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小論文という科目について

 小論文という科目について、今回は語ってみたい。この小論文なるものは、現代文以上に、予備校の講義、また、参考書の類が全く用をなさないジャンルでもある。
 
 この小論文なる科目は、まずもって文章の上手、下手の関わりなしに、まず文章を書くことが苦痛ではない、いや、むしろ好きであるということが必要最低限の要素ともなる。文章を書くのが嫌い、苦手でも、書きたい、書いてみたいということが何よりの前提条件なのである。文章を書く上での最低限の知識、漢字や言いまわしは、せめてあってのことである。
 
 ブックオフなどで、数百円で売られている小論文の参考書の類を数多く購入し、読んでもみたが、ああこうした書き方では、一向に進歩はしないだろうな!と実感しもした。 
 私自身が、浪人時代に、小論文の講座を予備校で受講した、また、Z会の通信添削のお世話にもなった、また、昭和の時代数少ない小論文の参考書を読んでもみた、そうした経験から言えることだが、小論文なるものは、もともと自身の内面にある、粗削りの文章の資質を、学校の国語の先生や、個別指導の先生などから、5~6回添削指導してもらい、なんとかぎりぎり合格レベルの文章にもち上げる科目ということができる巷の参考書などを読むと、自身の、そのもって生まれたその資質を全否定して、ゼロからその小論文の型を習得しなくてはならないかのような錯覚を抱かせるものばかりである。そもそもポップス調の歌謡曲向きの声質であるにもかかわらず、演歌歌手でデビューさせようとするプロデューサーの如き参考書筆者が非常に多いのである。その生徒の良さをも失わせる、角を矯めて牛を殺すが如き書き方の小論文の参考書が大半である。恐らくである、世の小論文の参考書などで合格したといえる高校生は、英数国社理の科目で一番少ないのではないだろうか。ある意味、購入したものの、一番挫折する参考書、それが小論文系のものである。これは、誰も指摘してはこなかった点である。
 
 私の指導は、いたって簡単、まず、その生徒に自由に書かせる。だから書く意欲がまず必須の条件なのである。そして、2回、3回と、段々とその生徒の欠点を指摘して、その欠点がでない文章へと導いてやる。また、その大学によりけりだが、その小論文の問題への知的武器(名言や粋なフレーズなど)などを伝授する。更に、その問題について、添削指導後、様々な角度から議論して、その生徒を突っ込む、いわば、その出題文から、自身の体験・知識・意見を言えるだけ言わせるのである。その議論の後、再度、添削文に立ち返らせる。すると、「ああもっといいのが書けたな!」と成長するのである。小論文のらせん階段を一段階上昇したことになる。これを5~6回すれば志望校対策は十分である。あんな手足を縛られたかのような窮屈な少論文参考書など読み通しても、一向に自身の殻を破ることなどおぼつかない、それが、小論文系参考書の一番の欠点でもある。

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