カテゴリ
- おすすめの参考書
- 保護者の方へ (10)
- 2020年問題 (3)
- おすすめの教養書
月別 アーカイブ
- 2024年12月 (3)
- 2024年11月 (4)
- 2024年10月 (4)
- 2024年9月 (5)
- 2024年8月 (4)
- 2024年7月 (5)
- 2024年6月 (4)
- 2024年5月 (4)
- 2024年4月 (5)
- 2024年3月 (4)
- 2024年2月 (4)
- 2024年1月 (4)
- 2023年12月 (4)
- 2023年11月 (4)
- 2023年10月 (5)
- 2023年9月 (4)
- 2023年8月 (3)
- 2023年7月 (5)
- 2023年6月 (4)
- 2023年5月 (5)
- 2023年4月 (3)
- 2023年3月 (5)
- 2023年2月 (4)
- 2023年1月 (4)
- 2022年12月 (4)
- 2022年11月 (4)
- 2022年10月 (4)
- 2022年9月 (4)
- 2022年8月 (4)
- 2022年7月 (4)
- 2022年6月 (4)
- 2022年5月 (4)
- 2022年4月 (4)
- 2022年3月 (4)
- 2022年2月 (4)
- 2022年1月 (5)
- 2021年12月 (7)
- 2021年11月 (4)
- 2021年10月 (5)
- 2021年9月 (4)
- 2021年8月 (4)
- 2021年7月 (4)
- 2021年6月 (4)
- 2021年5月 (10)
- 2021年4月 (5)
- 2021年3月 (8)
- 2021年2月 (4)
- 2021年1月 (6)
- 2020年12月 (6)
- 2020年11月 (7)
- 2020年10月 (4)
- 2020年9月 (4)
- 2020年8月 (4)
- 2020年7月 (7)
- 2020年6月 (6)
- 2020年5月 (6)
- 2020年4月 (5)
- 2020年3月 (5)
- 2020年2月 (4)
- 2020年1月 (4)
- 2019年12月 (5)
- 2019年11月 (5)
- 2019年10月 (4)
- 2019年9月 (5)
- 2019年8月 (4)
- 2019年7月 (6)
- 2019年6月 (5)
- 2019年5月 (4)
- 2019年4月 (6)
- 2019年3月 (6)
- 2019年2月 (3)
- 2019年1月 (4)
- 2018年12月 (4)
- 2018年11月 (3)
- 2018年10月 (7)
- 2018年9月 (4)
- 2018年8月 (3)
- 2018年7月 (4)
最近のエントリー
コラム
身体のみならず精神のケアーも!
かかりつけ医師、個人医というものを持ちないと、医師の鎌田實氏や医療ジャーナリスト森田豊氏などが主張しているのをラジオでよく耳にしたことがある。これは、近未来の人生100年ともいわれる超高齢化社会で、平均寿命とほぼかぶるように健康寿命の必要性が叫ばれてもいるからである。つまり、未病社会の推進である。身体に、脳も含め、がたが来ないように個人で、自助努力で、メンテナンスすべしということでもある。
生活習慣病予防のためにも、きちんとした食事や、適度な運動、十分な睡眠など言わずもがなのフレーズが、健康番組で連発されてもいるご時世である。大衆の健康知識の増大、医療の進歩、健康食品の開発、さらに、大衆の健康志向が輪をかけて、今や、「健康のためなら死んでもいい!」とも立川談志なら皮肉るご時世でもある。地球温暖化からSDGs社会への目覚めなんぞは、個人の健康志向が、地球規模で覚醒した、啓蒙されたにすぎない感が否めない。
では、心のサプリメントとはどうであろうか?つまり、アンチエイジングは肉体に関しての用語ではあるが、“心のアンチエイジング”に関してのことである。
時代は、日本が最先端を走ってもいるのだが、超高齢化社会である。中国もひと昔前一人っ子政策などと“自然の摂理”に反する愚策を推進したが、いまや後悔しているらしい。中国も少子高齢化の予備軍である。
男性女性を問わず、平均寿命よりも健康寿命の方が一般的に、10年前後短いのが実態である。大方の老人は、最晩年の数年間は寝たきりや誰かの介護・介助を必要とする末期が待ち構えてもいる。“ピンピンコロリ”これが理想とされる現実である。
