コラム
超進学校の校長も英精塾の考えと基本的には同じ!
日本経済新聞(2018年8月20日)の教育欄で、前浦和高校校長杉山剛士氏が、投稿されていた“『大学入試試験での民間英語検定試験活用』の問題点”の中の抜粋を紹介します。これは、英精塾の基本的考え、また、当コラムで私が一貫して主張している主旨の高校現場ヴァージョンでもあるからです。
第一の問題は、英語4技能とりわけスピーキング能力を選抜試験で問うことの妥当性である。
推進派の理屈はこういうものだろう。日本人は長期間、学校で英語を学んでいるのにしゃべれない→それは文法や読解中心の英語教育に原因がある→このままではグローバル化に対応できない→学校の英語教育を変えるには大学入試を変えることだ→そうすれば英語がしゃべれるようになる。果たしてこれは妥当か。
日本人が英語をしゃべれないのは、母語で日常生活を送ることができるからである。我々は日本語で考え日本語で話す。しかし必要性が出てくれば英語で考えて英語で話すようになる。ただ必要性にもレベルがある。高度な外交交渉から学術的論議、ビジネス会話、接客対応まで、要求されるレベルは様々である。
宇宙飛行士の若田光一さん{県立浦和高校出身}に必要だったのは、まさに高度な英語力だった。20歳代後半、米国へパイロット研修に行く。管制官とのやりとりを全く聞き取れず絶望する。しかし、そのやりとりを録音し、日夜聞き返すことで、半年後には鮮やかに聴き取れるようになったという。「語学習得に大事なのは、なぜ学ぶのかという目的意識と、努力しようとする強い気持ちだ」と語る。
高校で培う英語力は、各自が必要に迫られたときに自学自習できる意欲と基礎的な4技能を準備しておくことだ。その際に、表面的な英会話力に目を奪われるのではなく、文法も含め相手の主張を深く理解する力や論理的に批判する力もなおざりにすべきではない。
私が校長を務めた埼玉県立浦和高校では英国の姉妹校に留学し、そのまま現地大学に進学する生徒が多数いた。彼らは口をそろえてこう言った。「話す力はおのずと身に付くが、それは日本でしっかりと読解力を身に付けていたからだ」
そもそも大学入試において、英語の4技能を課す意味は何か。入学段階で4技能、特にスピーキング能力を身に着けておくことが、その後の教育を受ける際に必要かどうかということである。(一部抜粋箇所){太字や下線は筆者が編集}
以上が、杉山前校長の一番主張したい箇所であろう。このように、埼玉の県立の超進学校のケーススタディーというものを政府は、一切鑑みず、世の、英語の負け組の声のみを聞き入れ、文科省、そして時の政権の都合のいいように、改悪しているというのが、今般の2020年の英語大改革というものです。今、最も活躍されている知の巨人、佐藤優氏も県立浦和高校出身で、12歳から英語を始め、ロシア語など語学の達人として有名ですが、彼自身も、旧来の文法・訳読の英語学習を擁護されている賢人の一人でもある。
これは、生徒、また一部のご父兄にもお話しする譬えですが、中等教育における英語は、三匹の子豚の長男の藁の家、次男の木の家を目指してはいけない。三男のレンガの家を目指すべきである。また、砂場遊びで、幼児たちでも、より高い山を作る際に、どれだけ土台を広く時間をかけて踏み固めた子供が、他の友人が「わあ!できたぞ!」と騒いでいても、「お前、まだできないのか?」と馬鹿にされようとも、もくもくと時間をかけて、結局は高い山を築けるのと英語教育は同義である真理を文科省の役人は、分かっていない愚者でもある。文法・読解というしっかりした基盤の上に、リスニング、そしてスピーキングというものが乗っているといういたって易しい真実さえも、英語リベラル派(英語改革推進派)は分かってはいないのである。
この三匹の子豚の例は、拙劣・卑近でもあるので、もう少しレベルを上げて申し上げるとします。藁の家を作る技術は、日曜大工程度の代物です。わざわざ学校で科目として学ぶレベルではない{※これは留保をつけておきます}。木の家を作る能力は、2級建築技師の資格に該当します。やはり、緻密な計算に基づいて、設計し、そして、職人さん的人物による普請が必要です。これが英精塾でいう初級文法(英検2級レベル)です。さらに、レンガの家を建てるには、1級建築技師の資格を要します。これは、東大京大の英語から英検1級レベルの英語を完璧に読み込める技能です。これが、中級文法というものです。これは英精塾の高校クラスで徹底的に教え込みます。
