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デジタル教育は京大の教育システム?

 嘘か眞か知らないが、京都大学は「1人の天才と99人の廃人を作る」システムだという言葉を耳にしたことがある。この指摘が本当でもあるまいが、もし、そういうことが一理あるとすれば、日本が令和の時代、<デジタル教育>というものを推進する上で一番リアル感をもって心に響いてくる言葉でもある。
 
 コロナ禍によるオンライン授業アイパット端末デジタル教科書、そしプログラミング教育学校のスマホ解禁、さらには、使える英語第一主義などなどである。
 
①早期、いわば小学校から英語に触れさせる実用主義、
 
②中学校からプログラミングの必修化によるうわべだけのグローバル化
 
③重たい紙の教科書からの脱却、即ち、身体の健康育成第一で、軽い一枚のタブレット端末支給、視力の早期退化と脳への悪影響
 
④コロナ禍を大義名分とした、一種のショックドクトリンともいえる大学のオンライン授業体制
 
⑤いざという時の子どもとの連絡を取るという安全第一主義の学校のスマホ解禁、
 
  これらはグローバル化に付随するデジタル化の潮流におんぶ抱っこの大衆にとって非常に相性がいい、耳ざわりのいい、何か、文明の最先端をゆく教育のトレンドに乗っかっているかの如き錯覚を抱かせるものである。
 
 政府の教育方針は、デジタルネイティブ育成に躍起になっているように思えて仕方がない。デジタルネイティブの人種は、教育でわざわざ育成しなくても、出現し、そして澎湃と世の中に育ってゆくということは、時代の必然でもある。これは、まさしく、性教育と似た側面があり、学校でわざわざ行うべきか否かという議論と相通じ合うものでもある。スマホの使い方など少年少女、特に、デジタル好みの中高生は、学校外で様々なスペックを自由自在に、独学で使いおおせてもいる。プログラミング教育とて同じである。
 
 子供との非常時の連絡を理由にスマホ解禁、おじさん政治家の視点からの使える英語だの、プログラミングだの、わざわざ学校で行い、将来のオードリー・タンや落合陽一などの天才を多数輩出しようなどと目論んでもいるようだが、実は、この教育的観点こそ、「1人の天才と99人の廃人を作る」とも通じあう教育観に思えて仕方がないのである。
 
 スマホを起点として、今や社会から会社、学校、そして家庭へとデジタルの波が隅々にまで押し寄せている。黙っていても、デジタルの飛沫を浴びずには、生活できない始末となっている。ガラ携族のおじさん連中にとっては、東南アジア、特に中国などへの旅行は不自由をきたす。また、メジャーなアーティストのチケット購入も不可能な始末、上野の国立美術館の展覧会の観覧予約の煩雑さなどなど挙げればきりがない。当然‘Go to eat’やら‘Go to travel’などもガラケー族には縁がない。

 50代以上の方で、このデジタル社会に不自由さを感じてない人は、我が子にラインなりインスタグラムやらのアプリをセッティングしてもらっている方か、本来デジタルというものに親和性のおありの方でもあろう。
 
 『スマホ脳』(新潮新書)という本が最近ベストセラーともなっている。デジタル、特にスマホは脳にとって「その依存症は、コカインに匹敵する」とまで指摘している。それ以前、2018年に『スマホが学力を破壊する』(集英社新書)という本でも川島隆太東北大学教授が世に、<スマホと教育>の観点から警鐘を鳴らしてもいたが、まさしく、デジタルというものへの慣習(なれ)は、性欲と同様に制限、ストイックさが肝要であることに大衆は気づかれていないようである。2020年6月に『スマホを捨てたい子どもたち』(ポプラ新書)という本を京大総長で、ゴリラ研究者の山極寿一氏が出されてもいる。
 
 昭和の時代、誰しもタバコは、健康にはよくないことは、漠然とわかってもいた。「わかっちゃいるけどやめられない」これを是としていた。バブルが弾け、平成も半ばに差し掛かろうとする頃、「健康のために吸い過ぎに注意しましょう」とタバコのパッケージに注意書きが添えられるまでになった。そして、今や、間接喫煙という事実(こわさ)に気づいたのかは知らないが、タバコは麻薬の一歩手前、社会悪の嗜みとさえなった。タバコが害であることは、半世紀以上も前から指摘されてきたが、それが社会通念にまで浸透するには、その中毒性、麻薬性が当事者から瞑されてもきた。
 
 極論と思われようが、敢えて言わせてもらうならば、闇雲の、デジタル“ファッショ”的教育の社会的風潮、時代の趨勢は、亡国への一里塚と言わせてもらうとしよう。
 
 学校での、スマホ解禁、デジタル教科書導入、プログラミング教育といったものは、特に、小学校から中学校にかけてのことだが、セックス奨励、喫煙の黙認、飲酒の許可、こうしたお達しと同類の愚策となることだけは予言しておこう。私のこの指摘が、正しいか否かの結論が下されるのは、おそらく50年以上も先のことになるであろう。世界が化石燃料のガソリン自動車や火力発電が地上からほぼなくなっている世界でのことになるかもしれない。

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