例えば、享年85歳の男性がいたとしよう。80から寝たきり、75歳から介護が必要、70歳そこそこまで自動車も運転していたとしよう。みのもんたや尾木ママなどは最近自動車免許を返上したともいわれている。
ここでテーマとしたいのは、心の老化防止、精神の老い対策に関してある。しなやかな筋肉、みずみずしい皮膚、孫と走ったり、スポーツをしたりできるある程度健全なる肉体は誰もが希求するのが人間の永遠の欲でもあり、性でもある。これは、相対的、見える可の範疇のものである。しかし、心の若さの持続は、絶対的、主観的、非見える可の領域のもので、メンテナンスが非常に困難である。これこそ、感性の衰退、興味関心がひなびる現象とも呼べることで、ずばり、大学を卒業して、実社会へと一歩踏み出した時点で<感性の劣化>が始まると断言してもよろしかろうと思う。大学で学んだことを、企業や社会でスキルアップなんぞ日本社会では大方不可能である。木に竹を接ぐようなものともいえるのが、高等教育と実社会との関係である。はっきり言わせてもらうが、大学生は、実はキャンパスで知性なんぞは、身につけてはいない。知識の吸収と、それを知性にする、それにインスパイアする知恵が欠落して大学生になるからでもある。むしろ、アルバイトやサークル、友人つきあいなどで感性を磨いているのである。ある企業の人事の人の言葉として、「学生に知性なんか、求めていない、むしろ時代感覚を嗅ぎ分ける鋭い感性をもとめている!」といったものもまんざら嘘でもない。この言葉の背後には、オッサン連中の感性を補う役割が、新人に課されている本音が透けて見える。「我が社で要らない人材は、感性がなくなった“知性”ですよ、企業の中堅ともなって限界が来るのは!おはらい箱になるのは!」感性はなくても、“知性”すら持ちあわせていない者は早期希望退職者名簿リストにあがる。しかし、その“知性”といっても、その企業内だけで通用する特殊技法(Specific Skill)であって、どんな企業でも通用する一般技能(General Skill)ではないところが日本の企業社会の土壌なのである。
そうなのである。大学時代は、旅行もし、映画もたくさん観て、好きなミュージシャンのライブにも足繁く通った。当然、勉強は単位のため、好きな科目くらいはまじめに勉強したくらいである。知性はもちろん、今流行りの“教養”なんぞは、7~8割の学生は疎遠で卒業するのが実態でもあろう。因に、自身が関心ある領域の書籍にのめりこむ、いわば、読書三昧の学生生活を送る者など今や、絶滅危惧種でもあろう。
そうした彼らも、20代後半ともなると、企業内で、大学で学んでいた、小難しい学問とやらの大切さに気づく者がでてくる。そこで、独学で、社会人大学で、さまざまに教養・知識、あるいは、資格に結びつく学問の学び直しをする行為に出るのである。社会で<真の知性>の大切さに覚醒するわけである。
しかしである。そうした彼らも、自己の内面、精神や心のメンテナンスにまでは気が回らない。つまり、マーケティングの重要性には気づくが、ブランディングの意義にまでは頭が回らない、到達しないのである。ブランディングの要諦とは美意識にある。美意識の源泉は感性なのである。佐藤可士和氏の書籍を一冊でも齧った者ならば首肯することであろう。感性の若々しさを保つツールや手段といったものが、実は大学時代にヒントがあったことを忘れているのである。
では、身体のケアー、これは誰しも意識して、健康診断、食生活への配慮、適度の日ごろの運動などなど、気になっている方も多いかと思う。しかし、心・精神へのメンテナンスというものは、「敵は我に在り」ではないが、世情のCO2の排出やコロナ感染の如く、実感がないものである。気づいたらもう手遅れの段階(心の老化現象)に入っている。
そこで、この内面の老化予防策イコールみずみずしい感性をいかに持ち続けるか、それは、心のかかりつけ医を持つことでもある。それは、私流にどういうことか語ってみたい。(つづく)
生活習慣病予防のためにも、きちんとした食事や、適度な運動、十分な睡眠など言わずもがなのフレーズが、健康番組で連発されてもいるご時世である。大衆の健康知識の増大、医療の進歩、健康食品の開発、さらに、大衆の健康志向が輪をかけて、今や、「健康のためなら死んでもいい!」とも立川談志なら皮肉るご時世でもある。地球温暖化からSDGs社会への目覚めなんぞは、個人の健康志向が、地球規模で覚醒した、啓蒙されたにすぎない感が否めない。
では、心のサプリメントとはどうであろうか?つまり、アンチエイジングは肉体に関しての用語ではあるが、“心のアンチエイジング”に関してのことである。
