コラム
大器晩成ならぬ<社会大成>型とは?
本年度は、3月のワールドベースボールクラッシックの優勝で始まり、12月の大谷翔平のドジャース移籍で終わるかに見えたが、日本を代表する投手、オリックスの山本由伸のドジャース移籍というおまけまでついた。大谷翔平が、ドジャースでなければ、山本もヤンキースやメッツにいっていたであろう。勿論、WBCの日本の優勝の最大の功労者は、この大谷翔平、そしてダルビシュ有であるのは言うまでもないが、さらに、その根底を支えた陰徳の栗山英樹監督が最大の功労者とも言える。
さて、テーマはこの山本由伸である。この3年連続投手4冠をなしとげ、しかも、投手最高の栄誉沢村賞を3年連続で受賞、そして、大谷を除く、日本人最高額でドジャースと契約したこのオリックスのエースは、ドラフト4位での入団である。奇遇と言うか、不思議といおうか、同じオリックスからメジャーで大成功したイチローも4位である。このドラフト4位の山本とイチローという選手を鑑みたとき、高校までの、その実績というものは、各球団のスコアラーというリクルーター達には、見抜けぬ資質でもあった。
このアスリートに関しての、その資質・能力といったものを判別する、他球団のフィルターには、この山本やイチローの高校までの経歴は引っかからなかったということでもあろうか?この選手の将来像を見抜く眼力というものは、会社の人事部の一番の要諦ともいえる。
これは、学校、特に初等・中等教育における勉学というものにも当てはまる。
先日、NHKのプロフェッショナルというで『現代の魔法使い 落合陽一』の特集を観た。この落合陽一は、番組内では、現代の、大活躍をクローズアップしてもいたが、彼の、少年時代、言わば中高時代には一切言及されていなかった。
知る人は、知ってもいようが、彼の父は、バブル時代アサヒスーパードライのCMで有名になって国際ジャーナリスト落合信彦である。家庭環境は、広尾に住むなど、恵まれてもいた。子ども時代にパソコンを買い与えられ、それがその後の人生を決めた。この点、ホリエモンこと堀江貴文も久留米大附設中学に入ると、パソコンを買ってもらい、それが彼の人生を決めた例と酷似する。落合は、その後中学受験で開成中学に入る。その6年間は、勉強という範疇では、昼行燈でもあったのだろうか、その後東大受験を失敗する、浪人後、筑波大へと進む。高校から大学受験のルートとしては、ちょうど、ドラフト4位の山本由伸やイチローを想起させもする。
この筑波大へ進んだ運命、その学科が、少年期に種を蒔いたあのデジタル気質か、理数系資質に火をつけた。ちょうど、イチローが少年時代に、父とバッティングセンターで毎日140キロ以上のスピードボールを打ち返していた猛特訓が、落合少年の原風景とダブっても見えてくる。落合にしろ、ホリエモンにしろ、恐らく、学業は二の次、この好きなものとの日がな毎日寝食を共にしていたことが、その後、その<蒔いた種>が開花する。落合にしろ、山本にしろ、イチローにしろ、この十代後半は、自身の資質が花広くまでの潜伏期間ともいっていい時期だった。この期間は、大学受験という試験ペーパーテストでも、球団のスコアラーの目にも、引っかからないのは、当然と言えば、当然でもあろう。
彼らは、大器晩成ならぬ、<社会大成>型ともいって類型に属する。これを見抜くは、運をどう引き寄せるかと同じくらいに、むずかしい、超ハイレベルな洞察力を持つことが、その組織人の必須の要件ともなる。
アスリートの世界であれ、研究者の世界であれ、ビジネスマンの世界であれ、矛盾するようだが、或る目標に、余力を有し向かうという、非常に微妙なる鍛錬の奥義のようなことが、人生論を分母とした探求道にも該当するような気がするのである。この事を次回、また、違った観点から語ってみたい。(つづく)
さて、テーマはこの山本由伸である。この3年連続投手4冠をなしとげ、しかも、投手最高の栄誉沢村賞を3年連続で受賞、そして、大谷を除く、日本人最高額でドジャースと契約したこのオリックスのエースは、ドラフト4位での入団である。奇遇と言うか、不思議といおうか、同じオリックスからメジャーで大成功したイチローも4位である。このドラフト4位の山本とイチローという選手を鑑みたとき、高校までの、その実績というものは、各球団のスコアラーというリクルーター達には、見抜けぬ資質でもあった。
このアスリートに関しての、その資質・能力といったものを判別する、他球団のフィルターには、この山本やイチローの高校までの経歴は引っかからなかったということでもあろうか?この選手の将来像を見抜く眼力というものは、会社の人事部の一番の要諦ともいえる。
これは、学校、特に初等・中等教育における勉学というものにも当てはまる。
先日、NHKのプロフェッショナルというで『現代の魔法使い 落合陽一』の特集を観た。この落合陽一は、番組内では、現代の、大活躍をクローズアップしてもいたが、彼の、少年時代、言わば中高時代には一切言及されていなかった。
知る人は、知ってもいようが、彼の父は、バブル時代アサヒスーパードライのCMで有名になって国際ジャーナリスト落合信彦である。家庭環境は、広尾に住むなど、恵まれてもいた。子ども時代にパソコンを買い与えられ、それがその後の人生を決めた。この点、ホリエモンこと堀江貴文も久留米大附設中学に入ると、パソコンを買ってもらい、それが彼の人生を決めた例と酷似する。落合は、その後中学受験で開成中学に入る。その6年間は、勉強という範疇では、昼行燈でもあったのだろうか、その後東大受験を失敗する、浪人後、筑波大へと進む。高校から大学受験のルートとしては、ちょうど、ドラフト4位の山本由伸やイチローを想起させもする。
この筑波大へ進んだ運命、その学科が、少年期に種を蒔いたあのデジタル気質か、理数系資質に火をつけた。ちょうど、イチローが少年時代に、父とバッティングセンターで毎日140キロ以上のスピードボールを打ち返していた猛特訓が、落合少年の原風景とダブっても見えてくる。落合にしろ、ホリエモンにしろ、恐らく、学業は二の次、この好きなものとの日がな毎日寝食を共にしていたことが、その後、その<蒔いた種>が開花する。落合にしろ、山本にしろ、イチローにしろ、この十代後半は、自身の資質が花広くまでの潜伏期間ともいっていい時期だった。この期間は、大学受験という試験ペーパーテストでも、球団のスコアラーの目にも、引っかからないのは、当然と言えば、当然でもあろう。
彼らは、大器晩成ならぬ、<社会大成>型ともいって類型に属する。これを見抜くは、運をどう引き寄せるかと同じくらいに、むずかしい、超ハイレベルな洞察力を持つことが、その組織人の必須の要件ともなる。
アスリートの世界であれ、研究者の世界であれ、ビジネスマンの世界であれ、矛盾するようだが、或る目標に、余力を有し向かうという、非常に微妙なる鍛錬の奥義のようなことが、人生論を分母とした探求道にも該当するような気がするのである。この事を次回、また、違った観点から語ってみたい。(つづく)