コラム

戦前の、戦後の、そして平成以後の学生気質

 戦前の学生、尋常小学校から旧制中学に進むものは、3人に1、そしてさらに、旧制高校に進学する者は、その旧制中学生の10人に1であったともいう。そして、その旧制高校に付随して、旧帝国大学が作られてもいたため、その数はほぼ同じ、よって、旧制高校に進みさえすれば、自動的に、日本全国の、どこかしらの国立大学に進めたということでもあった。太宰治は、旧制弘前高校から東京帝国大学仏文科、吉行淳之介は旧制静岡高校から東京帝国大学英文科へ、それぞれ進むが、この両作家、中退でもある。戦前は、大学でははく、旧制高校が、輝いてもいた。小林秀雄など旧制一高の入試に落ち、一浪してもいる。戦後まもなく、大江健三郎も東大入試で一浪を経験している。今とは、比べものにならないくらい、高等教育への関門は難儀を極めた。エリート性という意味で、現代の東大生より、質的には遥か上だったということでもあろう。この旧制高校生は、全寮制でもあり、親睦を深めるという意味以上に、教養を積んだ期間でもあった。それも、ほとんどが書籍、いわば、紙の本である。映画や演劇も確かにあったにしろ、現代の比ではなかった。読書と友人との議論が、戦前の学生の、知の源泉でもあり、それが彼らの人格を陶冶してもいた。
 
 戦後のアメリカ式の633制のシステムになるや、あの旧制高校の立ち位置が、大学ともなった。戦前の大学は、今の大学院(修士課程)くらいの位置づけともいいっていかと思う。ここで、旧制中学(5年)と戦後の中学高校の6年がかぶってもくる戦後ベビーブーマー世代{団塊の世代:ビートたけしの足立中学時代は一学年18クラスもあり、教室内に入れない生徒は数名廊下で授業を聴いていたというくらい、笑えない当時の状況がしのばれる}で、中学受験以上に高校受験、高校受験以上に大学受験が激戦を極める受験競争・受験戦争・受験地獄を現実のもの、メディアの発展でクッキリとさせる時代が到来する。その昭和30年から40年代、そして50年代は、まさしく、予備校や塾が、燎原の火の如く、百花繚乱の教育環境に現出する。ここで、余談でもあるが、あの養老孟司でさえ、栄光学園に入るのに、昭和20年代でも猛勉強せざるを得ない現実があったそうである。これは、戦前も、庶民、大衆のうかがいしれないところで、受験競争のバトルがあったことは想像に難くはない。因に、この教育環境を改善したいとい目論見で、平成前半に、ミスター文部省寺脇研氏が、評判の悪かった<ゆとり教育>を導入したのである。
 
 さて、この戦後世代、安保闘争や学生運動、反ベトナム戦争運動など、その世代の学生は、政治にも目覚める時期であった。この戦後の学生は、旧制高校生が、特に、書籍に知の拠り所を求めていたのに対して、様々な知的泉に覚醒する。演劇、フォークからロック音楽、映画など、サブカルの担い手、主役に躍り出る。その走りが、テレビというメディアでもある。テレビ創成期、様々な文化人が、サブカルを育ててもいった。言わずと知れた、早稲田派文化人である。永六輔、大橋巨泉、野坂昭如、五木寛之、そして、現在のタモリにいたるまで、テレビに代表されるサブカルを確立した人々である。彼らに共通するのは、早稲田を中退した経歴の持ち主である。そこから、早稲田は、卒業3流、留年2流、そして、中退1流というブラックな標語が生まれる所以ともなった。これは、旧帝大を卒業し、大手企業や官庁へ就職する、サラリーマン就職成功コースへの当てつけ、アンチテーゼでもあったような気がする。生き方の多様性の先鞭者たちである。
 
 さて、昭和40年から50年代に、世にいう、ミュージック界の4大天才が出現する。陽水(何度も歯科大受験に失敗、その最中デビュー)、みゆき(高校から大学時代コンテストあらしでその後、ヤマハポプコンでメジャー)、ユーミン(高校生でデビューするが多摩美に進む)、桑田(青山学院を中退し、メジャー)である。彼らは、或る知識人、倉本聰だったかと思うが、従来の、戦前までの、詩や小説といった才能を有した者が、弾き語り、作曲、作詞にも関わり、そうした複合的素質が自己の内面で花開いた人種だとする説である。当然、欧米の若者文化の影響により、日本のサブカルが形成されてもいったという。アニメ以前の、漫画の世界も、手塚治虫の“弟子”として、戦後、日本の漫画界を牽引した、その後、日本アニメのビッグバーンとして、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄たちが誕生してもくる。この三人は、大学なんぞは行かず、独学で<アカデミック>を習得してもいったと言える。生涯、あらゆるものをヒントに名作を描いていった。
 
 ここで、注意すべきは、戦後、特に大学生という身分は、その4年間が、キャンパス以外で、自己の本質を発見するモラトリアムの時代となったことである。大学での授業は、卒業という肩書、それすらも不要の者で、学生時代に、自身の<ライフワーク>を見つけた者は、大学を去った。恐らく、大学などという場は、理系でもなければ、あるいは、学者を目指すのでなければ、自己の人生に向き合える“天職”を見つける場でもあった。大学4年で就活をして、どこそこかの企業に就職する者は、意地悪い見方をすれば、その4年間で、<自分が人生を捧げるもの>、<お金以前の打ち込めるもの>、それが見つからなかった者である、皮肉にもそうとも言われたことがあった。世の多くのミュージシャンは、山下達郎にしろ、竹内まりやにしろ、桑田佳祐にしろ、皆、大学中退組である。20歳そこそこで、自身の“天職”に巡り遇った、気づいた、飲み込まれていった連中でもある。
 
