コラム
早稲田と慶應のイメージ~影の要因~
『早稲田慶應 最強私学はどっちだ?』(週刊東洋経済 2019年5月11日号)
『早稲田と慶應の研究』(オバタカズユキ・小学館館新書)
『新OBネットワーク 早慶東大一橋名門校』(週刊ダイヤモンド 2019年7月13日号)
以上の3冊を読んでつくづく思ったことですが、時代が、政治よりも経済優先、いや、経済が政治を牛耳る時代{※国家よりGAFAが、サミットよりダボス会議が注目されるなど}であり、理念・主義より経済観念(コスパ思想)優先、内面よりも外見(みたくれ)優先、孤立よりも“表層的”集団主義(つるむ)優先、こうした要因が複合化し、早稲田と慶應の両方に合格した生徒の8割が慶應を選択するという行為の潜在意識に表れてもいるようです。つまり、時代の空気色が、慶應に優位に働いてもいることの証明ではないかと思われます。
また、これは、大学のブランドという影の要因が、その大学のイメージ度に大いに働いてもいるように思えてならないのです。これは個人的な見解でもあります。
その根本的な要因は、想像できる方、知識ある方ならおわかりかと思われますが、慶應大学には、戦前の学習院初等科とフランスにおけるグランゼコールなる存在があるからなのです。
戦前の学習院初等科は、白樺派の文豪から三島由紀夫に至るまで秀才の巣窟でもあり、また、華族の誉的小学校、多くの政治家や財界人の子弟が集う場所でもありました。戦後、華族の没落に比例して、この学習院初等科に代わり、慶應幼稚舎が、その準的役割を果たし、今でも、大企業の社長{トヨタ・サントリー・日清食品:意外や西日本系企業}は勿論、芸能人・スポーツ選手といったセレブのお子さんたちのメッカでもあってきたのです。近年、青山学院初等部が、それを猛追していますが、早稲田はその後塵を拝しています。この点こそ、戦前にはあった、ハイソの小学校のブランド的イメージが、慶應大学の大きなステイタスホルダーの要因ともなっているのです。裕福さと知的さの両イメージが纏わりつく初等教育機関として厳然と存在していることが早稲田にひとまず、こうしたイメージで格差をつけているポイントです。更に、この慶應幼稚舎こそ、慶應三田会の孵卵器・エンジンともなっているとさえ言えるのです。教育の低年齢化・教育格差の“象徴”でもあるのです。
第二に、慶應にはグランゼコールがあると申しました。それは、こういうことです。
フランスでは、真に優秀、真のエリートは、パリ大学などの大学には進まないという事実です。フランス人の傑出した学力を有する者は、エコールノルマル、エコールポリテクニック、ENA(国立行政学院)といった超エリート校に入学するという実態です。それは、東大の中の東大とも言われる理科Ⅲ類的存在に比況できます。フランス社会の大学のさらに上の存在が、グランゼコールであるように、私大の医学部の最高峰、慶應附属の高校生の秀才中の秀才だけが進学できる医学部、これこそ、慶應の‘グランゼコール’なのです。早稲田の慶應への最大のコンプレックス、それは、医学部にあるとされていますが、実は、そのイメージの根底は、早稲田の附属校の超優秀なエリートでさえ、人の命を左右する医学部という学部に進めないジレンマ、これが早稲田の鬱憤としてこれまでわだかまってきた大きなコンプレックスなのです。この医学部のステイタスシンボルの強さは、ノーベル賞受賞者でも、iPS細胞でノーベル生理医学賞を受賞した山中伸弥京大教授への視線に表れています。他のジャンルの受賞者と比較した場合の注目度・認知度・敬意度を挙げても明らかです。この慶應医学部は、近畿大学や東海大学の私大医学部とは、比較にならない知名度・難易度でもあります。それは、東大や京大の旧帝大医学部志望者と同列の学力を持つ受験生が、18歳で入学してくることも、医師の卵としての品質担保並びに、ブランドイメージにもなっているからでしょう。
ですから、慶應には、家柄の良さと学力の良さをイメージする初等教育の最高峰があり、さらに、高等教育の大学という機関の中でも、別格の医学部という“ブランド”をも有しもいる点、しかも、福沢諭吉プラス北里柴三郎という二人の巨人による設立というストーリー性、さらには、知る人ぞ知る、下山事件の総裁自殺説と他殺説の検証による医学界の名誉をかけたつばぜり合い{※松本清張の『日本の黒い霧』による}により旧帝大系医学部の最高峰東大医学部に挑んでいった私学の医学部の雄といったストーリー性、また、日本医師会のドン(絶対的権力者)であり、吉田茂の顧問医も務めた武見太郎も慶應医学部出身であったことなど、この慶應医学部のブランディングの要因は挙げればきりがないのです。
