コラム
子供らしさを保持し続けること="青春"
「青春」(サムエル・ウルマン)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を退ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
年月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
この青春という観念の、そのコアともいえる要素を、私は“子供らしさ”と命名したい。いつまでも子供のこころを持つ詩人とか、いつまでもみずみずしい(肌とも同様)感性を有する画家とか、はたまた、いつまでも好奇心や感動する心を失わないビジネスマンなど、これら全てに共通するのは、“子どもらしさ”という心でもある。
『美を求める心』の中で、小林秀雄はその末尾を次のような文章で締めている。
美には人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に耐える経験をよく味わう事に他なりません。ですから、絵や音楽について沢山の知識を持ち、様々な意見を吐ける人が、必ずしも絵や音楽が解った人とは限りません。解るという言葉にも、色々な意味がある。人間は、様々な解り方をするものだからです。絵や音楽が解るというのは、絵や音楽を感じることです。愛することです。知識の浅い、少ししか言葉を持たぬ子供でも、なんでもすぐ頭で解りたがる大人より、美しいものに関する経験は、よほど深いかも知れません。実際、優れた芸術家は、大人になっても、子供の心を失っていないものです。
人は成長する、まず思春期を過ぎると、社会性というものを身に付ける。その社会性と、自身のコアともいえる自身の中に内包して、大切にしておかなければならないその少年性、極端だが、幼児性といったものを“飼い慣らし”てしまわなければならないのである(※『星の王子さま』の文脈で)。一般的には、この子供らしさという泉を封印してしまう。想像・創造といったイマージュの源泉ともいえる未開の森林の美しい資質に、大方の人間は封をしてしまう、時には、捨て去ってしまう。少年性をかなぐり捨てることが、ある意味、社会化でもあるからです。
大学生までは、よれよれのTシャツにボロボロのジーンズで、食ってもいけない演劇にのめり込み、かろうじて卒業すると、毎日、ラッシュの通勤電車で、背広にネクタイ姿で、自身の人生の時間を会社に切り売りし、給与を得るサラリーマンへと変貌する。
社会人ともなり、エリート官僚、地方公務員、くそ面白くない事務職、また、ストレスの溜まる半分以上は体力とヴァイタリティがものいう営業職、こうした社会の種族となると、まず感性が萎える、感受性が鈍化する。その日その日、なんの刺激もない、たた定年を遠くに見据えながら、家庭(家族サービスや子どもの教育)、マイホーム(持ち家)、退職金を意識しながら、たわいもない役職をめざし、日がな一日自身の精神を摩耗させてもゆくのが、社会人の性でもある。
大方、日本社会は、実態は、<就職>ではなく就社>であり、多くは、<社員>ではなく<社畜>と揶揄される所以でもある。
実は、子どもらしさを堅持する、忘れない、忘れられない部族こそ、さっさと、こうしたサラリーマン生活に見切りをつけるものである。金より時間、社会性より自分らしさ、他人の目線より自身の幼児性(≒非社会性)、これを優先して、ユニークなセレブとして大成する者は多い。ソフトバンクの孫にしろ、楽天に三木谷にしろ、「はみだし人生こそ生まれてきた意義がある」(※これぞ、チャレンジ精神の源だ!)これをプリンシプルとする成功者である。
超進学校久留米大附設高校を中退した孫、エリートの巣窟日本興業銀行を退社した三木谷、彼らの内奥の《エラン・ヴィタール(生の飛躍:生命の躍動)》(ベルグソンの概念『創造的進化』)は、その子供らしさ、煎じずめると、幼児性、やんちゃ気質、わんぱく魂といったものの源泉ともなっていると考えるのは私だけの空想にして妄想であろうか?
