コラム
リベラルアーツの源泉
佐藤 武蔵{※私立の中高一貫校}の教育は、必ずしも高偏差値大学に行かなくても、武蔵で5年間勉強していた内容でおおよその基礎はできているから、どの大学に行っても活躍できる場はあって、社会に出てからもさらに活躍することができる。伸びしろがあるから、逆に言えば、大学はどこでも大丈夫だということなんです。
それから、武蔵では東大合格者数が大学入試センター試験導入の年(1990年)からがたっと減っている。武蔵の生徒は2次試験では点数が取れる。でも、センター試験の点数がとれない。それで、東大合格者が減ったのだと思います。ただし、生徒たちの持っている底力は相当ある。
でも、あの教育はなかなかまねできない。どうしてかというと、中高一貫校ですから、中学入試の段階で、相当に読解力、国語力のある生徒を最初からとっているから、そもそも読めばわかるという生徒たちなんです。ただし、そういう生徒に長い人生を考えて、どういう教育を施すかという問題は重要です。大学に入って終わりというわけにはいきませんから。
竹内 確かに、このところ、企業も大学名より高校名を聞くことがあると言いますね。ある意味、地頭の良さはそちらの方が分かるから、大学だったら、頑張って勉強して、浪人もできるわけだけど、高校入試は、ほぼ現役だから。それに近頃は、推薦やAO入試で入学する人が多くなったから、基礎学力の程度が分からないこともある。
『大学の問題 問題の大学』(竹内洋×佐藤優)時事通信社P133~P134
教育経済学者中室牧子氏も『「学力」の経済学』の中で述べられていたかと思うのですが、教育投資に対する費用対効果は、大学よりも断然幼児期に大であるといいます。中学受験を控えてサピックスや日能研などから<真の中高一貫校(進学校)>に合格される少年少女は、小学校低学年、幼稚園・保育園からの5歳から8歳くらいまでの時点で、公文式に通っていたり、母親が独自に読み・書き教えたり、また、父親{※芦田茉奈の父}が率先して読書習慣の中に我が子を置いているといいます。つまり、幼児期に学びの心得・基本姿勢といったものを確立していた者が多いのです。この年齢一桁の段階で、学びの基本・根幹を確立していれば、学級崩壊している公立小学校に進もうと、公立中学校の問題校に通おうと、少々問題の教師に習おうと、教科の独学的勉強で、ある程度自らの進むべき方向性への努力の淵源を養えるものなのです。それが難関大学であろうと、夢・目標・目的が実現するものなのです。だから、幼児教育無償化ではなく、幼児教育義務化へ国家予算を投じるほうが、大学教育無償化などより断然、国民の“知的品質”向上には有益なのです。
竹内 それに関してですが、私は随分前から学部3年制を提案しています。イギリスは医学部や工学部を除けばだいたいは3年制です。イギリス人に言わせると、アメリカは中等教育が貧困だから大学は4年必要だけれども、イギリスは中等教育が充実しているから3年でよいのだと。
『大学の問題 問題の大学』(竹内洋×佐藤優)時事通信社P51
野球に関してですが、高校生のレベルだと、若干日本の方が上です。大学生ともなると、レベルは拮抗します。それが、プロ野球になると、完璧にアメリカに負けてしまいます。これは、勉学に関しても言えることです。開成の校長柳沢幸雄氏{※ハーバードでも教鞭をとられていた方}も語っていましたが、日本の高校生は知的レベルでは世界一だと。それが、大学になると、日米が逆転してしまうのです。これは完全に大学の責任です。この大学の責任を、高校にも転嫁させようという姑息な方針が、高大接続教育だと、日ごろ、私は政府を、本ブログなどで批判してきました。
日本の高校は、アメリカのハイスクールとは別物なのです。むしろ、フランスのリセ、ドイツのギムナジウム、そしてイギリスのパブリックスクールに近いものなのです。
戦前の旧制中学・旧制高校は、ある意味ヨーロッパの真似でした。それが、戦後、大学のシステムをアメリカ化し、それに不自然なように、高校、中学と改革をGHQが断行したことが、<木に竹を接ぐ>改革だったのです。これに似た失敗政策を、グローバリズムの名の下で、高大接続という美名の下、行われようとするその象徴が、今般の大学入学共通テストという<鵺なる化け物的試験>であります。マークシート形式に論述形式を導入し、公的試験でありながら英語にも様々な資格系民間試験を取り得れる、まさに<鵺的テスト>に国民・学校・高校生が拒否感を露わにしたのは当然であります。
日本の大学は、正直、3年で足りるというのが本筋・正当というものです。実際、ほとんどの学生は3年間で単位を取り、4年生では、ゼミだけという学生がどれほどいるでしょうか?4年生の段階では、就活に日時を割かれ、キャンパスにはほとんど足を踏み入れないのが実態です。実は、この無駄な1年とは、戦後就活のために存在していた、むしろ勉学のためにある存在ではない。そもそも、4年間で習得する講座(科目)が、3年で得られるシステムこそが、<ゆるい制度>だったのです。サイズがMでちょうどぴったりのセーターやジャケットをわざわざLのものを身にまとい、だぶだぶの状態で、見栄えが悪い姿、それこそ日本の4年生大学のカリキュラムだったのです。この点を、竹内氏は指摘しているのだと思います。