コラム
2月休校要請は学徒出陣に同じ!
「ポストコロナはオンライン授業に大きく舵を切らねばならない」だって?バカも休み休み言えと言いたい。
奈良時代鑑真和上の命を賭した来日、遣唐使の命がけの留学、“虎穴に入らずんば虎子を得ず”ではないが、やや無鉄砲な言い方をさせてもらえば、「危険を避けようとすればするほど危険なことはない、それが今の状況である」という逆説的真理が、世の政治家は仕方がないが、教育の側面では、学校関係者には認識できないでいる。今や教育を取り巻く状況が<生命第一主義>で思考停止状態になっている。この点、さすがにものが分かっている学者は、藤井聡氏や三浦瑠麗氏など数は少ない。
人間とはどういう生き物で、子供の学ぶ深層心理さえも分からずに、コロナ恐怖の幻想《これぞ医学的慎重さ優先の扇動・集団心理》をだしに、オンライン教育ばかりを主張する政府・マスコミ・知識人に問題提起をしたい。
「人はパンのみにて生きるにあらず」をもじり、「子供はオンライン教育のみにて成長するにあらず」「青少年もデジタル教育のみにて学ぶにあらず」と。「教育に関して角を矯めて牛を殺すなかれ」と。
ある劇作家が語っていたが、「アフターコロナの世の中、人間のみが生きおおせて、そのあとの世の中には、芸術も文化もサブカルも、超庶民的な歓楽街も一切消滅した社会であったとしたら、それはどうであろうか?」と。
農薬の怖さに警鐘を鳴らした『沈黙の春』という書があったが、<沈黙の春>ならぬ、アフターコロナの社会は、<沈黙の街>ともなりかねないのであろうか?
クラッシックのコンサートやロックのライブもない。演劇や歌舞伎、そして映画も観ることがかなわない。美術館や博物館の数も半減し、ネット予約で当選した極少数者しか入館できない。新宿のゴールデン街や横浜の野毛の飲み屋街も消滅している。数年後、十年後、こんな時代が、アフターコロナの社会で続いていたとしたならば、どうであろうか?
「いや大丈夫!ネットやDVDなどで娯楽を味わえばいいし、モノはアマゾンで注文し、自宅で飲酒すればいい。子供には、ヴァーチャルリアリティの眼鏡をかけさせてディズニーランドを仮想体験させればいい!」こうした<デジタル馬鹿>が増殖しているのである。こうした連中こそ、実は、<コロナの敗北者>なのである。誰も言わないから私が言おう。《真のコロナへの勝利》は、《ビフォーコロナの世の中に戻すこと》であると。
実験主体の理系の学生、体育系の学生、音大系の学生、こうした連中は、ポストコロナの、デジタル、オンライン教育と喧伝されている世の中になったならば、如何なる存在、如何なる立ち位置と、果たしてなるのだろか?
70代以上の方と比較すると断然死ぬ確率の低い、小学生から高校生に至るまでの初等・中等教育に関して申しあげると、命と教育とを冷静に、理性的に天秤にもかけられない、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の意見を鵜呑みにしかできない安倍首相である。彼自身で判断できず、2月に休校要請を行った判断が、私には東条英機内閣の学徒出陣に、“亡国の判断”としてダブって見えてきてしまうのだ。
今般の2月における休校措置、ある意味、誤判断であったとはっきり言わせてもらおう!子供の命第一、勉強は第二、勉強は取り戻せるが、命は取り戻せない。こうした、首相でも、凡人でも、少々お目出たい奴でも吐ける、<倫理的仮面を被った論理>で、今回の教育的悲劇がもたらされたといってもいい。これが、教育界を<泥沼状態>に、そして馬鹿らしくも、愚かにも、<9月入学という亡国の案>までが浮上するに至ったのである。危険を避けることにおいて、それがどれほどのものを失うのか、その智慧{≠知恵、※禅的意味合いである!}というものが欠落している指導者である。これは、教員免許更新制度から近年の下村博文指導の下で頓挫した新テスト全般に至るまで、全てが全て、ミッドウェー海戦から硫黄島の戦いまで帝国陸海軍の戦法同様、無残なる失敗(敗戦)に終わったことがなによりもの証拠である。危険の状況下における、真の意味での、知的、冷静な損得勘定という算段ができぬリーダーであるとはっきり言わせてもらおう。これもアベノマスで証明済みである。
学徒出陣とは、学生の勉学は二の次、三の次、国家存亡の危機に際して、鬼畜米英との戦いで大学生を戦場へと駆り立てたものだ。ある意味、“国家の死と君たちの勉学はどちらが大切か!国の命、国体がまず第一であろう!”と臣民に問うたのである。この論理でいかに多くの若者が学び半ばにして戦場で散っていったことだろう!彼らは、心で涙していたのである。
2月の休校措置、令和の国難コロナ禍を大義名分として、人命第一(子供の命がまず第一)と称して、国中が、NOとも誰一人言えず、国中が一斉休校となったのである。空気は、学徒出陣の時と全く同じである。本当は、どこかしらの私立の校長か理事長あたりが、それに反旗を翻してもよかったのだが、誰一人いなかたのは、残念なことだったのか、仕方がなかったのか判断は留保する。アメリカと戦い、日本の国体を死守するその勇猛なるバカ精神は、コロナと戦い、何が何でも、子供の命を守る、勉学は二の次でいいといった浅はかな思考と重なって見える。これを暴論と観る人を前提に語っているまでである。コロナ禍に飲み込まれた安倍の判断は、戦前の東條の思考レベルの低さにダブって見える。令和の小学生や中学生が、どれほど、教室内で泣く光景がテレビに映しだされたことであろうか!それに付随するが、高野連が発表した夏の甲子園中止も「欲しがりません、勝つまでは!」の精神にダブって見えてきてしまう。
教育は、別もの、線引きして判断してくださいとは、口が裂けても言えなないし、また、そうした大局観も持ち合わせていない指導者たちである。安倍首相以下、西村康稔新型コロナ対策担当大臣、佐藤勝信厚労大臣の面々を洗脳している、コロナ禍でメディアに登場している、感染専門家三羽烏を挙げておこう。尾身茂{※文春砲の標的にされている人物}、西浦博{※8割おじさんとして有名人ともなり、帝国陸軍大本営発表のスポークスマンに重なって見える人物}、岡田晴恵{※デビ夫人から超毛嫌いされている人物}、人命第一原則居士・大姉の面々である。