よって、慶應大学は、セレブの憧れとも言える慶應幼稚舎を有し、さらに、秀才・天才の梁山泊でもある“グランゼコール”ともいえる慶應医学部を持つ点、この2点こそ、早稲田大学が、早稲田実業初等部を近年開校しても、さらに、東京女子医大を将来取り込んで(合併して)早稲田大学医学部を設置したとしても、その大学イメージは、永遠にハンディとして存在し続けることとなるのです。
こうした二つの要因が基となり、司法試験や公認会計士の合格者数が、勝った・負けたといった次元では計れないレベルで、令和という時代になっても両者のイメージ格差は埋まらないでしょう。
さらに、最近の早稲田の方針は、ある意味、グローバル化を意識して、早稲田らしさが薄まり、個性のない大学に墜する傾向にあります。これは国際教養学部や文化構想学部に如実に表れてもいます。これは、センター試験から新テスト採用大学として、お国べったり大学(文科省より大学)という点でも、時代の空気を読んで、体制派へと舵を切っている“大船:マンモス大学”に思われます。しかし、慶應は、一見すると、イメージ的に国際派のように見えますが、意外や意外、カリキュラムにしても試験制度にしても、センター試験から距離を置き、独自の試験システムのみで学生を選抜してきた早稲田以上に教育に関しては“保守”{※ある意味内向きとさえ言えます}なのです。国や文科省から距離をおく独立自尊を貫く大学であり、生徒にわざわざグローバルや国際性など意識させない。慶應は自然体で、好きな人は英語をやればいいじゃん的主義、それに対して、早稲田は、英語はやんなきゃこれから大変的空気が蔓延しているようなキャンパスでもあります。上記の3冊から、早稲田は慶應や国際性{※大学の世界ランクが何位だの}というものを意識してはいるが、慶應は、早稲田もグローバリズムもあまり意識してはいない特性が伝わってもきます。
最後にSFCを意識して設置された、国際教養学部(2004年創設)という早稲田の失敗作(?)の学部から世に出て活躍されている人物と、SFC出身で活躍されている人物の数とを、2004年度から比較しても、その数は雲泥の差があることからも、この学部が、ある意味失敗作であることの証左にもなっていると言えます。秋田の国際教養大学のできそこない学部といった印象すら受けます。SFCを目指しながらも、現実は、上智大学の某学部の焼き増しになっている感が否めません。国際教養学部は、プチ上智が、早稲田キャンパスの中にあるようなものなのです。
『早稲田と慶應の研究』(オバタカズユキ・小学館館新書)
『新OBネットワーク 早慶東大一橋名門校』(週刊ダイヤモンド 2019年7月13日号)
以上の3冊を読んでつくづく思ったことですが、時代が、政治よりも経済優先、いや、経済が政治を牛耳る時代{※国家よりGAFAが、サミットよりダボス会議が注目されるなど}であり、理念・主義より経済観念(コスパ思想)優先、内面よりも外見(みたくれ)優先、孤立よりも“表層的”集団主義(つるむ)優先、こうした要因が複合化し、早稲田と慶應の両方に合格した生徒の8割が慶應を選択するという行為の潜在意識に表れてもいるようです。つまり、時代の空気色が、慶應に優位に働いてもいることの証明ではないかと思われます。
また、これは、大学のブランドという影の要因が、その大学のイメージ度に大いに働いてもいるように思えてならないのです。これは個人的な見解でもあります。
その根本的な要因は、想像できる方、知識ある方ならおわかりかと思われますが、慶應大学には、戦前の学習院初等科とフランスにおけるグランゼコールなる存在があるからなのです。
戦前の学習院初等科は、白樺派の文豪から三島由紀夫に至るまで秀才の巣窟でもあり、また、華族の誉的小学校、多くの政治家や財界人の子弟が集う場所でもありました。戦後、華族の没落に比例して、この学習院初等科に代わり、慶應幼稚舎が、その準的役割を果たし、今でも、大企業の社長{トヨタ・サントリー・日清食品:意外や西日本系企業}は勿論、芸能人・スポーツ選手といったセレブのお子さんたちのメッカでもあってきたのです。近年、青山学院初等部が、それを猛追していますが、早稲田はその後塵を拝しています。この点こそ、戦前にはあった、ハイソの小学校のブランド的イメージが、慶應大学の大きなステイタスホルダーの要因ともなっているのです。裕福さと知的さの両イメージが纏わりつく初等教育機関として厳然と存在していることが早稲田にひとまず、こうしたイメージで格差をつけているポイントです。更に、この慶應幼稚舎こそ、慶應三田会の孵卵器・エンジンともなっているとさえ言えるのです。教育の低年齢化・教育格差の“象徴”でもあるのです。
第二に、慶應にはグランゼコールがあると申しました。それは、こういうことです。
