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HOME > コラム > 英語教育は哲学でもあり文化でもある!
コラム
英語教育は哲学でもあり文化でもある!
今、手元に野中郁次郎氏{一橋大学名誉教授}による『経営は哲学なり』(ナカニシヤ出版)という本がある。内容はさておき、その表題に意識を向けていただきたい。浅薄な経営者が、巷の経営ハウツー本を手に取ったり、会社の仕事に自信がもてないサラリーマンが、社会人向けMBAの資格を取ろうと、アフターファイブと週末を利用してあくせくとお勉強に励む部族にお薦めしたい本である。社会人の英語の負け組やTOEIC盲従者こそ、彼らと譬えてもいい。
今や超有名になってしまったマネジメントの神様、P・ドラッカーを愛読しているビジネスマンならとっくにご存じだろうが、彼の精髄は、哲学・倫理・文化という下部構造に支えられたマネジメントである。そのドラッカーを一思想家・哲学者とみなす私などからすれば、当たり前とも言える切り口で、彼の業績を掘り下げた書が、このたび金沢大学の仲正昌樹教授によって『思想家ドラッカーを読む』(NTT出版)という形でだされたのは、興味深い。このドラッカーが、最も尊敬してやまない日本人、それが渋沢栄一であることを知っている人なら、首肯するはずである。ドラッカーの書物、それは、渋沢の『論語と算盤』と根底でつながっているということを。
前置きはこれくらいにしておこう。博士のワーキングプアーなる状況、論文偽造問題、文系学部解体・廃止問題、これらは、大学の独立行政法人化に端を発し、教授任期制など文科省のグローバル化の名の下の効率主義が根本の原因であることは、池上彰氏など様々なジャーナリストの指摘している通りである。理念なき改革・哲学なき功利主義、これらが、一般大衆に幻想を抱かせ、従来のアカデミズを薄っぺらい、目先の利益を追う、企業の‘しもべ’たらしめている。これは、中等教育においても、内田樹氏{ここ10年政府に対して最も鋭い批判をしている現代フランス思想の研究者、神戸女学院大学名誉教授}がよく指摘しているように、学校のサービス業化・コンビ二化も同根のものであろう。使える英語の錦の御旗を掲げる安倍政権と同じ穴の貉(むじな)である。
ノーベル賞受賞の大隅良典教授も指摘しておられたが、学問研究は、確かに科学であるが、文化的側面も有しているジャンルであるという。すぐに役に立つものだったら、企業がやればいいだけの話だ。学問研究は、10年先、50年先、100年先を見据えたものでなくてはならないとも語っておられる。これこそが、文化ということの謂いであろう。科学は文明を下支えしている。しかし、その文明が本物となるか否かは、その背後にある文化がものをいうのである。良き農家は、その土壌に神経を使うとも言う。また、良き陶芸家は土にこだわるのと同じである。また、数学者の岡潔の名言、「数学は情緒(教育)である」これを論理の飛躍と捉えるか否かは、知性と感性のあるなしによってわかる箴言である。数学者の藤原正彦氏の「小学校で大切なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」と述べられているが、大隅氏と二人の数学者の言説(考え)が通底していることに気づかぬ輩は、‘総理大臣’安倍晋三、‘元文科大臣’下村博文、‘英語教育の在り方に関する有識者会議メンバー’安河内哲也などの政府側の人間だけであろう。
ここでまた少々脱線するが、以上の3名の名を挙げた都合上、一言申し加えておくことがある。雑誌『現代思想』(2006年四月号)の中で、「教育と新自由主義」というテーマで三宅晶子氏が次のように吐いた発言こそ、現今の英語教育改革から、大学の文系学部解体にいたるまで、物事の本質が見えてくる、また、政府側に反論できる、有用なる卓見ではないだろうか?
「今の‘教育改革’とは、教育問題ではなく労働問題です」
実は英語教育も、人類普遍のツールとしての文明的側面は確かにあるが、文化的側面も大いに考慮しなければならないのである。この明治以来連綿と続いてきた<学校英語><受験英語><予備校英語>の良き側面を総括せず、一斉にファショ的に排除しようとする流れは、誰も口にはしてこなかったが{※現在その警鐘を鳴らす学者は、鳥飼玖美子・斉藤兆史・鈴木孝夫・渡部昇一などいるが、その主張は劣勢である}、大隅教授の危機感と同じものを感じずにはいられないのである。
最後に、もう一つ付け加えておこう。それは、日本の学校英語を非常に評価し、その恩恵に浴し、感謝すらしている一橋大学名誉教授、ハーバード大学で経済学博士(Ph.D)を取得された中谷巌氏の懺悔の書『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)の主旨、「リーマン・ショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装。すべての元凶は‘市場原理’だった」ではないが、このままでは十数年後の、「日本の英語教育はなぜ自壊したのか」という未来予想図が見えているのは、今や、鳥飼玖美子氏、斉藤兆史氏、藤原正彦氏、斉藤孝氏、和田秀樹氏、林修氏といった、私が命名した“英語教育保守派”のみの一部の賢者たちだけであろう。
何を隠そう、この中谷巌氏こそ、“松坂牛”でもあり‘比内地鶏’であったことを“英語教育リベラル派”は、ご存じなのだろうか?この譬えは、次章で詳しく述べることにします。
※中谷巌氏は、12歳から始めた<学校英語>の良き側面を継承し、海外へ雄飛した典型的人物でもあり、<学校英語>からの一種、英語の‘成功者’組として、世界の牛肉や鶏肉に伍する国産“松坂牛”や“比内地鶏”の例に該当する存在である。
