コラム

私の歴史観~歴史という思想~

「人間の運命は九割は自分の不明による罪だ」『竜馬がゆく 六』
 
「政治がもし論理のみで動くものであるとすれば、人類の歴史ははるかにかがやけるものであったろうと思われる。しかし政治においては論理という機械の作動する部分は不幸なことにわずかでしかない。
 それよりも利害で動くということは大いにあるであろう。しかし革命早々の日本国家の運営者たちは、政商の利益を代表していなかった。むしろ感情で動いた。感情が政治を動かす部分は、論理や利益よりもはるかに大きいといえるかもしれない」『翔ぶが如く 一』
 
「人間は立場で生きている」『峠 上』
 
「日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、あるいははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった」『坂の上の雲 七』
 
                                            司馬遼太郎の作品集からの引用
 
 
  「物事は、主観ではなく客観で見よ」とは、言い旧されたことばだが、これは他人の立ち場に立って考えなさい、生きていきなさいといった子供に弁えさせる、社会を生きていく上での処世術であり、潤滑油でもある。また、この謂いは、自然科学を極める上での、研究者の心得とも敷衍できる。文明の駆動力ともなる様々な発見は、これを無意識に基づいて実行しているにすぎない。蛇足だが、入試の現代文の読解問題もおおむね、この流儀を逸脱するものではない。読みの最大公約数(客観性)を求めてもいる。最小公倍数(主観性)では、得点は望めない。
 
 では、歴史を観る眼、時代を概観する眼、そうした眼というものは、鋭利な刃ものに似ていて、意外な弱点を有しているものである。眼とは、正直な奴で、存在、実態というものは、分かる、把握できるが、その実存という、本質にまでは到達できない性質をどうやら持つようである。馬鹿正直さを持つ。ある意味で騙されやすい。
  こうした弱点・限界を克服した、美学の世界で実現した、その集団が、近代の産物でもある写真機を超克した、あの印象派の画家たちでもある。また、「本当に大切なものは目に見えない」というサンテグジュペリのこの名言が、その人間の本性の裏の顔を暴いてもくれている。
 
 社会科学(法律学・社会学・政治学)や自然科学(理学部・工学部・医学部)において、絶対的真理ともいえる、こうした<主観と客観の根本的関係性“コギト”>は、実は、人文科学、とりわけ、歴史という生き物を対象とする際、その実態をとらえる上では、該当しない。名刀正宗で、料理をする不自由さが生じるのではないかと日ごろ思ってもきた。
 それは、どういうことかといえば、この主観と客観に、枕詞を付す必要があるからではないかと、うすうす感づき始めてもきたからである。
 
 歴史に向き合うには、まず、<清い主観性・無垢なる主観性>と<汚い客観性・手垢にまみれた客観性>、これらを自らの心に、精神に対峙させておく姿勢が肝要ではないかということである。<これらの表現>は、ある意味で、矛盾する言い回しでもある。主観と客観とのコノテーションはそれぞれ、この謂いとは真逆でもあるからである。そうである。歴史という、人間という実態を、その矛盾を抱えた正体をとらえるには、まさに、こうし視点がなくてはならないということである。
 
 文明の定義は、普遍的であることが必須の条件である。一方、文化は、むしろ、普遍的であることを求めない、それを拒絶する。それを求めた時点で、それは文化ではなくなる、文化の死すら意味する。ここで、<清い主観>と<汚い客観>とは、この文化と文明になぞられてもいい。歴史に向き合う要諦は、文化的視点で、文明を眺め、文明的目線で、文化を概観することにある。よく言われる言葉だが、「グローバルに考え、ローカルに行動する」“Think globally, act locally.”など、その典型でもあろう。21世紀において、社会で、会社で、活躍する人間に必要とされる教訓でもある。こうした心得を持つ明治の偉人たちは、『茶の本』『武士道』『代表的日本人』などの名著を英語の名文でも書いたのである。更に、付け加えるなら、<和光同塵>的態度を持つことも肝要かと思う。それは、都会(文明)と田舎(自然)、高等教育と初等教育といったシャトル的“知”の横断・視的変換ともいっていい態度のことである。
 
 <清い主観性>とは、月並みな表現でもあるが、無私の精神(小林秀雄)や則天去私(夏目漱石)といった、一種、宗教的、禅的、ものの観方でもある。具体的には、韓国という国を、朝鮮という文化を、柳宗悦的目線で眺めるという心的姿勢でもある。
 
