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コラム
ワークライフバランスとワークアズライフ
「人間にとって仕事というものが生きる手段ではなく、生きる目的であるならば、どんなに幸せであろうか」(渋沢栄一)~本質的に、歌手やスポーツ選手が憧れの的となる所以である!~
小室淑恵氏を一躍有名にした<ワークライフバランス>という用語は今や市民権を得た感が強いが、これを単純に仕事と家庭、会社とプライベートの両立などと捉えていては、一般論としては、大方“ダブルドボン”、もしくは、中途半端に終わりかねない。
仕事と個人の生活の幸福な共存など、この日本社会で可能でありましょうや?
この点に少々異議を唱えている令和のオピニオンリダーが、落合陽一氏である。彼は<ワークアズライフ>を唱えている。仕事と個人生活の一致の考え方である。これは、ある意味、働き方のエリート族の概念でもある。なぜならば、こうしライフスタイルは、仕事と趣味が一致している人、成功しているフリーランサー、著名なスポーツ選手や芸能人などに限られてもくるからである。一般のお勤め人・サラリーマンなどは、<語るは易し行うは難し>でもある。
では、ワークとライフとを私流に“翻訳”して、飛躍させて言わせてもらうならば、やはり、<知性と感性の関係>に行き着くように思えてならないのである。
<知性・感性のバランス>、そして、<知性アズ感性>とでも申せましょうか?
「知性は仕事で磨けるが、感性はむしろ仕事では、摩耗される」これが一般サラリーマンをフォーマットとして私が得た人生上の定理とした、その方程式は、仕事と生活といった意味でしか定義できないカタカナ標語{ワークとライフ}では限界に行き着くと感じたからでもある。
あくまでも私個人の感想であるが、女性だけの会社、女性が多い会社というものは、一般的に業績がいい、輝いてもいる。その筋の業界、ビジネス、ビジネスマンにクローズアップするテレビ番組『カンブリア宮殿』(テレビ東京)『がっちりマンデー』(TBS)がある。そこで取り上げられる会社、社長などを観ても、その仮説は大方間違ってはいないと毎回実感している。
女性は、感性・家庭・感情(Heat)といったものに軸足を置く生き物であり、男性は、知性・会社・精神(Mind)を基軸に据える生き物である。あくまでも一般論である。
女性は、感性や私的目線で会社や仕事を観る目を忘れないが、男性は、それが欠落する傾向が非常に高い。男性は、知性や公的(世間的)目線で仕事を観てしまう習性がある。明治製菓、味の素、花王など、ヒット商品の多くは名もなきその会社の女性研究員だったり、営業ウーマンだったりする所以でもある。また、流通の神様こと、鈴木敏文も、「コンビニでも、スーパーでも、その売り場の正社員(男性マネージャーや店長)よりも、アルバイトの女子高校生やパートの主婦に発注を任せた方が売り上げを伸ばす」と発言していたこともこの文脈で正当性を持つ。
男らしく、女らしくという社会的慣習・教育観といったものは、ジェンダー論的な言説から、本来、男とは女々しい習性・資質を持ち、女は、猛々しい気質・本質を有する、それゆえ、社会という存在が数千年来、その遺伝子的素因へのアンチテーゼ的社会是として強要してきた、そして定着した感がある。日野富子、北条政子、山内一豊の妻、秀吉の妻ねね、と歴史を見渡しても、それが当てはまる。男女が別れた後、ストーカーになる者は男性が圧倒的に多い、また、別れても未練たらたらいつまでも彼女を忘れられないのは男性だともいう。女性は、からっと気持ちを切り替えその元彼を忘れられるともいう。そういえば「昔の俺はこうだったんだぞ!」「俺は、甲子園に行ったんだ!」と過去の自慢をするのが、男性陣には多いが、女性は過去の経歴を自慢するのを耳にしたことがない。出身大学自慢、出身学校にこだわるのもいたって男性に多い。男性は意識のベクトルが過去へ、一方、女性は未来へと向いているのでは思えるくらいに“前向き”なのである。この点こそ、男性の感性は硬直し、女子のそれはしなやかでいられる淵源なのかもしれない。真名にこだわりを持った平安男性貴族と、かなにすぐに適応した紫式部、清少納言、和泉式部との違いでもある。
“ものを捨てられる・捨てられない”で思い浮かんだが、断捨離の元祖は、やましたひでこという女性であり、今や世界的片付けのカリスマ、コンマリこと、近藤麻理恵も女性である。
そういえば、オタクから骨董まで、ものを収集するマニアとは、男性陣がほとんどである。『なんでも鑑定団』(テレビ東京)を観ていても、膨大な数の収集品を持つコレクターはほとんどが男性である{金銭的余裕もあってなのだが}。それに対して、女性の出演者は、一点豪華主義、即ち、とびぬけて高価な品を出品する傾向が高い。ものに対する執着心の違いかもしれない。
実は、こうした、からっとした“男性”的気質、未来志向の目線、モノヘこだわりをもたない習性、これらが、女性の社会・会社での風通しをよいものにしている要因の一つかもしれない。
男性は仕事上のスキルや経験が蓄積され、ちょうど、家光の時代の武士、綱吉の頃の武士、そして、幕末の上級武士と、身分社会(封建制度)と鎖国とが江戸幕府の硬直性を生み出した。それに対して、幕末の下級武士(=女性的感性の持ち主)こそ、徒手空拳で改革、革命を断行できたのである。同じ理法が男性硬直会社にも適用できるのではないか?明治維新の英傑たちが持つ、実は、女性の内奥に秘められた融通無碍、引き算の美学、こうした知恵・資質が社会、会社、組織というものを、進化革新させてきたのであろう。
専業主夫やイクメン、男性の育休などメディアで喧伝されてはいるが、その標語に「ああ!もっと家庭サービスしなくっちゃ!家事の分担をしなくっちゃ!」などと反省する男性陣こそ、その根本で、私が主張するしなやかで、みずみずしい感性を失いかけてもいる部族である。女性は、本音の本音のところで、何も、掃除や料理、まして、育児など“手伝ってもらおう”などとは、むしろ迷惑と感じてもいる方が多いかもしれない。女性の持つ感性への男性からの配慮が問題なのである。それは、真の家庭への感性に基づいた目線がない、心のこもった家事扶助という行為でないことが見え見えだからでもある。つまり、主婦は、家事への共感力、家庭生活への目配せともいえる<感性のなさ>に実は苛づいてもいるのである。
実は、男性の育児や家事への配慮の欠如は、<感性の老い>に原因があると言えそうである。
一般の多くのサラリーマンというものは、自身の人生の時間を切り売りしているような存在である。それに対して、料理人、パティシエなどの職人、さらに、個人商店の鮮魚店、精肉店、青果店などを営んでいる家族は、<ワークライフバランス>なんぞという言葉とは無縁の人生を生きてもいる。これという趣味に入れ込む人種は、会社員であることが多いのは、その自身の宿命を忘れるひと時が欲しいからであろう。また、<ワークライフバランス>などという“呪文”に、題目・お経のようにすがるのは“社畜”の宿命を忘れたいがためでもある。人生とは、そのような“理念”通りには進めぬものであるということが、あの渋沢栄一の言葉に集約されてもいる。
※趣味というものをちょっと真面目に考えたい人は、以下の2冊の本がヒントになります。
『無趣味のすすめ』(村上龍)・『趣味力』(秋元康)
2020年12月 7日 17:25