 このように、戦後、昭和のバブル期あたりまで、大学とは、文系に限って言えば、学ぶ場ではなく、自身の打ち込める何かしらのものを探す、模索する、それに気づく、それに出会う場所にして期間でもあった。それは、旧制高校の学生が、授業そっちのけで、哲学や文学の本に没頭し、優秀な友人と社会や国家、世界について議論する、まさに、教養というものに出会い、気づき、少しでもそれを身に付けたいと渇望していた姿と対照的である。
 戦後の学生は、「書を捨て街に出よう」(寺山修司)のフレーズに象徴されるように、非アカデミックの荒野で、何らかの自己流の<人生の糧>を模索していたのが、昭和40年代以前の学生の肖像だったかもしれない。昭和の高度成長期以後、特に、平成以前の学生は、非キャンパスで学びをしていた。授業の教科書など適当に読んでレポート提出、しかし、好きな思想・哲学・文学・演劇などの本は、熱くなって、むさぼり読んだ、そうした世代でもあっただろうか。いや、右手に少年マガジン(劇画)左手にマルクス、そういう時代でもあった。寺山修司が“あしたのジョー”の主題歌の歌詞を書いたことが象徴的でもあった。
 
 では、平成も深まるにつれて、学生気質はどう変わったか?当然、少子化と大学の大衆化の要因は大きい。我々昭和世代に比べ、今の学生は、授業で支持されたテキストはまじめに読み、こまめにレポートを提出する。しかし、その教授なりが、そのテキストの周辺、関連する参考文献、いわゆる書籍を、これは読んでいた方がいいというアドバイスをした本は一切読まない、これも、知のコスパというものだろう。知にはコスパなどありはしないのに。授業はきちんと出席する。提出ものは忘れない。しかし、授業で習った事項を、自ら膨らませる、拡張させる、深めるという、知の自助努力がまったくない。大学が、高校の授業、専門学校のそれとかわりない。それでいて、キャンパス以外では、ほとんどがアルバイト稼業に勤しむ、これも致し方ない、学費の急上昇と趣味の多彩さ、そして、親の年収の激減など間接要因が介在してもくる、致し方ない。更に、大学経営上、学生はお客様ともなってきた。オープンキャンパスだの、総合選抜(学生の青田買い)だの、高校生を甘やかし、子ども扱いでもある。
 
 映画全盛期、そして、テレビの絶頂期、俳優、歌手、タレントなど、まず学生の身分で芸能の世界に踏み込み、20代後半、30代で目を出す、そうした経歴のものがほとんどであった。今、芸能界を概観すれば、旧ジャニーズ事務所系アイドルにしろ、AKBや乃木坂にしろ、まず、アイドルとして芽を出した者が、わざわざと大学に行く、それも有名大学に、学びは大切だといった表面的台詞を吐いて進む時代である。これも、いざ、売れなくなったら、また、二刀流の経歴で、生き残りたいなど、様々な姑息な、戦略的要因もあるだろう、芸能の世界では、大学中退とは、真逆のベクトルが精神を支配してもいるのであろう。そうしたバカバカしさに、気づいたのが、岡田将生(亜細亜大学中退)、松たか子(亜細亜大学一芸入試で入り、その後中退)であり、欽ちゃんこと、萩本欽一(駒澤大学仏教学部社会人枠で入学し、4年で中退)であり、アズマックスこと、東貴博(駒澤大学法学部社会人枠で入学し、3年で中退)でもあろう。その芸能の世界というものは、ある意味、自己のゆるぎない学びの精神さえあれば、わざわざ、理系でもないかぎり、弁護士や公認会計士にでもなるのでなければ、大学など不要なのである。岡田にしろ、松にしろ、萩本にしろ、東にしろ、自身の<芸>の中に、学びが存するということに気づいた連中でもあろう。
 但し、断ってもおくが、最近、相川七瀬が、40代後半で国学院大学を卒業したり、松田聖子が、中央大学法学部を、60代で卒業したニュースが、メディア等を賑わわせてもいるが、人それぞれの動機・目的というものもあろうかと思うが、いっぱしのミュージシャンや俳優、芸人が、自身の天職と大学というものを<学びと自身の成長>の観点から考えた時、大方、後者は不要と言えば語弊もあるかと思われるが、一般庶民の高校生が、大学を目指し、4年間を経て、卒業するという面で考えた時、様々なキャンパスライフに違いがあるというのが真実でもあろう。
 
 モネ、ルノワール、セザンヌといった、日本でいう尋常小学校卒くらいの大家が、晩年、世に認められながら、若かりし頃、入学かなわなかったエコール・デ・ボザールという日本の芸大に該当するアカデミック美術学校に、またソルボンヌ大学に、入学するようなものである。
 
 令和の学生が内発的に学ぶのではなく、外発的に学んでいる気質は、「先生!今週は課題(宿題)がないんですか?」という言葉が、大学の授業でよく聞かれる光景であることを鑑みると、はっきりしてもくる。大学と高校との違い、それは、前者は自身で課題を見つけ、独力で、その解が存在しないと問いと格闘することにある。そのことを、現代の高校生は、時代の空気、SNS社会、学びのコンビニ化・百金ショップ化、そうした要因で、大きく変質していることだけは断言できそうである。

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