コラム

努力する前に心得ておくべきこと

 前回に引用したラ・ロシュフコーの言葉、「謙遜とは二度褒められることだ」これを詳しく説明しましょう。
 一度目は、その人の能力、二度目は、その人の人格を、周囲の人々は、その人に讃辞を送る、この事実を、シニカルに指摘した箴言であります。
 
 私は、よく、教え子で、成績が伸びた、模試で偏差値が超上がった、志望大学に合格した、そうした生徒が「周りができなかったからです」「たまたまです」「運がよかったからです」などと謙虚な言葉を吐くと、「君は、自身の<能力>のほかに、<人間性>まで褒められたいのか?」と嫌み(?)っぽく、この言葉に言及するのです。それほど、日本人(だけ?)には、自身の才能はともかく、その努力にまでその成功の原因があったとは口にできない習性があるようです{アメリカ人や欧米人、中国人などに教えたこともないのでその国民性は測りかねますが}。
 これも、よく流布している格言でもあるようですが、「成功した人は、運のおかげにする。失敗した人は、運のせいにする。」といった言葉の背後にも、自身の、人格的側面の良い悪いは別として、謙虚さ、並びに、ものごとの成功の真実を言いあらわしてもいるようです。
 
 これは、自己啓発書などでよく見かける、比率です。「運が7割、才能が2割、そして努力が1割」(16才で東大に合格した男:カリス){※この言説、最近とみに有名で、注目されている橘玲氏の言説に似通っている!}といったものが、そうした成功者の真実を突いてもいようかと思います。この言葉は、「天才とは、1%の閃きと99%の努力である」(エジソン)とセットに中高生に投げかけて議論させると盛り上がるのではないかと思います。この発明王の言葉は、運(閃き)と汗(努力)を分母に、才能(天才)を分子にしている“ずるい”言説でもある。因に、この閃きを“才能≒天才”と見なす説・人もいるように思われます。
 
 ソフトバンクの孫正義などは、1990年代にたくさんの未上場株を購入、いわば、これだと思われる有望株を数百と購入し、その中の一つ、ヤフー株の株価上昇、これが、ソフトバンクの最大の投資会社としての“大きな一歩”と言われています。それを元手にボーダフォンを買収し、今のソフトバンクという携帯電話会社の礎を作ったのです。これなども、一種、“運”とも言える要因です。だから、この会社は、スマホ事業より今でも投資会社の本来の姿は不変なのです。株価の高騰と投資、そしてM&A、これは半数以上は、麻雀の強さ(強運)にも似ているやも知れません。<強い博徒>は、一種、<強運持ち>とも言われます。
 
 松下幸之助の、運というものへの執着心は有名です。
 
 ユニクロの柳井正も、まだ、中国がGDPで日本の下にいた頃、低賃金の中国工場と、日本社会の超デフレ(マックのバーガーが80円時代)の時代の趨勢という環境・恩恵があったればこそ、今の世界一のファーストファッション企業があるのです。これは、運もありましょう、いや、絶大です。彼の才能も当然ありましょう。しかし、五割以上は、環境・時代の波に乗った成功例です。
 だから、この孫や柳井の成功体験というもの、彼らの書籍を読んでも、「ビジネスのシンデレラ物語」を読んでも、成功を夢想するだけに終わる実業家・ビジネスマンが多いのです。
 皮肉なことに、『成功は一日で捨て去れ』(柳井正)、『成功はゴミ箱の中に~レイ・クロック自伝~』(孫正義・柳井正が推奨)など彼ら自身の書籍の題名から、他人の成功例など参考にはなりませんよと警告しているようなものです。彼らが実践しているモットーは、アントニオ猪木の、あの有名な言葉(※一休宗純のもの)でもあるのです。
 
