コラム
厚切りジェイソンの投資本が売れてはいるが...
お笑いタレントの厚切りジェイソンの金融ハウツー本が、昨今、売れに売れているようだ。TBSの‘日曜日の初耳学’やNHKの‘おはようニッポン’でも、本人が登場し、その本のエキスとやらを披歴・喧伝していた。
まず、彼の金融テクニックとは、貯蓄ではなく、投資、それも、長期の投資を見据えての財テクでもある。彼本人は、悪くいえば、吝嗇・ケチ、よく言えば倹約家・節約家といったキャラだろうか。彼自身、小学生になる子供もいて、それを視野に入れての投資観という前提にもなっている。彼の投資論とは、20代からせいぜい40代後半の独身、または、中学生以下の子供を持つ家庭に当てはまる理論でもあり、50代後半からは、どうも適用できぬ金融テクニックではある。
ここで、肝要なのは、長期観と倹約観という両輪が必定ともなってくる考え方であり、その本人の金銭感覚ともリンクしてくる。
毎日毎日、株価の上昇下落をパソコンやスマホで眺めては、売りか買いか、デイトレーダーのような資質の者、そして、日常、衝動買いや、浪費や贅沢が身に染みつている者には、ジェイソンの金融観・投資観は、恐らく窮屈で堪らぬであろう。短期利益優先で、ギャンブラー気質のものである。
失われた30年とも言われ、物欲、出世欲などあずかり知らぬ世代、バブル時代など夢のまた夢でもある40代前半までの世代には、このジェイソンの、ある意味、セコイが真っ当な資産運用観は、共鳴するものでもあろう。だから50万部も売れている証拠である。購入者の半数以上は、20~40代ゾーンと推測される。政府が推奨するNISA(少額投資非課税制度)に飛びつく人々である。
ところで、この長期を基軸におく投資家は、従来からいた。知る人ぞ知る、澤上篤人や藤野英人などである。彼らのファンドは、長期の視点であり、決して巨額の利益を短期で見込めるものではない。結果的に、長い目で株価の動向に目をやり、市場を概観して、小さくても、堅実な会社、また、小さいながら、世界的価値のある会社、さらには、この会社なくしては、そう思わせる会社、それらを、親的目線で、十年、数十年と一蓮托生的覚悟で、投資する理念を根幹とするのが、澤上や藤野が指揮するファンド会社でもある。
実は、こうしたファンドに責任を持っている投資家の賢人(澤上からジェイソンにいたるまで)に共通するのは、知性であり、教養であり、賢明なるモラルでもある。
こうした叡知は、ひとえに、小学校から高校までの未成年で、教科の一環で身につくものではない。小学生に、架空のバーチャルな投資ごっこを教えても、欲が先行する、目先の利益に目がくらむ、一攫千金的投資テク程度の代物である。有明のキッザニアで将来の職業の何たるかなぞが分からぬように、また、人生ゲームで、人生なんぞの勝ち負けの技術が身につかぬように、学校教育で、金融のあれこれを、投資の儲ける方法を、教え込んでも、節約家の家庭、倹約家の母などの後ろ姿見つめて十代を過ごし、大学で、経済学や経営学(マネジメント)のいろはを学んだ者の方が、よほど、まっとうな、つまり、厚切りジェイソンのような人間に育つと思うのだが、如何であろうか?
