べた知識人とダブって見えてきてしまう。この“変異”なる試験の異常さを誰も批判しようとしない。批判できないまでに、共通テストが超権威化してしまった。それは、半数以上が、私大が参加してもいるからでもある。大学受験制度における在野、反権力という存在が皆無となってしまったからである。令和の時代、この共通テストは、ゴジラ化したといってもいい。中等教育という都市(学校システム・カリキュラム)をこれから破壊しつくすことだろう。<教育という街>が機能不全に陥れば、そこに住む者たちは、不自由、そして不幸にもなる。こうした連鎖現象を思わせる、想像すらできないのは、コロナ禍で話題となった9月入学がどれほど日本の教育風土を砂漠化してしまうかに思いを巡らすことができないのと同じである。これは、杞憂ではない。憂国である。戦前の近衛内閣から東条内閣の日本社会を想起させ、寒気が走る今日この頃でもある。
※この共通テストにまで到る道程。共通一次試験は、翌日の新聞紙面で報じられると、普通に、肉眼で、その問題を解いてみようと思わせるほどの文字の大きさであった。センター試験もリスニングが導入される以前は、まあ何とか紙面でその問題が解読できる文字の大きさでもあった。近年、センター試験末期から先日の共通テストに至っては、もう、肉眼では判別・解読できないくらいの小さな文字になってしまった。恐らく、受験生が次の日に答え合わせに使う程度になれさがり、たた、それは国民的試験を報じる目印に過ぎないものになってしまった。新聞の紙面で解読できないほど微細な情報や文字数が、その異常さを物語ってもいる。