 この道を行けばどうなるものか
 危ぶむなかれ
 危ぶめば道はなし
 踏み出せばその一歩が道となり
 その一歩が道となる
 迷わず行けよ
 行けばわかるさ
 
 こうした実業家たちの成功事例は、受験でも同じです。70代の祖父が東大に合格した頃(共通一次試験以前)、40代の父が、東大に合格した頃(センター試験)、そして、令和の時代に東大合格した令和の高校生(共通テスト)、それぞれ、時代や環境が違うのです。
 WBCに優勝した、王監督(王貞治のカリスマ性)、原監督(イチローのカリスマ性)、そして、栗山監督(大谷翔平のカリスマ性)の成功のケース・メソッドが違うのです。恐らく、次回のWBCの日本代表監督は、独自のメソッドで臨まなければなりません。
 運の強さとは、ある意味で、時代・世の中、こうした環境に愛される、その愛情度かもしれません。それは、今40代前半から50代初めにかけての就職氷河期を味わった世代は、その真実を痛感しているはずです。
 
 「歴史は繰り返す」これを、盲信している政治家は、判断を誤ります、いわば、将棋の悪手を指してしまいます。「歴史は、似たような事象が繰り返すに過ぎない」と冷めて、参考程度に弁えている政治家は、大方、誤判断は避けられます。将棋における最善手を指せます。
 よく、新高校3年生に向けて、前年度の有名大学合格者を、体育館や大きな教室で合格体験を語らせる進学校が多いと聞きます。また、大手予備校で、前年度の東大京大、国公立医学部合格者を檀上に上げて、彼らの勉強手法と当該の予備校の授業を宣伝します。CMでも有名な四谷学院のコピー「どうして私が東大に?!」も、“麻薬”の一種です。こうした合格体験などといった成功事例も、その現役高校生には、また、一浪生には、半数以上は、まず参考程度で心に仕舞っておくことの方が賢明というものです。
 
 個人的ながら、高校生の頃、東北新幹線もない、大手予備校も仙台に進出していない時代、『私の東大合格作戦』(エール出版)を読んでは、その成功者の参考書や問題集をやっても、実績に結びつかなかった体験とこうした高校や予備校で行う新年度のセレモニーは同じであると、教育業界の片隅で、毎年教え子たちを入試の戦場に送り出している一塾講師として、ミクロにつくづく思うことです。私が、某進学校の校長ならば、前年度、どうして浪人をしてしまったのか、その体験を語らせるセミナーでも開きたいと思ってもいる。その、失敗の轍を避けるように、成功の小道を控えめに奨励するくらいの進路指導の方が、どれだけその学校の進学実績・合格実績として表れてもくるか、余りにもその真実に気づかぬ学校関係者や高校生があまりにも多い。
 
 これは、教え子によくいう事です。
「成功した人、合格した人、そうした種族の勉強手法を真似るより、失敗した人、不合格した人、そうした種族の、敗戦記の方が、自身のこれからの、勉強の海図となる。それは、船の座礁区域、危険水域を教えてもくれているからだ。武田家の信玄と勝頼から、自身の失敗、そして他者の失敗、これを一番の教訓とした武将、それが徳川家康でもある」と。
 
 それゆえ、ビジネス界、ビジネス書籍でも、近年、失敗関連の本がやたら目に付く。野中郁次郎の『失敗の本質』は、その古典とすらなっています。また、『失敗学のすすめ』(畑村洋太郎)なる本までも売れているようです。更に、『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった』なる偉人・天才などの失敗エピソードをふんだに掲載した書籍は、ベストセラーになるまで売れたことが数年前にありました。こうした現象も、皮肉まじりに言わせてもらえば、「他人の不幸は蜜の味」の牽強付会的心根「他人の不幸は栄養ドリンク」風に置き換えてもいいかと存じます。因に、“成功の本質”という本は、巷に見当たりませんが、実は、自己啓発本やビジネス書の類が、これなのです。こうした成功ハウツー本なるものは、健康食品、健康サプリと同じ類のものなのです。
 
 実は、努力とは、成功の顔を見て、励んではいけない。失敗の後ろ姿を教訓に努力の一歩に踏み出せということでもあるのです。(つづく)

 

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