コラム

日本史と世界史は水と油だ!③

 今までの日本は、国内で行ったことをベースに対外戦略を考えたり、対外戦略のために国内戦略を考えたりと、同じベースに立つ戦略を国内と対外に行ってきました。その戦略は成功しGDP世界2位になり、そして、使命を終了し、低迷の時代に入ったと僕は考えています。
 僕の提案は、今後は国内戦略と対外戦略をまずは並列的に考えるべきということです。
 地域を活性化する国内戦略と、アジアとの共生を目指す対外戦略です。
 もちろん具体的な事例においてこの二つがリンクするものがあることは否定しませんし、そのようなビジネスができることは歓迎すべきことです。
 ただ、最初のスタートポイントとして、日本が強化すること、言い換えると投資をすべきポイントを考えるときには、この国内と対外を分けて考える方がいい時代になってきたということです。
 これはこれから働くキャリアを考える人にも新たにセカンド、あるいはサードキャリアを考える人にも同じことが言えると思います。
 地方を活性化する国内戦略に貢献するのか、アジアとの共生を目指す対外戦略に貢献するのかをチャレンジポイントとして捉えていってもらいたいと思います。そこに皆さんのスキルを活かすものはあると思います。
                                                                           『人生の経営』(出井伸之)小学館
                                    ※翻意:国内戦略=日本史  対外戦略=世界史
 
   
 日本の高校生が、日本史と世界史を学ぶ上の精神的趣向や性癖といったものの概略をこれまで(前々回と前回で)列挙してきた。現場の学校の歴史教科の先生方に是非高校1年の段階で、漠然と、雰囲気で、フィーリングに流されて、無意識に日本史・世界史を選択してしまう生徒たちにオリエンテーションをやっていただきたいものである。
 
 まず、漢字が嫌い、苦手で世界史を選んではいないか?また、カタカナ名の人物などへの違和感で日本史を選んでいないか。こうした表層的単純な動機を自覚させることである。
 
 日本史は、微分であり、世界史は、積分でもある。それは、日本史は、あくまでも細部へ、細かくどれだけ分析的に学び、それぞれの事象が、まるで精密機械の内部のようでもあることを自覚する教科である。それゆえ、日本史選択者は、時計職人のように、緻密にものごとを概観できるミクロの眼を持てるか、それが要諦である。
  世界史は、あくまで外部へ、それは、他国や他民族との連関性への目線、目配せもあり、どれだけ、多くの国家や地域への意識の向け様がものをいう科目である。特に、近現代史は、それに尽きる。また、地理的センスも求められる。カタカナ表記の人物や出来事などへ積極性が求められるということである。小学生が、英語を学ぼう、やりたいと思うその動機と似たものが世界史という科目への駆動力ともなる。
 
 日本史が、ある意味、二次元の歴史、それは大方、政治と経済とを基軸に考えればよい教科なのに対して、世界史は、三次元の歴史、つまり、政治と経済に、外交という縦軸が加わる点を忘れてはいけない。勿論、日本史においても、外交面は欠かせないが、それは世界史のレベル次元では、島国という地政学的側面もあり、断然違うのである。
 また、日本史を選択する生徒は、大方、“感情”でそれを決めてもいようかと思う。自身のよって立つ日本民族のルーツを学ぶ、周りには、京都や鎌倉といった町もあり、幼児期から昔話やら歴史ドラマを空気のように吸っても育つ、その延長線上で、一種、“娯楽感覚”で、あまりしんどさを感じずに学べる“国内旅行感覚”で、高校2~3年の歴史就学旅行気分のものでもある。
 それに対して、世界史を選択する生徒は、だいたいは、非感情、無機質的心、また、大袈裟な言い方だが、(うわ)っ面“理性”で選択するというのが、昭和世代の私自身の10代を鑑みて、なお、平成・令和の高校生の心理を加味しての感想でもある。世界史を学ぶメンタルは、ある意味で、リアル感がない、正直なところ、数学や化学・物理を学ぶメンタルに比類する、その延長線上のものを感じてしまうのである。勿論、日本史を選ぶ生徒が感じる、覚える、戦国武将や幕末の偉人への尊崇や哀惜の念など、ナポレオンやビスマルク、さらに、チンギス・ハーンや康熙帝などに抱きようもない。例外でもあるが、教え子で東大文Ⅰから外務省に進んだS君のように、清朝時代のセミプロ{高校時代の応募懸賞論文で一位ともなった中国史の猛者}で、驚くべき知識を有する者もいたが、そうした生徒は皆無である(英精塾内では)。彼は、外務省にキャリア組で入った際、祝いの食事の席で、「将来は、韓国や中国の大使になりたい」と話してもいた。
 
 日本史は、時代小説的、その延長で学ぶ、一方、世界史は、歴史小説的、その延長で学ぶ、それが、高校生の歴史学習の心象風景でもあろうか?{この時代小説と歴史小説の違いが分からない方はこの表現が理解できないであろう}
 
 政府は、どうも、日本史世界史というものを結び付けよう、歴史としての科学の目線を養わせよう、少しでも、大人になって、社会人ともなり、その学んだ歴史の教訓(≒知識)を生かして欲しいなどなど、高邁にして深慮なる意図・方針があるようだが、それは無理というものである。
  「理系企業に進んでも、高校物理高校化学の二刀流で行け」と、助言するに等しい。それは、島津製作所からノーベル賞を受賞した、サラリーマンノーベル賞受賞者田中耕一氏の如くになれというに等しい困難なる理想というものである。彼は、東北大学で物理系の電子工学を学ぶ。そして、ソニーが第一志望でもあったが、入社かなわず、島津製作所に入社する。その後、自身の経歴とは畑違いの化学系の部署に配属、そして、その部署での研究成果が、ノーベル化学賞に結びついた。近年では、本来の物理系の研究に立ち戻り、二回目のノーベル物理学賞に近い研究成果をあげているとのこと。こうした、物理・化学の二刀流研究者は、日本史と世界史の二刀流に近いものがある。こうした人材を求むるは、英語と中国語、英語とスペイン語、そのトリリンガルになれと言うに等しい。
 
 やはり、私自身の歴史経験を踏まえて、身内とも言える日本史と赤の他人である世界史を融合させて、学ぶ(歴史総合)というのは、一般高校生にとっては、生理的、心理的、難しいカリキュラムと言わざるをえない。まあ、当り障りなく、現場の高校生は、なんとなく、要領よく、高校1年の段階で処理している模様である。
 
 日本人同士の結婚、それが、日本史選択日本人と外国人の国際結婚、それが、世界史選択といってしまうと、暴論にして極論でもあろうか。自己とその対象(歴史)とのコミュニケーション、それを忘れると家庭内崩壊、離婚とあいなるのは、何も、歴史という教科に止まらないのである。

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