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コラム
努力は経験、苦労も経験 But 努力≠苦労
IQが高い‘天才’のみが入れるメンサの会員でもあった中野信子が『努力不要論』という書籍を出したり、茂木健一郎が、ネットで“塾(予備校)不要論”を唱えたりするメンタルを熟考すると、‘天才’という知の高台、いわば、IQのタワーマンションの住民からは、努力とか塾とかいう庶民の二階建の木造ハウスは眼中に入らぬらしい。IQの高さは、遺伝的、生来の特権でもある、ある意味、親からの、天からの莫大なる“遺産”でもある。それを近年、天才とは呼ばず、ギフティッドと呼ぶようである。その一部を活用して、東大に入った者は、努力して、偏差値35から東大生となった、「ドラゴン桜」地で行った多浪の東大生西岡壱誠、開成高校から東大合格が叶わず筑波大へ進んだが、今や天才の呼び声が高い落合陽一、そして、東大へ行けず、慶應大理工学部へ進んだが、メンタリストとして大成(?)したDaiGo{※その弟松丸亮吾は東大に進み、今やクイズ創作者ともなって活躍されてもいる}とは違うのである。IQを踏み台をとして東大生となった中野や茂木といった部族は、自身のIQの高い頭脳を解明したくてなのかは存ぜぬが、脳科学なんぞの分野へ進んだものであろう。自己のルーツを知りたい無意識的知的欲求でもある。
第二次大戦の頃、持てる国と持たざる国という表現があったが、人間レベルにおいても、同様のことが言える。最近では、親ガチャの本義は、マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍で、おおまか、その正当性の根拠が証明済みでもある。
私が何かと例を出すプロ野球名選手のケースである。
現役時代は、長嶋や王は、セリーグで、勿論努力もあるが、持って生まれた素質・才能、いわば、自身の天才で、大活躍した部類に入る典型でもあろう。一方、野村は、陽の当たらないパリーグで、テスト生入団で三冠王を取っても、鶴岡監督から「お前は、2流、3流のピッチャーは打てても、稲尾なんかの1流はさっぱり打てんのう」と嫌みったらしく、揶揄されたりした。そういう経験が、その後のボヤキ節の自我を形成したのだろうか。苦労した、さんざん苦虫を噛んだ現役時代でもあった。しかし、その後の監督時代はどうだろう?長嶋や王は相当な苦労をする。第一次長嶋政権、背番号90時代は、巨人軍から放逐に近い憂き目にあった。王は、巨人時代は、凡庸な成績、そして福岡に下野し、ダイエーホーク時代は、卵投げかけ事件(“王辞めろ!”とファンたちがバスに投げた事件)まで起きる屈辱をなめた。それに対して、当面監督就任要請なんかのお呼びの声はこない身の上でもあったと、半ばあきらめていた野球解説者時代、ヤクルト監督就任の要請がった。そして就任した野村は、その監督生活を苦労などとは、一切感じさせない監督時代であったことは、明らかでもあろう。その後ヤクルト黄金時代を築き上げる。野村氏には失礼だが、彼は、1,5流の素質の選手であったが、努力は勿論、技術とメンタルにおいて戦略と戦術というもので自身の野球のスキル、そして野球観を構築してもいった。ゲーテの言葉である。「凡才が、自らの天才に失望した時、まず、立てるべきは、戦略だ」これを野村はものの見事に実践した偉人でもある。野村の書の題名“弱者が強者に勝つための8つのポイント”“弱者の兵法”がそれを証明してもいる。これは、ある意味“ドラゴン桜の手法”でもある。無知の知からスタートして、野球以外の外堀から、野球道を攻めていった、究めていった。彼の膨大なる出版物が、それをものの見事に証明している。長嶋や王には、自身の、人を感動せせる、人を感化させる書籍は、ない。この野球界のヒーローは現役時代の姿で、少々誤解を恐れずに言えば、人を励まし、勇気づけたに過ぎない。また、夢を与えたかもしれない。野球人気の、野球を“昭和の国技”にした、最大の立役者であった。
これは、よく教え子に言い聞かせる真実である。
英語エリート塾の平岡塾やエリート数学塾のSEGなんぞに通っている、また、鉄緑会に中学から通ってもいる男女御三家の超進学校の成績上層部には該当しないかもしれないが、横浜の場末の英語専門塾の生徒には、よく次のように諭す、「君たちの、おじーちゃん時代の名選手でもあった長嶋や王ではなく、野村であると自己を戒めよ。自分は1流ではなく、2流でもない、1,5流であると自覚せよ。勿論、ずばりとは言わないが、2流の奴さえいる。この自覚すらできない人間は、3流以下になれ落ちる。令和でいえば、大谷や佐々木や村上ではなく、育成枠から這い上がり、名選手となったソフトバンクの甲斐や千賀だと自身を思え」と。