英精塾の理念でもありますが、高校段階では、<読み>・<書き>を徹底してやればいいだけの話である。それは、中級文法・構文・読解・英作文のことです。<話し>・<聞く>は、自身の目標や目的といった方向性が定まった時点で湧き上がってくる動機{※これを私は、実用英語へのロイター板と称している}というものがなければ、真には身に付きはしないということを強調しておきたいと思います。
以上のケースで似たような話を当塾の生徒を前にするのですが、それは以下のようなものです。
「例えば、君たちのお父さんが商社マンだったとしょう。君は、まだ小学校1年だとします。お母さんもいて、おばあちゃんも80歳でいるとします。父の仕事でニューヨークに数年赴任することになったとします。勿論、お父さんやお母さんは、‘そこそこの大学’を出て、ある程度英語{※文法や読解が英精塾の規定に沿うレベルのことです}ができるものとします。おばあちゃんは、昭和ヒトケタの戦前の尋常小学校くらいで、全く英語などやっていない人だとします。そのおばあちゃんは、半年、1年とその街に住んでいれば、“この野菜、もっとまけてくれる?”“郵便局はどこかね?”“頭が痛いんじゃけど、一番効く薬は何かありますか?”このような日常会話は、おのずと身に付け、生活に不便することのない、一種トラベル英会話程度の英語は習得できることでしょう。しかし、そのおばあちゃんは、英字新聞やニュース番組など読むことも聞くこともできず、ちんぷんかんぷんで4,5年後に帰国する羽目になるでしょう。それは、英精塾で強調している、読解と英文法をやってこなかったからです。そうなのです、君たちが今やっている高校英語こそ、しっかり身に付けたものにとって、知的な英文や高度の内容の英語を理解できる武器になるのです。これこそ、三匹の子豚のレンガの家でもあり、おばあちゃんの英会話は藁の長男の家でもあるのです。そして、君が5年生になってはいますが、まだ、ニューズウィークやタイムなど当然読める段階ではありません。君の英語は、せいぜい次男の木の家に該当する英語力なのです。ここの、英語の学び方の真のルートを伏せて、即、‘使える英語’だの、‘生きた英語’だのほざいているのが、文科省の方針なのです。いや、一部の私立や公立の学校も同様です。君たちが、どちらを信じるか、英精塾に在籍していることが、それを証明してもいますね?(笑)」
「あと、もう一点、藁の家の英語だったら、中学3年レベルの英語を完璧にマスターすれば用足りるのです。木の家の英語なら、英検2級レベルの英語を能動的に操れば、自在になるのです。はっきり言いますが、現在の高校生の6割くらいに、再度、中学の教科書を暗唱させれば、‘使える英語’の初段くらいはゲットできるのです。中学の英語を中途半端なまま、高度な高校英語へと進むことが、出来ない生徒を輩出する一番の原因とも言えましょう。(笑)」
先日(2018年9月6日)、東京英語村なるものが、開業されたとニュース番組で報じていましたが、小学生から高校生まで‘生きた英語’を現場体験させて身につけさせるといったものでした。
キッザニアの英語バージョン的な施設との感想を受けました。飛行機の機内や飲食店をリアルに真似たセットの中で、ネイティヴ・スピーカーが模擬英会話を実践しているものでした。こうした施設に我が子を通わせる親御さんは、恐らく、ECCやイーオンなどの英会話スクールに通わせる部族であろうと推察されます。例えば、或る子供が、レストランや機内で接待を受けた際の、英会話での応じ方を身に付け、東京オリンピックのボランティアの要員を輩出する目的もあるとのことです。客の立場で、何も英語で流暢に話す必要などないのです。こちらがお金を払ってサービスを受ける側なのですから。メニューなりを指で指せばいいだけの話です。問題は、そのテーブルで、アメリカ人の商談相手や、イギリス人の知人と内容の濃い話しを食事の際に丁々発止できる能力こそ、必要なのです。こんな施設で、大金をはたいて藁の家程度の英語を身に付けたとしても、オリンピックの宴の後は、それは、幼稚園に進んだ4歳児にとっての哺乳瓶、乳母車、チャイルドシート程度のものに成り下がるのがおちです。
「学校と違った英語を学べました」とある高校1年くらいの男子がインタビューに応じていましたが、「それは、当たり前だろう!それは、習字とペン習字くらい違うんだ!油絵と色鉛筆くらいに別のものなのだ!」と叫ぶたくもなった次第です。
“そもそも生きた英語だと?”では、“死んだ英語などあるのだろうか?”と質問してみたくもなります。‘使える英語’も同様です、‘使えない英語’とは何ぞや?これ以上は、踏み込みません。このように、まっとうな浦和高校で実践している英語を必死に学んでいる高校生と東京英語村に足しげく通う高校生、どちらが、まっとうな英語道を歩んでいる少年か?このコラムをお読みになられているご父兄の方なら当然わかるはずです。