フランスでは、真に優秀、真のエリートは、パリ大学などの大学には進まないという事実です。フランス人の傑出した学力を有する者は、エコールノルマル、エコールポリテクニック、ENA(国立行政学院)といった超エリート校に入学するという実態です。それは、東大の中の東大とも言われる理科Ⅲ類的存在に比況できます。フランス社会の大学のさらに上の存在が、グランゼコールであるように、私大の医学部の最高峰、慶應附属の高校生の秀才中の秀才だけが進学できる医学部、これこそ、慶應の‘グランゼコール’なのです。早稲田の慶應への最大のコンプレックス、それは、医学部にあるとされていますが、実は、そのイメージの根底は、早稲田の附属校の超優秀なエリートでさえ、人の命を左右する医学部という学部に進めないジレンマ、これが早稲田の鬱憤としてこれまでわだかまってきた大きなコンプレックスなのです。この医学部のステイタスシンボルの強さは、ノーベル賞受賞者でも、iPS細胞でノーベル生理医学賞を受賞した山中伸弥京大教授への視線に表れています。他のジャンルの受賞者と比較した場合の注目度・認知度・敬意度を挙げても明らかです。この慶應医学部は、近畿大学や東海大学の私大医学部とは、比較にならない知名度・難易度でもあります。それは、東大や京大の旧帝大医学部志望者と同列の学力を持つ受験生が、18歳で入学してくることも、医師の卵としての品質担保並びに、ブランドイメージにもなっているからでしょう。
ですから、慶應には、家柄の良さと学力の良さをイメージする初等教育の最高峰があり、さらに、高等教育の大学という機関の中でも、別格の医学部という“ブランド”をも有しもいる点、しかも、福沢諭吉プラス北里柴三郎という二人の巨人による設立というストーリー性、さらには、知る人ぞ知る、下山事件の総裁自殺説と他殺説の検証による医学界の名誉をかけたつばぜり合い{※松本清張の『日本の黒い霧』による}により旧帝大系医学部の最高峰東大医学部に挑んでいった私学の医学部の雄といったストーリー性、また、日本医師会のドン(絶対的権力者)であり、吉田茂の顧問医も務めた武見太郎も慶應医学部出身であったことなど、この慶應医学部のブランディングの要因は挙げればきりがないのです。
よって、慶應大学は、セレブの憧れとも言える慶應幼稚舎を有し、さらに、秀才・天才の梁山泊でもある“グランゼコール”ともいえる慶應医学部を持つ点、この2点こそ、早稲田大学が、早稲田実業初等部を近年開校しても、さらに、東京女子医大を将来取り込んで(合併して)早稲田大学医学部を設置したとしても、その大学イメージは、永遠にハンディとして存在し続けることとなるのです。
こうした二つの要因が基となり、司法試験や公認会計士の合格者数が、勝った・負けたといった次元では計れないレベルで、令和という時代になっても両者のイメージ格差は埋まらないでしょう。
さらに、最近の早稲田の方針は、ある意味、グローバル化を意識して、早稲田らしさが薄まり、個性のない大学に墜する傾向にあります。これは国際教養学部や文化構想学部に如実に表れてもいます。これは、センター試験から新テスト採用大学として、お国べったり大学(文科省より大学)という点でも、時代の空気を読んで、体制派へと舵を切っている“大船:マンモス大学”に思われます。しかし、慶應は、一見すると、イメージ的に国際派のように見えますが、意外や意外、カリキュラムにしても試験制度にしても、センター試験から距離を置き、独自の試験システムのみで学生を選抜してきた早稲田以上に教育に関しては“保守”{※ある意味内向きとさえ言えます}なのです。国や文科省から距離をおく独立自尊を貫く大学であり、生徒にわざわざグローバルや国際性など意識させない。慶應は自然体で、好きな人は英語をやればいいじゃん的主義、それに対して、早稲田は、英語はやんなきゃこれから大変的空気が蔓延しているようなキャンパスでもあります。上記の3冊から、早稲田は慶應や国際性{※大学の世界ランクが何位だの}というものを意識してはいるが、慶應は、早稲田もグローバリズムもあまり意識してはいない特性が伝わってもきます。
最後にSFCを意識して設置された、国際教養学部(2004年創設)という早稲田の失敗作(?)の学部から世に出て活躍されている人物と、SFC出身で活躍されている人物の数とを、2004年度から比較しても、その数は雲泥の差があることからも、この学部が、ある意味失敗作であることの証左にもなっていると言えます。秋田の国際教養大学のできそこない学部といった印象すら受けます。SFCを目指しながらも、現実は、上智大学の某学部の焼き増しになっている感が否めません。国際教養学部は、プチ上智が、早稲田キャンパスの中にあるようなものなのです。