 <汚い客観性>とは、厳密には、<汚い客観性>への懐疑の念・警戒心ともいっていい視点である。群衆とは、大衆とは、国民とは、過つ存在である、利己的なる集団であると、群れた人間という生き物への覚めた、怜悧な、時に、冷たい判断力とも言っていい。マジョリティーの考えに群れない、イデオロギーにひき釣り込まれない精神といっていいものである。集団としての他者を、そうした存在を疑う知性といったものである。具体的には、『大衆の反逆』のオルテガ的ものの見方でもあり、『群衆心理』のル・ボン的視点でもある。余談ながら、SNA社会でも当然、必須の処世術的ツールでもある。
 
 歴史という生き物を御するには、まず、こうした主観と客観とをパラドクシカルに逆転する見方、眼を、ひねくれた複眼的思考で対処すべしと心得ることが肝要かと思う。これが、まず、二次元的な、縦と横の歴史的基軸でもある。
 それでは、この必要条件でもある、<清い主観性>と<汚い客観性>とを有すれば、それで、歴史を御する手綱足りうるか、事足れりであるかといえば、それだけでは不十分なのである。
 では、さらに何が必要か?それは、時間軸ともいっていい高さの目線である。これがあって、初めて、歴史を三次元的(※本当は四次元的といった方が適切ではあるが)に見渡すことができるのである。
 
 「『街道をゆく』を読んでいると現代が神話の世界と重なって見えてくる。このあたりが司馬史観の特色である。近代史学の影響を受けた同時代の時代小説が、現代人の眼で古代・中世を見たのと対照的に、司馬遼太郎は現代をえがく紀行文においてさえ、現代の眼だけで古代・中世をとらえるのではなく、古代神話、中世伝説をとおして現代の地域をえがく」『週刊朝日別冊・司馬遼太郎の遺産 鶴見俊輔の追悼文』
 
 「古典を読み、古典から学ぶことの意味は――すくなくも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。「隔離」というのはそれ自体が積極的(・・・)()努力であって「逃避」ではありません。むしろ逆です。私たちの住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分を隔離することによって、まさにその現代の全体像を「距離を置いて」観察する目を養うことができます」『「文明論之概略」を読む』(丸山真男)岩波新書
 
 実は、この行為が難儀なのである。これは、知性や理性といったものではなく、それを前提としながらも、感性や直観といった領域に入るものであり、死者を思い出す<温かい想像力=創造力>でもあるからだ。あの藝大に合格するデッサン力がありながらも、そのアカデミズを崩し、解体していったピカソの独創性に近い才、苦行と似たものがある。
  具体的には、日本民俗学の二大巨頭柳田国男や折口信夫のイマジネーションであり、梅原考古学の武器ともなった梅原猛の直観的悟性といったものでもある。こうした能力は、歴史学者や政治学者には、邪道、亜流、非科学的なものとして排除されやすい、事実、実証主義の観点からは、学問としては、受け入れ難いものなのである。しかし、である。その歴史とは、人間であり、強いては、文字による資料、近代では、写真や映像もあるが、その人間や事象の一断片、数少ない断片しか、我々に残されていない、ちょうど、家族の祖父の、我が子の形見の品々から、生前のおじいちゃん、生前のけんちゃんといった今は亡き肉親の、その顔や仕草を思い出す、単純なる<人間独自の本能的な賢才>である。それを、国家や社会、そして時代へと敷衍・援用したに過ぎない。その温かい心根・眼差し、それは、惻隠の情とも、また、もののあわれとも、様々なる概念ともかぶる精神性である。松岡正剛は、それを≪おもかげ・うつろい≫というキーワードで規定している。それを忘れては、歴史は単なる太陽系の惑星の運行と同じになってしまうのである。Historyは、Natureの一部ではない。Natureの一部に人間の意識が関与して初めて、それが、Historyとなるという真実は、あのブルクハルトも語っていた。
 
 鶴見俊輔の司馬遼太郎の本質への洞察、丸山真男の古典に擬える心得、つまり、古典を通して古人の想い・考えを(かたど)ったり、(あやか)ったりして、その時代へと推参する精神といったものは、あの余りに有名にして、わかり難いとされた小林秀雄の『無常という事』の通奏低音、いわば、本義であるとも言いうるものである。
 
 こうした、必要条件としての<清い主観>と<汚い客観>とを剣として、十分条件としての時空を超える直観的感性を聖書(仏典)として、歴史というものに対峙する、その姿勢があって初めて、歴史というものが、見えてくる、蘇ってくる、歴史という実体が立ち現れてくるのである。
 
 因みに、最近、興味深い書籍が売れているそうだ。『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎)〔講談社ブルーバックス〕という本である。この本の題名からして、“無神論者”の人間でもあると見られがちな科学者の、ある意味で、矛盾点を突いている。科学者の、意外な内面を言い表してもいよう。それは、デカルトやパスカルを持ち出すまでもない。しかし、科学者も人間、人間が主役の歴史、それは、矛盾だらけの劇でもある。矛盾には矛盾の流儀で臨むのが最善手であると言いたかったまでである。
 


 

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