因みに、厚切りジェイソンは、エリートのアメイリカ人であり、テクノロジー関係の仕事に軸足を置いているビジネスマンでもある。しかし、彼の家庭環境は、敬虔なるプロテスタントであり、質素倹約を日々の旨ともするものであったという。このバックグラウンドが大切なのである。この、傍から見ると<セコイ極み>とも映る日常生活とセットになっているのが、長期的目線の投資というものである。やはり、彼の本を読んでも、バブルの頃の財テク、どの株が上がるだの、どの会社が買いだのといった、山師的投資感覚を有する者には、息苦しくて、身にもつかない投資方法である。バブルの最中、電電公社の民営化でNTT株にすぐに食らいついた“小銭を有する強欲庶民”である。
やはり、投資感覚の背後にあるのは、良識と教養である。ずるがしこい、こざかしい、金銭欲ではない。経済学者以前に倫理学者でもあったアダムスミスの『国富論』の背後には、『道徳感情論』があることを忘れてはいけないように、個人的レベルでも同様のことが言えるのである。
お金儲けのノウハウやスキルを、自身が学ぶ、我が子に教える以前に、その背後にある、モラルを知る、分からせることが、その社会人、そして親の教養度の指数であり、マネーに関する規律というものである。
これは、ビジネスの世界でも近年極光を浴びてもきた、『論語と算盤』というその題名に象徴されてもいる。因に、“算盤と論語”とはつけてはいない。松下や稲盛の経営哲学に、多くの人が惹かれる所以は、まさにここにあるともいえる。
まず、彼の金融テクニックとは、貯蓄ではなく、投資、それも、長期の投資を見据えての財テクでもある。彼本人は、悪くいえば、吝嗇・ケチ、よく言えば倹約家・節約家といったキャラだろうか。彼自身、小学生になる子供もいて、それを視野に入れての投資観という前提にもなっている。彼の投資論とは、20代からせいぜい40代後半の独身、または、中学生以下の子供を持つ家庭に当てはまる理論でもあり、50代後半からは、どうも適用できぬ金融テクニックではある。
ここで、肝要なのは、長期観と倹約観という両輪が必定ともなってくる考え方であり、その本人の金銭感覚ともリンクしてくる。
毎日毎日、株価の上昇下落をパソコンやスマホで眺めては、売りか買いか、デイトレーダーのような資質の者、そして、日常、衝動買いや、浪費や贅沢が身に染みつている者には、ジェイソンの金融観・投資観は、恐らく窮屈で堪らぬであろう。短期利益優先で、ギャンブラー気質のものである。
失われた30年とも言われ、物欲、出世欲などあずかり知らぬ世代、バブル時代など夢のまた夢でもある40代前半までの世代には、このジェイソンの、ある意味、セコイが真っ当な資産運用観は、共鳴するものでもあろう。だから50万部も売れている証拠である。購入者の半数以上は、20~40代ゾーンと推測される。政府が推奨するNISA(少額投資非課税制度)に飛びつく人々である。
ところで、この長期を基軸におく投資家は、従来からいた。知る人ぞ知る、澤上篤人や藤野英人などである。彼らのファンドは、長期の視点であり、決して巨額の利益を短期で見込めるものではない。結果的に、長い目で株価の動向に目をやり、市場を概観して、小さくても、堅実な会社、また、小さいながら、世界的価値のある会社、さらには、この会社なくしては、そう思わせる会社、それらを、親的目線で、十年、数十年と一蓮托生的覚悟で、投資する理念を根幹とするのが、澤上や藤野が指揮するファンド会社でもある。
実は、こうしたファンドに責任を持っている投資家の賢人(澤上からジェイソンにいたるまで)に共通するのは、知性であり、教養であり、賢明なるモラルでもある。
こうした叡知は、ひとえに、小学校から高校までの未成年で、教科の一環で身につくものではない。小学生に、架空のバーチャルな投資ごっこを教えても、欲が先行する、目先の利益に目がくらむ、一攫千金的投資テク程度の代物である。有明のキッザニアで将来の職業の何たるかなぞが分からぬように、また、人生ゲームで、人生なんぞの勝ち負けの技術が身につかぬように、学校教育で、金融のあれこれを、投資の儲ける方法を、教え込んでも、節約家の家庭、倹約家の母などの後ろ姿見つめて十代を過ごし、大学で、経済学や経営学(マネジメント)のいろはを学んだ者の方が、よほど、まっとうな、つまり、厚切りジェイソンのような人間に育つと思うのだが、如何であろうか?
因みに、厚切りジェイソンは、エリートのアメイリカ人であり、テクノロジー関係の仕事に軸足を置いているビジネスマンでもある。しかし、彼の家庭環境は、敬虔なるプロテスタントであり、質素倹約を日々の旨ともするものであったという。このバックグラウンドが大切なのである。この、傍から見ると<セコイ極み>とも映る日常生活とセットになっているのが、長期的目線の投資というものである。やはり、彼の本を読んでも、バブルの頃の財テク、どの株が上がるだの、どの会社が買いだのといった、山師的投資感覚を有する者には、息苦しくて、身にもつかない投資方法である。バブルの最中、電電公社の民営化でNTT株にすぐに食らいついた“小銭を有する強欲庶民”である。
やはり、投資感覚の背後にあるのは、良識と教養である。ずるがしこい、こざかしい、金銭欲ではない。経済学者以前に倫理学者でもあったアダムスミスの『国富論』の背後には、『道徳感情論』があることを忘れてはいけないように、個人的レベルでも同様のことが言えるのである。
お金儲けのノウハウやスキルを、自身が学ぶ、我が子に教える以前に、その背後にある、モラルを知る、分からせることが、その社会人、そして親の教養度の指数であり、マネーに関する規律というものである。
これは、ビジネスの世界でも近年極光を浴びてもきた、『論語と算盤』というその題名に象徴されてもいる。因に、“算盤と論語”とはつけてはいない。松下や稲盛の経営哲学に、多くの人が惹かれる所以は、まさにここにあるともいえる。