僭越にして、手前味噌、そして、我田引水的、そして、次元が違うと誹りを受けることを覚悟で申し述べるが、この私めも、高校を中退し、大手企業を2年で退社した口である。更に、彼ら以上の経験は、両親の離婚をもイニシエーションで通過してもいる。最後の要件が、彼らとの決定的な違いであり、理系、数学から遠ざかってもいった大きな要因である。その根拠は、ここでは触れない。
これは、ビジネスだけではなく、芸人の世界、ダウンタウンの名物番組「ガキの使いやあらへんで」の番組名が証明してもいよう、老成した、大人びた精神からは、“あのくだらないコンテンツ”の発想はできやしない。
70年代、日本中を席捲した、ドリフターズの「八時だよ!全員集合」といった渡辺プロが牛耳っていた怪物番組があった。クレイジーキャッツ系の大人の発想で、日本中の小学生を虜にしていた。そのお笑いにアンチに立ち向かっていったのが、中学生から高校生にかけて、学生の発想で70年代後半から、第一次漫才ブームともリンクして80年代、あのTBSの怪物番組を駆逐した「俺たちひょうきん族」(ビートたけし・明石家さんま・島田紳助など)である。この番組のコンセプトは、「全員集合」で育ち、中高生になって、どこか物足りなさ、不満を感じる世代をターゲットに、もう一つ別の次元のお笑いの金鉱石、金脈を掘り当てようとした目論見といってもいい。ドリフターズやコント55号とは、また別の笑い、加藤や志村、萩本に育ててもらった世代が、さらに、幼児性から少年性へと脱構築した、別次元の笑いを渇望する世代を掘り起こしたのである。フジテレビの天下の幕開けでもある。これを手掛けた名プロデューサー横澤彪は、少々ブラックで、昼番組には適さないとされたタモリを抜擢し、「笑っていいとも」という番組をも大学生から社会人にまで虜にし、昼のひと時に笑いと憩いの時間を与え、成功した。
ポストフジの時代である。日本テレビが、お笑いコンビダウンタウンとタッグを組み、「ガキ使」系番組で、フジテレビを超えるのである。2000年代である。平家から源氏、豊臣から徳川へと時代の変化である。とんねるず(フジテレビ)からダウンタウン(日本テレビ)へのお笑い天下のバトンタッチである。
恐らく、である。お笑い芸人、お笑い番組で成功しているコンセプトは、子ども、少年、青年の頃のふざけた、いたずらっぽさの精神を忘れずに、大人になっても手放さず仕事し続けることであるような気がする。
子ども、少年の頃は、夢や希望、わくわく感、そして、何かにつけていたずらっぽく、好奇心のまなざしと行動に駆り立てられ、後も先も考えず、周囲も忘れて、自身の心のおもむくままに、何かをしでかし、親や教師に叱られては日々を過ごしてゆく。しかし、その生命の躍動の源泉を、意図的に、枯らしてしまう人生を歩むのである、これを人間の社会化ともいう。株の仲介人でもあった画家ゴーギャンは、パリを離れて、タヒチへと向かった。この画家の心も、そうした、幼児性、未開社会への郷愁、これがコアでもあった。これも私の推測、想像に過ぎないが、貼り絵の天才画家山下清の放浪の旅も、幼児性、子どもらしさに、社会が無理にタガをはめる、自身を寵児扱いにする空気に嫌気がさしてのことでもあろう。
これは、幼児性や子供らしさから、逸脱する概念でもあるが、野生の知ともいっていいような、そうした、人間の原初的なエネルギーといったものが、学校というシステムの中で、まるで、核エネルギーの存在のように嫌悪する風潮、社会通念というものが、令和の時代ますますデジタル化する中で、はびこっているように思えて仕方がない。
ある意味、芸術や文化とは、こうした文明の人間の社会化、大人化を防ぐ存在なのかもしれない。
かっこよく歳をとること、それは、子供らしさ、いたずら気質、わんぱく精神、これを「僕の中の少年」として、見失わないことなのかもしれない。ちょい悪オヤジという言葉の源泉やローリングストーンズの永遠の不良性とやらの魅力もそこある。その意味でも、子ども頃に、子どもらしく生きる意義は、ここにある。子ども時代から、社会性を弁え、大人然とした、不自然な‘とっつあん坊’やはよろしくない。それは、自然の美しさを知らずに、都会の便利で、無機質なタワーマンションで育ち、虫を毛嫌いし、ゲームやスマホを相棒とする現代っ子は、環境破壊以上に見えない“社会悪”なのである。
最も好きな歌人の一人である吉井勇の名歌である。『ゴンドラの唄』は余りに有名すぎでるであろう。私の青春が今も熾火のようにむらむらとたぎっている証明でもある短歌である。
夏は来ぬ 相模の海の 南風に わが瞳燃ゆ わが心燃ゆ