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スーパースターのDVDと2流元プロ野球選手の直接指導

 前回に、アナログ教育の大切さを色々な角度から語らせていただきましたが、今回は、それを、独自に、個人的見解、それもある思いを込めて、具体的なケースとして述べてみたいと思います。
 世の中で、AI、SNS,これらがどんなに社会で進化しても、衛星予備校、ブロードバンド予備校、ビデオ録画形式の予備校、スマホサプリで見放題のカリスマ講師の授業がどんなに普及しても、対面形式の、同じ空間(教室)内の、黒板を前にして、ノートに鉛筆で“要点・要所・演習”を書きながら本質を理解してゆく授業方式はあと数十年は廃れることはないであろう。なぜならば、教育というジャンルは、生の人間と人間が対峙する、成長ということを主眼とする世界・領域でもあるからです。前回にも申し上げましたが、世の中がどんなにデジタル化が進もうとも、教育(中等教育まで)というジャンルは、そのデジタル進化の最後尾、即ち、アナログにこだわらなければならないからです。これは、あくまでも私個人の主義・原則(プリンシプル)でもあり、同意できないご父兄も当然おられることを承知の上で申し上げているまでです。では、こうした私個人の見解のもっと、独断的な事例をこれから申しあげるとします。
 ホワイトボード、電子黒板、i-Padなどを用いて授業する形式は、当分、普及しないと断言できます!文科省が推進している、教育のIT化は、公立の中学や高校のみで、賢明な、まっとうな私立校では行っていないのが現状です。公立は、政府の税金によるデジタル機器を用いた教育のモルモットと化してもいる。また、それに追随する一部の私立は、生徒の獲得手段としてのキャッチフレーズ的な宣伝に近いものである。実際、私立でデジタル機器を率先して使用している中学高校があるとすれば、生徒の質、教師の能力、こうした指数が非常に低い学校とも言わざるをえないでしょう。つまり大したレベルの学校ではないということです。神奈川県にもある某有名私立中高一貫校がありますが、敢えて名前は挙げません。ハイテク教育を行っていて、時流に合わせた方式を売りにしている軽薄単細胞な学校です。その学校は、20年前、10年前とだんだん中学入試の偏差値が暴落している私立校です。
 ここで、敢えて申し上げておきますが、私立の{※県立高校も一部含まれますが}超進学校で、基礎が盤石な生徒は、東進ハイスクールのハイレベルなDVD授業を聞いても、消化不良を起こさず、むしろ実力が向上するケースは多いといえましょう。超進学校の生徒が大方、林修先生の信者となっている具体的ケースです。それは、その私立でまっとうなアナログ授業でしかり土台が出来上がっているからでもある。この基礎が中途半端なまま、デジタル授業や、大手の大教室で数十人の授業で、ハイレベルな講義を聞いても身に付かないのが実態です。例えば、高校1,2年で数学が超苦手な生徒がいたとします。その生徒が、DVD授業や、大教室で、“超超基礎わかりやす過ぎる数学”と銘打った講義を聞いても、おそらく、その1割から3割弱しか、自らの数学の殻を破れてはいないことは私自身、そして現場の講師の立場から断言できることです。恐らく、Z会の通信添削の数学基礎講座なるものを実践して、高校数学が得意になったという事例がどれほどあるだろうか?
 では、デジタル授業とアナログ授業というものを、少年野球のケースに敷衍してこれから語ってみたいと思います。
イチロー・松坂大輔の少年野球講座というDVD全20巻なるものがあったとします。そのDVDを少年野球チームAに採用させて、ちょっと野球好きの近所の田中お父さんに指導を任せたとします。
 
 「いいか、ビデオで観た通りに、イチローのように捕球しろ!」「イチローの、あのアドヴァイス通りに球を打つんだ!」「松坂が、画面で、投げた指使いで、カーブを放れ!」「牽制球は、あの松坂のやった通りにやれ!」
 
 このように、グランドで、絶叫しながら、ノックをしたり、ピッチングのチェックをしたりするのがせいぜいであろう。
 それに対して、横浜ベイスターズで2軍経験しかなく、4年で解雇され、ラーメン店を経営しながら、少年野球を指導している佐藤おじさんがいたとします。この佐藤おじさんが、Aチームと全く同じレベルの少年野球チームBを指導することになったとします。
 
 「いいか、お前の癖は、腰が高い点だ、もっと屈んで、このようにゴロを捕球して、力まず、お前の肩なら、一塁手の膝を目がけて球を放れ!そうだ!やればできるじゃないか!」「お前の反射神経だと、バットは短く持って、肘を引いて、力まず素早く、バットを振ってみろ!そうだ!きれいにセンターに打ち返せるじゃないか!」「君の指だと、基本の握り方では、カーブなど小便カーブになってしまうぞ!指が短いんだから、こう球を握り、腕をこのように振り上げて、そして、手首に意識を向けて、くるっと振ってみろ、そう、そう、そうだ!今の球、よかったぞ!」「いいか、牽制球は、ボークを取られるぎりぎりのところ、俺を観てみろ、このようにやるんだ!わかったか?」
 
 このように少年達を、身体を使い、手取り足取り教えたプロ野球崩れの佐藤おじさんが指導するBチームがあったとします。
 半年後、AチームBチームが試合をしたとしよう。断言できる。完全にBチームの勝利で終わると!
 以上の譬えは、Tハイスクールの超1流講師をビデオで観たり、超1流講師の授業を数十名の大勢の中で聴いたりした生徒がまさしくAチームの少年とも言えましょう。場末の小さな個人塾で、その1~2流講師ながら、その生徒の気質・資質・能力を見極め、英語や数学を指導された生徒が、佐藤おじさん率いるBチームの少年でもある。
 ここに、手っ取り早く重宝されるデジタル教育と、一見時代遅れと見まがうような、初めはうざったく感じられるアナログ教育というものの真の姿が垣間見えるのである。どちらが勝っているかは明々白々です。
 結論ではありますが、デジタルは、自分が理想に合わせざるをえない、しかも、その手法や科目がいま一つ自分のものとはならない嫌いがある。それに対して、アナログはその理想を、その人独自、また個人個人の資質や能力に合わせて引きずり降ろし、現実的なツール、武器ともなる手段と化すことが可能となる点こそ優れているのです。

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