ここで、努力と苦労は一致するのか、同義なのか、もちろん、ことばの定義上では同じではない、「天才とは、蝶を追いかけていって、いつの間か頂上に登ってしまった人のことである」という言葉が、羽生善治だったか、聞き覚えがある。今春に始まった、朝ドラ『らんまん』の主人公で、世界的植物学者の牧野富太郎も同様である。
王貞治と荒川博コーチとの日本刀による一本足打法のトレーニング、長嶋の田園調布の豪邸の地下室での、まさに、“鶴の機織り”の如き、見えない血反吐を吐くような、素振りの鍛錬、こうしたものは尋常なる凡人には、マネのできない努力である。こうした、努力は、恐らく野村には出来なかったかもしれないが、それとはまた、違った努力をしたはずである。しかし、この努力というものが、苦労を伴うものであったことは、想像に難くない。プレイングマネージャ―や南海追放事件、さらに現役の晩年期の西武での冷や飯時代、引退後の、それも黄金ヤクルト時代以後の、名監督の栄誉ある身の上にあってのサッチ―問題での阪神解任など、長嶋や王とは、別次元の困難が彼を鍛え、艱難が彼を玉にしたとも言える。困難や艱難は、当然、努力ではない。強いられた“外圧”でもある。
NHKの名物番組『プロフェッショナル』などでも取り上げられたカリスマ心臓外科医なる名医という方々は、受験エリートでは決してなかった、いや、それが、むしろその後、幸いしたとも言えるかもしれない。
日本で最初にバチスタ手術を成功させた須磨久善、天皇のバイパス手術を担当した天野篤、そして、天野の薫陶をうけた新浪博士など、「医学部までの人、医学部からの人」の後者、即ち、「医学部からの人」の医師でもある。落合陽一の進路を、医学の道で究めたような人たちである。
東大、京大、阪大などの医学部を出た受験‘天才秀才肌’の医師は、危険な攻めには出られない気質が宿ってもいるものだ。当然例外はある。京大医学部を出たエリート医師日野原重明などは、よど号ハイジャック事件に巻き込まれる体験した。その生死を彷徨う経験を境に、自身の医師としての道に目覚めた、拓けた、覚悟をもって、どう歩むべきかを悟ったともいう。学歴エリートの医師は、大方、無難な守りに回る、だから、東大医学部の教授たちは、腹の据わった、場数を踏んだ天野篤に、執刀の大役をゆだねたのである。話はそれるが、ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥教授が、比較的、人々に愛される、好感を持たれるキャラは、i―PS細胞の画期性、素晴らしさにも起因するが、その苦労と努力とがかぶってくる雰囲気が、その言動の謙虚さから伝ってもくるからであろう。ノーベル物理学賞を受賞した他の学者とは、対局の個性ともいえようか。
この点こそ、努力とは、まあ、別次元の、努力イコール苦労の経験の深層でもあり、一般的目線では、見落とされる盲点でもある。「若い時の苦労は買ってでもしろ」、賢(さか)しらなる世人には、軽く口にしながらも、その真意が認識できない本義・本域である。
Heavy work in youth is quiet in old age.(若い時の重労働は老いての平安である)
Pension never enriched a young man.(年金で金持ちになった若者などいない)
この、苦労の濃淡、苦労の後ろ姿、苦労の面構え、これらは、同僚、後輩は勿論、そして、先輩にすら影響を与えるものである。何らかのオーラともいえない、また、佇まいともいえない、さらに、その人の言動や言葉尻かもしれないが、それらを通して、仕事上の仲間に伝わるものである。
天才、準天才、秀才、準秀才という層の人間に限り、凡人の世界、凡庸なるマジョリティーの気持ちが、わからないものである。その典型的な事例が、信長、秀吉と家康の違いとも言える。天才には、迷いはないのである。運が自身の覚悟と一致をみる恵まれた人生を歩ませる。秀才には、迷いはあるが、無意識に果敢な行動にでる行動力というものが味方にある。あざとい計算力と人たらしもあるだろう。これは、楽観主義ともポジティブシンキングとも言いうるものだ。この、人生における天才と秀才が信長と秀吉ともいっていい。そして、凡人の典型は、今年の大河ドラマ『どうする家康』ではないが、悩みに悩みぬき、周囲の助言を、部下の声を、参考にもする。凡人の経験が雪だるま式に大きくなり、信長や秀吉の失敗の経験すら肥やしに、天下を取る。
「上の人間が下の人間を見抜くには、3年かかるが、下の人間は上の人間をわずか3日で判断する」(韓非子)
国公立の医学部に進む者は、信長である。私立の医学部(慶應・慈恵など)に進む者も、秀吉である。前者は、知能をギフティッドされて、後者は、ある程度の地頭と財力をギフティッドされてもいようか?