第一の問題は、英語4技能とりわけスピーキング能力を選抜試験で問うことの妥当性である。
推進派の理屈はこういうものだろう。日本人は長期間、学校で英語を学んでいるのにしゃべれない→それは文法や読解中心の英語教育に原因がある→このままではグローバル化に対応できない→学校の英語教育を変えるには大学入試を変えることだ→そうすれば英語がしゃべれるようになる。果たしてこれは妥当か。
日本人が英語をしゃべれないのは、母語で日常生活を送ることができるからである。我々は日本語で考え日本語で話す。しかし必要性が出てくれば英語で考えて英語で話すようになる。ただ必要性にもレベルがある。高度な外交交渉から学術的論議、ビジネス会話、接客対応まで、要求されるレベルは様々である。
宇宙飛行士の若田光一さん{県立浦和高校出身}に必要だったのは、まさに高度な英語力だった。20歳代後半、米国へパイロット研修に行く。管制官とのやりとりを全く聞き取れず絶望する。しかし、そのやりとりを録音し、日夜聞き返すことで、半年後には鮮やかに聴き取れるようになったという。「語学習得に大事なのは、なぜ学ぶのかという目的意識と、努力しようとする強い気持ちだ」と語る。
高校で培う英語力は、各自が必要に迫られたときに自学自習できる意欲と基礎的な4技能を準備しておくことだ。その際に、表面的な英会話力に目を奪われるのではなく、文法も含め相手の主張を深く理解する力や論理的に批判する力もなおざりにすべきではない。
私が校長を務めた埼玉県立浦和高校では英国の姉妹校に留学し、そのまま現地大学に進学する生徒が多数いた。彼らは口をそろえてこう言った。「話す力はおのずと身に付くが、それは日本でしっかりと読解力を身に付けていたからだ」
そもそも大学入試において、英語の4技能を課す意味は何か。入学段階で4技能、特にスピーキング能力を身に着けておくことが、その後の教育を受ける際に必要かどうかということである。(一部抜粋箇所){太字や下線は筆者が編集}
以上が、杉山前校長の一番主張したい箇所であろう。このように、埼玉の県立の超進学校のケーススタディーというものを政府は、一切鑑みず、世の、英語の負け組の声のみを聞き入れ、文科省、そして時の政権の都合のいいように、改悪しているというのが、今般の2020年の英語大改革というものです。今、最も活躍されている知の巨人、佐藤優氏も県立浦和高校出身で、12歳から英語を始め、ロシア語など語学の達人として有名ですが、彼自身も、旧来の文法・訳読の英語学習を擁護されている賢人の一人でもある。
これは、生徒、また一部のご父兄にもお話しする譬えですが、中等教育における英語は、三匹の子豚の長男の藁の家、次男の木の家を目指してはいけない。三男のレンガの家を目指すべきである。また、砂場遊びで、幼児たちでも、より高い山を作る際に、どれだけ土台を広く時間をかけて踏み固めた子供が、他の友人が「わあ!できたぞ!」と騒いでいても、「お前、まだできないのか?」と馬鹿にされようとも、もくもくと時間をかけて、結局は高い山を築けるのと英語教育は同義である真理を文科省の役人は、分かっていない愚者でもある。文法・読解というしっかりした基盤の上に、リスニング、そしてスピーキングというものが乗っているといういたって易しい真実さえも、英語リベラル派(英語改革推進派)は分かってはいないのである。
この三匹の子豚の例は、拙劣・卑近でもあるので、もう少しレベルを上げて申し上げるとします。藁の家を作る技術は、日曜大工程度の代物です。わざわざ学校で科目として学ぶレベルではない{※これは留保をつけておきます}。木の家を作る能力は、2級建築技師の資格に該当します。やはり、緻密な計算に基づいて、設計し、そして、職人さん的人物による普請が必要です。これが英精塾でいう初級文法(英検2級レベル)です。さらに、レンガの家を建てるには、1級建築技師の資格を要します。これは、東大京大の英語から英検1級レベルの英語を完璧に読み込める技能です。これが、中級文法というものです。これは英精塾の高校クラスで徹底的に教え込みます。
英精塾の理念でもありますが、高校段階では、<読み>・<書き>を徹底してやればいいだけの話である。それは、中級文法・構文・読解・英作文のことです。<話し>・<聞く>は、自身の目標や目的といった方向性が定まった時点で湧き上がってくる動機{※これを私は、実用英語へのロイター板と称している}というものがなければ、真には身に付きはしないということを強調しておきたいと思います。
