コラム

歴史の科目における文化史の重要性

 「歌謡史っていうのは絶対研究しないとダメなんですよね。特に日本のフォークとかロックは、それですべて日本の音楽が塗り替えられることなんてないんだから。そういう発想はファシズムなんですよ。だから歴史と伝統を踏まえてね。人間の感性、20年や30年じゃ簡単に変わらないんですよ。今流行っているのが1か月経つと古くなって次のが出てくる。そんなことは絶対にないんです。これだけは声を大にして言いますけれど。楽器は新しくなっても感性は新しくならない。だから我々は歴史的に音楽がどういうことをやってきたか、特に洋楽という借り物の音楽でやっている以上、かつてジャズ・ソングという形でやってきた人たちがどういう形でオリジナリティを出していったかというようなことの研究は必要不可欠なんです。それをやらないと、いつまでも外人ミュージシャン最高、日本人下手という図式、鹿鳴館やってなきゃいけない」(山下達郎) 
『キーボードランド』・1988年12月リットーミュージック~『ポップスの規矩』より引用~


歴史における文化史こそ、“秘するが花”である!

 とりわけ、私立文系で、英国社、そして、社会科目を世界史や日本史で受験する現場の教え子の高校生を観ていると、文化史という項目の軽視が、やたらと目に付く。受験直前に付け焼刃でやる、また、ほとんど、出たらそれまで的気分で、手が回らず、ほぼやらないか、最低限度の‘保険程度’で山を張るくらいが関の山である。私から見ると、超現実主義者である。仕方ない、出る確率は低い、また、一般的に、文化史なるものは、受験では軽視されてもいるからであろうか?私自身は、特に、雑学的、蘊蓄流、エピソード風に、面白おかしく、プチ教養的に、教えもしている。出題される、されないの問題ではないからだ。文化史は、大学生、そして、社会人となった、先の先まで見据えて、教授してもいる。文化史は、大人になればなるほど、その知識の効用は広がり、高まってもくると確信しているからだ。
 大学生の専門科目、社会人の仕事のスキル、しかし、その人間にとっての深み、厚み、プライベートの“知的徳目”ともいおうか、それが、教養という、目下、デジタル社会、情報社会においては役にはたたない様に見えながら、実は、≪人生上の盾≫≪デジタル社会の鎧≫のようなものが近年脚光を浴びている。
 それが、高校生の世界史、日本史における文化史という存在に該当するのである。試験に出題される否か、仕事に役に立つ、立たない、そんな次元で文化史を、歴史の底流ともなる教養史をとらえてはいけないのである。

 『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』(ニール・ニンディ)
 『世界のビジネスエリートが身につける教養としてのワイン』(渡辺順子)
 『世界のビジネスエリートが身につける教養 西洋美術史』(木村泰司)
 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(山口周)


 西欧文明は、ローマ帝国に始まるとも言われている。その大帝国は、土木と法を極めた社会であった。その後、カトリックが5世紀末から、その文明を、ローマ人からゲルマン民族の社会を遍く規定して、牽引してゆくことになる。18世紀末のフランス革命まで、ヨーロッパ中の規範ともなる。その影響は、政治から芸術に多岐にわたる。

 日本でも、聖徳太子以降、仏教の伝来が、日本人の精神構造を規定してゆく。それは、天皇から貴族、そして武士や庶民に至るまで続く。17世紀の初め、江戸幕府まで連綿とその支配は、続く。儒教は、ひとまず、脇に置いておく。その仏教は、鎌倉でビッグバンとして日本独自の開花をする。その後、鎌倉で根付いた禅が、室町で、様々な形で、特に、芸術の分野で実を結ぶ。

 洋の東西を問わず、文化というものが、皇帝、国王、貴族、武士(騎士)、庶民にいたるまで、その精神構造を規定してもきた。当然、社会の支配者たちでもある政治家(王や貴族)にも、その言行というものを意識無意識に支配してきた構図というものも理解できようというものである。
 文明というもの、歴史科目の政治・経済といった項目、それが、実用英語・口語英語という今流行りの英検やTOEICにおける、実社会で学ぶ英語だとすれば、文化というもの、歴史科目の文化史というジャンルは、詳しい文法理論や英単語の成り立ち(その単語のルーツ:ラテン語やギリシャ語)また、漢字の部首の意味やその語源{※白川静の“漢字のなりたちの世界”}などでもあり、一見すると、知っていてもいなくてもどちらでもいいような領域である。これこそが、教養というものの真骨頂であり、ことばの本義を知る意義でもあり、英語や漢字の伸びしろを決める真髄である。特に、思考においては、それは重要である。ことばで人はものを考えるからでもある。当然ながら、“言語は思考を規定する”を捩って、“文化は歴史(文明)を規定する”といっても過言ではないからである。

 自由は、libertyとfreedomと英語だと二つに分かれるが、その違いは、文明と文化の違い以上に、現場高校生はもちろん、英語を用いて仕事をしている社会人ですら認識している者は多くはないであろう。
 Experienceを経験と体験と訳すが、その違いも同様であろう。

 こうした、ことばの成り立ちについての自覚の濃淡、それが、まさしく、歴史にいける文化というものの比重に該当することを、現場の歴史教師は、どれほど、分かっているだろうか?いや、わかってもいる教員は、少なくないことでもあろう。しかし、受験という現実主義・効率主義に、また、生徒の軽薄短小のお勉強に迎合してか、顔色をうかがい授業をせざるをえない現実というものが教室に、生徒の頭の中に蔓延している。
 そうだからといって、それが、<正・是・真>という歴史の教え方であると截然と言い切っていいものだろうか?今般の歴史総合という教科は、近代以降の世界史とリンクする日本史、考える近現代史、そういうお題目で生まれたものでもあろう。だったら、なおさらのこと、日本の近現代を規定した、明治以降の日本人の精神を形作った、近世以前の文化史もきちっと教え込まなければならぬと思うのだが、塾・予備校・現場の高校といった、講師や教員からは、こうした角度からの批判を一切耳にしたことがない。


 日本文化の正体は必ずや「変化するもの」にあります。神や仏にあるわけでも、和歌や国学にあるわけでもありません。神や仏が、和歌や国学が、常磐津や歌舞伎が、日本画や昭和歌謡が、セーラー服やアニメが「変化するところ」に、日本文化の正体があらわれるのです。それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通してやってくる。これがジャパン・スタイルです。
 しかし、このことが見えてくるには、いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画などについて目を凝らし、そこに浸って日本の歴史文化の「変化の境目」に詳しくなる必要があります。白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は、その「変化の境目」がどのようなものであるかを雄弁に語ります。そこは見逃さないほうがいい。それはアン女王戦争がわからなければピューリタニズムがわからないことや、スペイン継承戦争がわからなくてはバロックが見えてこないことと同じです。
『日本文化の核心』~「ジャパン・スタイル」を読み解く~(松岡正剛)講談社現代新書




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