今年の横浜市立大学の医学部に進んだ教え子に、次のように言った。
「この韓非子における、上の人間とは、君、(中堅)医者だぞ、それに対して、下の人間とは、研修医、新人医師、そして看護師だぞ、さらに申し伝えておく、一番大切なのは、患者だぞ、贈る言葉だ、“医師は患者によって作られる”。」
第二次大戦の頃、持てる国と持たざる国という表現があったが、人間レベルにおいても、同様のことが言える。最近では、親ガチャの本義は、マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』という書籍で、おおまか、その正当性の根拠が証明済みでもある。
私が何かと例を出すプロ野球名選手のケースである。
現役時代は、長嶋や王は、セリーグで、勿論努力もあるが、持って生まれた素質・才能、いわば、自身の天才で、大活躍した部類に入る典型でもあろう。一方、野村は、陽の当たらないパリーグで、テスト生入団で三冠王を取っても、鶴岡監督から「お前は、2流、3流のピッチャーは打てても、稲尾なんかの1流はさっぱり打てんのう」と嫌みったらしく、揶揄されたりした。そういう経験が、その後のボヤキ節の自我を形成したのだろうか。苦労した、さんざん苦虫を噛んだ現役時代でもあった。しかし、その後の監督時代はどうだろう?長嶋や王は相当な苦労をする。第一次長嶋政権、背番号90時代は、巨人軍から放逐に近い憂き目にあった。王は、巨人時代は、凡庸な成績、そして福岡に下野し、ダイエーホーク時代は、卵投げかけ事件(“王辞めろ!”とファンたちがバスに投げた事件)まで起きる屈辱をなめた。それに対して、当面監督就任要請なんかのお呼びの声はこない身の上でもあったと、半ばあきらめていた野球解説者時代、ヤクルト監督就任の要請がった。そして就任した野村は、その監督生活を苦労などとは、一切感じさせない監督時代であったことは、明らかでもあろう。その後ヤクルト黄金時代を築き上げる。野村氏には失礼だが、彼は、1,5流の素質の選手であったが、努力は勿論、技術とメンタルにおいて戦略と戦術というもので自身の野球のスキル、そして野球観を構築してもいった。ゲーテの言葉である。「凡才が、自らの天才に失望した時、まず、立てるべきは、戦略だ」これを野村はものの見事に実践した偉人でもある。野村の書の題名“弱者が強者に勝つための8つのポイント”“弱者の兵法”がそれを証明してもいる。これは、ある意味“ドラゴン桜の手法”でもある。無知の知からスタートして、野球以外の外堀から、野球道を攻めていった、究めていった。彼の膨大なる出版物が、それをものの見事に証明している。長嶋や王には、自身の、人を感動せせる、人を感化させる書籍は、ない。この野球界のヒーローは現役時代の姿で、少々誤解を恐れずに言えば、人を励まし、勇気づけたに過ぎない。また、夢を与えたかもしれない。野球人気の、野球を“昭和の国技”にした、最大の立役者であった。
これは、よく教え子に言い聞かせる真実である。
英語エリート塾の平岡塾やエリート数学塾のSEGなんぞに通っている、また、鉄緑会に中学から通ってもいる男女御三家の超進学校の成績上層部には該当しないかもしれないが、横浜の場末の英語専門塾の生徒には、よく次のように諭す、「君たちの、おじーちゃん時代の名選手でもあった長嶋や王ではなく、野村であると自己を戒めよ。自分は1流ではなく、2流でもない、1,5流であると自覚せよ。勿論、ずばりとは言わないが、2流の奴さえいる。この自覚すらできない人間は、3流以下になれ落ちる。令和でいえば、大谷や佐々木や村上ではなく、育成枠から這い上がり、名選手となったソフトバンクの甲斐や千賀だと自身を思え」と。
ここで、努力と苦労は一致するのか、同義なのか、もちろん、ことばの定義上では同じではない、「天才とは、蝶を追いかけていって、いつの間か頂上に登ってしまった人のことである」という言葉が、羽生善治だったか、聞き覚えがある。今春に始まった、朝ドラ『らんまん』の主人公で、世界的植物学者の牧野富太郎も同様である。