時代は、日本が最先端を走ってもいるのだが、超高齢化社会である。中国もひと昔前一人っ子政策などと“自然の摂理”に反する愚策を推進したが、いまや後悔しているらしい。中国も少子高齢化の予備軍である。
男性女性を問わず、平均寿命よりも健康寿命の方が一般的に、10年前後短いのが実態である。大方の老人は、最晩年の数年間は寝たきりや誰かの介護・介助を必要とする末期が待ち構えてもいる。“ピンピンコロリ”これが理想とされる現実である。
例えば、享年85歳の男性がいたとしよう。80から寝たきり、75歳から介護が必要、70歳そこそこまで自動車も運転していたとしよう。みのもんたや尾木ママなどは最近自動車免許を返上したともいわれている。
ここでテーマとしたいのは、心の老化防止、精神の老い対策に関してある。しなやかな筋肉、みずみずしい皮膚、孫と走ったり、スポーツをしたりできるある程度健全なる肉体は誰もが希求するのが人間の永遠の欲でもあり、性でもある。これは、相対的、見える可の範疇のものである。しかし、心の若さの持続は、絶対的、主観的、非見える可の領域のもので、メンテナンスが非常に困難である。これこそ、感性の衰退、興味関心がひなびる現象とも呼べることで、ずばり、大学を卒業して、実社会へと一歩踏み出した時点で<感性の劣化>が始まると断言してもよろしかろうと思う。大学で学んだことを、企業や社会でスキルアップなんぞ日本社会では大方不可能である。木に竹を接ぐようなものともいえるのが、高等教育と実社会との関係である。はっきり言わせてもらうが、大学生は、実はキャンパスで知性なんぞは、身につけてはいない。知識の吸収と、それを知性にする、それにインスパイアする知恵が欠落して大学生になるからでもある。むしろ、アルバイトやサークル、友人つきあいなどで感性を磨いているのである。ある企業の人事の人の言葉として、「学生に知性なんか、求めていない、むしろ時代感覚を嗅ぎ分ける鋭い感性をもとめている!」といったものもまんざら嘘でもない。この言葉の背後には、オッサン連中の感性を補う役割が、新人に課されている本音が透けて見える。「我が社で要らない人材は、感性がなくなった“知性”ですよ、企業の中堅ともなって限界が来るのは!おはらい箱になるのは!」感性はなくても、“知性”すら持ちあわせていない者は早期希望退職者名簿リストにあがる。しかし、その“知性”といっても、その企業内だけで通用する特殊技法(Specific Skill)であって、どんな企業でも通用する一般技能(General Skill)ではないところが日本の企業社会の土壌なのである。
そうなのである。大学時代は、旅行もし、映画もたくさん観て、好きなミュージシャンのライブにも足繁く通った。当然、勉強は単位のため、好きな科目くらいはまじめに勉強したくらいである。知性はもちろん、今流行りの“教養”なんぞは、7~8割の学生は疎遠で卒業するのが実態でもあろう。因に、自身が関心ある領域の書籍にのめりこむ、いわば、読書三昧の学生生活を送る者など今や、絶滅危惧種でもあろう。
そうした彼らも、20代後半ともなると、企業内で、大学で学んでいた、小難しい学問とやらの大切さに気づく者がでてくる。そこで、独学で、社会人大学で、さまざまに教養・知識、あるいは、資格に結びつく学問の学び直しをする行為に出るのである。社会で<真の知性>の大切さに覚醒するわけである。
しかしである。そうした彼らも、自己の内面、精神や心のメンテナンスにまでは気が回らない。つまり、マーケティングの重要性には気づくが、ブランディングの意義にまでは頭が回らない、到達しないのである。ブランディングの要諦とは美意識にある。美意識の源泉は感性なのである。佐藤可士和氏の書籍を一冊でも齧った者ならば首肯することであろう。感性の若々しさを保つツールや手段といったものが、実は大学時代にヒントがあったことを忘れているのである。
では、身体のケアー、これは誰しも意識して、健康診断、食生活への配慮、適度の日ごろの運動などなど、気になっている方も多いかと思う。しかし、心・精神へのメンテナンスというものは、「敵は我に在り」ではないが、世情のCO2の排出やコロナ感染の如く、実感がないものである。気づいたらもう手遅れの段階(心の老化現象)に入っている。
そこで、この内面の老化予防策イコールみずみずしい感性をいかに持ち続けるか、それは、心のかかりつけ医を持つことでもある。それは、私流にどういうことか語ってみたい。(つづく)
2020年11月23日 16:35