以上のケースで似たような話を当塾の生徒を前にするのですが、それは以下のようなものです。
「例えば、君たちのお父さんが商社マンだったとしょう。君は、まだ小学校1年だとします。お母さんもいて、おばあちゃんも80歳でいるとします。父の仕事でニューヨークに数年赴任することになったとします。勿論、お父さんやお母さんは、‘そこそこの大学’を出て、ある程度英語{※文法や読解が英精塾の規定に沿うレベルのことです}ができるものとします。おばあちゃんは、昭和ヒトケタの戦前の尋常小学校くらいで、全く英語などやっていない人だとします。そのおばあちゃんは、半年、1年とその街に住んでいれば、“この野菜、もっとまけてくれる?”“郵便局はどこかね?”“頭が痛いんじゃけど、一番効く薬は何かありますか?”このような日常会話は、おのずと身に付け、生活に不便することのない、一種トラベル英会話程度の英語は習得できることでしょう。しかし、そのおばあちゃんは、英字新聞やニュース番組など読むことも聞くこともできず、ちんぷんかんぷんで4,5年後に帰国する羽目になるでしょう。それは、英精塾で強調している、読解と英文法をやってこなかったからです。そうなのです、君たちが今やっている高校英語こそ、しっかり身に付けたものにとって、知的な英文や高度の内容の英語を理解できる武器になるのです。これこそ、三匹の子豚のレンガの家でもあり、おばあちゃんの英会話は藁の長男の家でもあるのです。そして、君が5年生になってはいますが、まだ、ニューズウィークやタイムなど当然読める段階ではありません。君の英語は、せいぜい次男の木の家に該当する英語力なのです。ここの、英語の学び方の真のルートを伏せて、即、‘使える英語’だの、‘生きた英語’だのほざいているのが、文科省の方針なのです。いや、一部の私立や公立の学校も同様です。君たちが、どちらを信じるか、英精塾に在籍していることが、それを証明してもいますね?(笑)」
「あと、もう一点、藁の家の英語だったら、中学3年レベルの英語を完璧にマスターすれば用足りるのです。木の家の英語なら、英検2級レベルの英語を能動的に操れば、自在になるのです。はっきり言いますが、現在の高校生の6割くらいに、再度、中学の教科書を暗唱させれば、‘使える英語’の初段くらいはゲットできるのです。中学の英語を中途半端なまま、高度な高校英語へと進むことが、出来ない生徒を輩出する一番の原因とも言えましょう。(笑)」
先日(2018年9月6日)、東京英語村なるものが、開業されたとニュース番組で報じていましたが、小学生から高校生まで‘生きた英語’を現場体験させて身につけさせるといったものでした。
キッザニアの英語バージョン的な施設との感想を受けました。飛行機の機内や飲食店をリアルに真似たセットの中で、ネイティヴ・スピーカーが模擬英会話を実践しているものでした。こうした施設に我が子を通わせる親御さんは、恐らく、ECCやイーオンなどの英会話スクールに通わせる部族であろうと推察されます。例えば、或る子供が、レストランや機内で接待を受けた際の、英会話での応じ方を身に付け、東京オリンピックのボランティアの要員を輩出する目的もあるとのことです。客の立場で、何も英語で流暢に話す必要などないのです。こちらがお金を払ってサービスを受ける側なのですから。メニューなりを指で指せばいいだけの話です。問題は、そのテーブルで、アメリカ人の商談相手や、イギリス人の知人と内容の濃い話しを食事の際に丁々発止できる能力こそ、必要なのです。こんな施設で、大金をはたいて藁の家程度の英語を身に付けたとしても、オリンピックの宴の後は、それは、幼稚園に進んだ4歳児にとっての哺乳瓶、乳母車、チャイルドシート程度のものに成り下がるのがおちです。
「学校と違った英語を学べました」とある高校1年くらいの男子がインタビューに応じていましたが、「それは、当たり前だろう!それは、習字とペン習字くらい違うんだ!油絵と色鉛筆くらいに別のものなのだ!」と叫ぶたくもなった次第です。
“そもそも生きた英語だと?”では、“死んだ英語などあるのだろうか?”と質問してみたくもなります。‘使える英語’も同様です、‘使えない英語’とは何ぞや?これ以上は、踏み込みません。このように、まっとうな浦和高校で実践している英語を必死に学んでいる高校生と東京英語村に足しげく通う高校生、どちらが、まっとうな英語道を歩んでいる少年か?このコラムをお読みになられているご父兄の方なら当然わかるはずです。