王貞治と荒川博コーチとの日本刀による一本足打法のトレーニング、長嶋の田園調布の豪邸の地下室での、まさに、“鶴の機織り”の如き、見えない血反吐を吐くような、素振りの鍛錬、こうしたものは尋常なる凡人には、マネのできない努力である。こうした、努力は、恐らく野村には出来なかったかもしれないが、それとはまた、違った努力をしたはずである。しかし、この努力というものが、苦労を伴うものであったことは、想像に難くない。プレイングマネージャ―や南海追放事件、さらに現役の晩年期の西武での冷や飯時代、引退後の、それも黄金ヤクルト時代以後の、名監督の栄誉ある身の上にあってのサッチ―問題での阪神解任など、長嶋や王とは、別次元の困難が彼を鍛え、艱難が彼を玉にしたとも言える。困難や艱難は、当然、努力ではない。強いられた“外圧”でもある。
NHKの名物番組『プロフェッショナル』などでも取り上げられたカリスマ心臓外科医なる名医という方々は、受験エリートでは決してなかった、いや、それが、むしろその後、幸いしたとも言えるかもしれない。
日本で最初にバチスタ手術を成功させた須磨久善、天皇のバイパス手術を担当した天野篤、そして、天野の薫陶をうけた新浪博士など、「医学部までの人、医学部からの人」の後者、即ち、「医学部からの人」の医師でもある。落合陽一の進路を、医学の道で究めたような人たちである。
東大、京大、阪大などの医学部を出た受験‘天才秀才肌’の医師は、危険な攻めには出られない気質が宿ってもいるものだ。当然例外はある。京大医学部を出たエリート医師日野原重明などは、よど号ハイジャック事件に巻き込まれる体験した。その生死を彷徨う経験を境に、自身の医師としての道に目覚めた、拓けた、覚悟をもって、どう歩むべきかを悟ったともいう。学歴エリートの医師は、大方、無難な守りに回る、だから、東大医学部の教授たちは、腹の据わった、場数を踏んだ天野篤に、執刀の大役をゆだねたのである。話はそれるが、ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥教授が、比較的、人々に愛される、好感を持たれるキャラは、i―PS細胞の画期性、素晴らしさにも起因するが、その苦労と努力とがかぶってくる雰囲気が、その言動の謙虚さから伝ってもくるからであろう。ノーベル物理学賞を受賞した他の学者とは、対局の個性ともいえようか。
この点こそ、努力とは、まあ、別次元の、努力イコール苦労の経験の深層でもあり、一般的目線では、見落とされる盲点でもある。「若い時の苦労は買ってでもしろ」、賢(さか)しらなる世人には、軽く口にしながらも、その真意が認識できない本義・本域である。
Heavy work in youth is quiet in old age.(若い時の重労働は老いての平安である)
Pension never enriched a young man.(年金で金持ちになった若者などいない)
この、苦労の濃淡、苦労の後ろ姿、苦労の面構え、これらは、同僚、後輩は勿論、そして、先輩にすら影響を与えるものである。何らかのオーラともいえない、また、佇まいともいえない、さらに、その人の言動や言葉尻かもしれないが、それらを通して、仕事上の仲間に伝わるものである。
天才、準天才、秀才、準秀才という層の人間に限り、凡人の世界、凡庸なるマジョリティーの気持ちが、わからないものである。その典型的な事例が、信長、秀吉と家康の違いとも言える。天才には、迷いはないのである。運が自身の覚悟と一致をみる恵まれた人生を歩ませる。秀才には、迷いはあるが、無意識に果敢な行動にでる行動力というものが味方にある。あざとい計算力と人たらしもあるだろう。これは、楽観主義ともポジティブシンキングとも言いうるものだ。この、人生における天才と秀才が信長と秀吉ともいっていい。そして、凡人の典型は、今年の大河ドラマ『どうする家康』ではないが、悩みに悩みぬき、周囲の助言を、部下の声を、参考にもする。凡人の経験が雪だるま式に大きくなり、信長や秀吉の失敗の経験すら肥やしに、天下を取る。
「上の人間が下の人間を見抜くには、3年かかるが、下の人間は上の人間をわずか3日で判断する」(韓非子)
国公立の医学部に進む者は、信長である。私立の医学部(慶應・慈恵など)に進む者も、秀吉である。前者は、知能をギフティッドされて、後者は、ある程度の地頭と財力をギフティッドされてもいようか?
今年の横浜市立大学の医学部に進んだ教え子に、次のように言った。
「この韓非子における、上の人間とは、君、(中堅)医者だぞ、それに対して、下の人間とは、研修医、新人医師、そして看護師だぞ、さらに申し伝えておく、一番大切なのは、患者だぞ、贈る言葉だ、“医師は患者によって作られる”。」
2023年4月17日 17:16