コラム

ポケトーク開発(カンブリア宮殿)を観て思ったこと➁

 ①中国では、電線のインフラが整備されていなかった、いや、遅れて経済発展したことが、幸いし、置き電話を通り越して、直、四川省などの僻地でも対応できる携帯電話が普及した。
 
 ②中国や韓国は、日本に比べ数段質の劣る、また、劣化しやすい紙幣、偽造しやすい紙幣という問題点を克服する手段・宿命として、紙幣社会から、電車マネー社会へと日本より数段先をゆく電子決済社会が到来した。
 
 ③1970年代前半、二度にわたる石油危機を、中東石油産出国に命運がかかっている日本がまともに煽りを受け、それが‘禍を転じて福となす’ではないが、日本に世界一の省エネ技術が誕生した。
 
 ④1970年にアメリカ議会で制定されたマスキー法{※1975年までに自動車の排出ガスを10分の1にまで削減しなければ米国での自動車販売を禁止するというもの:当時は不可能とされた}に、世界中の自動車産業が震え上がった中、本田技研工業(本田宗一郎)が、世界で初めてCVCCエンジン(シビック自動車)を開発して、このハードルの高い排ガス基準をクリアし、世界の度肝を抜いた。
 
 
ポケトークの開発が、①から④と同じ発明の発想パラダイムの延長線上にあると指摘したいのです。
 
 (1)日本人は、6年{※大学を入れると8年}も学校で英語を学んでも、いっこうにしゃべれない。
 
 (2)日本人は、TOEFLの順位が世界でも最下位に近いところにいる。北朝鮮より下位であるとまで揶揄される。
 
 (3)日本語は世界で一番難しい言語であるといった神話。また、英語・仏語・独語など欧州言語から一番言語構造的に遠い言語が日本語であるといった思い込み・偏見などの通説がある。
 
 (*)欧米人、特にアメリカ人などは、率先して、アジア言語はもちろん、ヨーロッパ言語を学ぼうとしない。但し、ヒスパニック系のアメリカ人の台頭でスペイン語は、社会的にその必要性・重要性が、社会の上層部(政治家)で認識されかけてはいるようです。次のような比の関係にあります。
    世界中の各国:英語=アメリカ社会:スペイン語
 
 以上の言語的文化背景(短所)に、技術的文明社会(長所)を積分するとポケトークの誕生の必然性が見えてくるのです。コンプレックスに技術の発明という係数を掛けると、プライドの誕生となる文明上の真理・法則であります。この点では、人間にも当てはまります。「コンプレックの強い人間ほどプライドが高い」(鈴木敏文)と人性論的に言われています。これは、野村克也しかり、矢沢永吉しかり、ビリギャルしかりであります。コンプレックスを克服した人達であります。また文化的にも該当します。楽器が持てない貧しい黒人から、アカペラ(ドゥアップ)というジャンルが誕生したのも同じであります。
 
 日本人は、外国語、とりわけ英語を話したり、聞いたりする一般的な日常会話にも、不自由する。何十年、いや、半世紀以上にもわたり、「何年も英語を勉強しても全く英語が使えない」と言いふるされてきた言語的コンプレックスが刷り込まれています。これが、学校教育で駄目なら、一層、その言語文化的デメリットを解消する、文明の利器を開発すればいいだけの話しだ。こうして、「禍を転じて福となす」精神で、ポケトークの誕生となったのです。
 このポケトークの誕生で、今やCMで有名な“スピードラーニング”という教材も、普通の英会話スクールも、駆逐されてゆく運命となるのは、明白です。
 
 AI社会の到来で、人間の従来の仕事<実用的英語>が脅かされるとよく言われていますが、その対処の方法は、AIにできない領域<教養的英語>、即ち、感情や感性といったセンスを磨くこと<高度な文法や構文を習得すること>だと言われています。その情緒・情感といったもの<知的英語>を分母にする、いや、土台にする論理性<実用性>といったものを、AIに可能にさせるのは、まだ50年、100年先となることは、様々な科学者が指摘している所です。それなのに、高校生の国語の教科書を馬鹿げた『論理国語』<実用的英語>と『文学国語』<教的英語>に分けてしまうという愚挙を文科省が下しました。これは、<使える英語>というバルーンと同じ、ポケトークにわざわざできること<日常生活に必要な英語表現>、中等教育で学ばせようとすることと同じであります。
 このポケトークの誕生は、大方の中学・高校で奨励されている<使える英語>{本来は、‘なーんちゃって’英会話程度の代物などは、スマホ社会における、置き電話(黒電話)の存在にこれからなってゆくであろうことは、世の、親御さんは弁えておかねばなりません。いや、皮肉まじりに言わせてもらえば、このポケトークが、スマホ学習に代わり、‘英語教師’にさえなってくるかもしれません。なぜならば、中学校や高校では、スマホを使った学習が始まろうとしているからです。こうした側面からも、昨年報じられた、学校でのスマホ解禁が、教師の劣化・授業数の限界・デジタルネイティブ化、こうした諸々の要件が追い風となっているのです。
 

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