※以上の鳥飼氏や斉藤氏などグーグルで検索していただければ、その主張や書物が簡潔に閲覧できるので、ご参照いただければ、幸いである。因みに、2018年1月に出版された『英語教育の危機』(鳥飼玖美子)―ちくま新書―をご父兄の方々がぜひ読まれることをお勧めします。
今や超有名になってしまったマネジメントの神様、P・ドラッカーを愛読しているビジネスマンならとっくにご存じだろうが、彼の精髄は、哲学・倫理・文化という下部構造に支えられたマネジメントである。そのドラッカーを一思想家・哲学者とみなす私などからすれば、当たり前とも言える切り口で、彼の業績を掘り下げた書が、このたび金沢大学の仲正昌樹教授によって『思想家ドラッカーを読む』(NTT出版)という形でだされたのは、興味深い。このドラッカーが、最も尊敬してやまない日本人、それが渋沢栄一であることを知っている人なら、首肯するはずである。ドラッカーの書物、それは、渋沢の『論語と算盤』と根底でつながっているということを。
前置きはこれくらいにしておこう。博士のワーキングプアーなる状況、論文偽造問題、文系学部解体・廃止問題、これらは、大学の独立行政法人化に端を発し、教授任期制など文科省のグローバル化の名の下の効率主義が根本の原因であることは、池上彰氏など様々なジャーナリストの指摘している通りである。理念なき改革・哲学なき功利主義、これらが、一般大衆に幻想を抱かせ、従来のアカデミズを薄っぺらい、目先の利益を追う、企業の‘しもべ’たらしめている。これは、中等教育においても、内田樹氏{ここ10年政府に対して最も鋭い批判をしている現代フランス思想の研究者、神戸女学院大学名誉教授}がよく指摘しているように、学校のサービス業化・コンビ二化も同根のものであろう。使える英語の錦の御旗を掲げる安倍政権と同じ穴の貉(むじな)である。
ノーベル賞受賞の大隅良典教授も指摘しておられたが、学問研究は、確かに科学であるが、文化的側面も有しているジャンルであるという。すぐに役に立つものだったら、企業がやればいいだけの話だ。学問研究は、10年先、50年先、100年先を見据えたものでなくてはならないとも語っておられる。これこそが、文化ということの謂いであろう。科学は文明を下支えしている。しかし、その文明が本物となるか否かは、その背後にある文化がものをいうのである。良き農家は、その土壌に神経を使うとも言う。また、良き陶芸家は土にこだわるのと同じである。また、数学者の岡潔の名言、「数学は情緒(教育)である」これを論理の飛躍と捉えるか否かは、知性と感性のあるなしによってわかる箴言である。数学者の藤原正彦氏の「小学校で大切なのは、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」と述べられているが、大隅氏と二人の数学者の言説(考え)が通底していることに気づかぬ輩は、‘総理大臣’安倍晋三、‘元文科大臣’下村博文、‘英語教育の在り方に関する有識者会議メンバー’安河内哲也などの政府側の人間だけであろう。
ここでまた少々脱線するが、以上の3名の名を挙げた都合上、一言申し加えておくことがある。雑誌『現代思想』(2006年四月号)の中で、「教育と新自由主義」というテーマで三宅晶子氏が次のように吐いた発言こそ、現今の英語教育改革から、大学の文系学部解体にいたるまで、物事の本質が見えてくる、また、政府側に反論できる、有用なる卓見ではないだろうか?
「今の‘教育改革’とは、教育問題ではなく労働問題です」
実は英語教育も、人類普遍のツールとしての文明的側面は確かにあるが、文化的側面も大いに考慮しなければならないのである。この明治以来連綿と続いてきた<学校英語><受験英語><予備校英語>の良き側面を総括せず、一斉にファショ的に排除しようとする流れは、誰も口にはしてこなかったが{※現在その警鐘を鳴らす学者は、鳥飼玖美子・斉藤兆史・鈴木孝夫・渡部昇一などいるが、その主張は劣勢である}、大隅教授の危機感と同じものを感じずにはいられないのである。
最後に、もう一つ付け加えておこう。それは、日本の学校英語を非常に評価し、その恩恵に浴し、感謝すらしている一橋大学名誉教授、ハーバード大学で経済学博士(Ph.D)を取得された中谷巌氏の懺悔の書『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)の主旨、「リーマン・ショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装。すべての元凶は‘市場原理’だった」ではないが、このままでは十数年後の、「日本の英語教育はなぜ自壊したのか」という未来予想図が見えているのは、今や、鳥飼玖美子氏、斉藤兆史氏、藤原正彦氏、斉藤孝氏、和田秀樹氏、林修氏といった、私が命名した“英語教育保守派”のみの一部の賢者たちだけであろう。
何を隠そう、この中谷巌氏こそ、“松坂牛”でもあり‘比内地鶏’であったことを“英語教育リベラル派”は、ご存じなのだろうか?この譬えは、次章で詳しく述べることにします。
※中谷巌氏は、12歳から始めた<学校英語>の良き側面を継承し、海外へ雄飛した典型的人物でもあり、<学校英語>からの一種、英語の‘成功者’組として、世界の牛肉や鶏肉に伍する国産“松坂牛”や“比内地鶏”の例に該当する存在である。
※以上の鳥飼氏や斉藤氏などグーグルで検索していただければ、その主張や書物が簡潔に閲覧できるので、ご参照いただければ、幸いである。因みに、2018年1月に出版された『英語教育の危機』(鳥飼玖美子)―ちくま新書―をご父兄の方々がぜひ読まれることをお勧めします。
2018年8月27日 16:16