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コラム
不便益の大切さ=瘦せ我慢のススメ
数カ月にわたりNHKのEテレで放映されていた、なかなかインスパイアされる番組「デザイン トークス+(プラス)」の最終回を観た。私が弊著『反デジタル考』で主張しているコンセプトを、こんな方が理論化して唱道されていることに我が意を得たり、我が信念を確たるものにしてくれた思いがした。
それはどういうものかと言えば、《不便益》という概念である。英語でいう“benefits of inconvenience”という意味でもある。《世はテクノロジーの進化で社会がより便利になっている、その方向と全く逆の発想で社会をデザインするという考え方》である。その推奨者が京都先端技術大学の川上浩司教授である。彼は、もともとAIの研究者であったそうだ。今現在、携帯は持っていない、仕事上パソコンは使用するが、連絡は公衆電話を使用し、鉛筆をナイフで削り、紙の辞書を使用する。その紙の辞書の重要性は、まさしく、『反デジタル考』の第3章“電子辞書支持者への一諫言”で主張していることと不思議と見事に一致をみて誇らしく思った。さらに我田引水的になるが、私が主張してもいる“デジタルは仕事で、アナログはプライベートで”、それを地で行くお方である。私と一脈も、二脈も通ずるところがある。実は、この川上氏の生活ポリシーを小学生や中学生に是非実践して欲しいと常々思ってもいる。
彼は、20年以上前からこの《不便益》というものを研究されている。不便益システム研究所を主宰されている。不便益システムを確立し、それに則り私生活をされてもいる。敢えて私生活を不便にすることで、人間としての様々な能力の退化を予防することがその目的、その思想だとも語っていたが、私に言わせれば、生への、生きていることへの、人生の充実感といったものを見失わない規範ともいえる生き方でもある。『便利は人を不幸にする』という本があったが、それへの予防薬、それへの処方箋といったところだろうか。飛躍して聞こえるやもしれないが、これは、アナログ復興の萌芽、世の大衆のデジタル呆けへの覚醒でもある。アナログの原点、手間をかけるから楽しい、手間がかかるからいとおしい。ロボット犬アイボと生身の柴犬の違いでもある。
彼は、富士山登山を例に挙げている。「もし富士山に頂上まで、たいへんだからといって、エスカレーターを作ったらどうであろうか?」司会者の二人アンドレ・ポンピオさんと、シャウラさんは、それぞれ、「嫌だな!」「嫌だな!富士山までエスカレーターは嫌だな!」と応じていた。「それが不便益というものです」と、彼は二人に説明すると、「超わかりやすい!」と応じてもいた。
登山とは、ある意味、この《不便益》から生じる生活の幸福感ともいえるものでもある。だから、コロナ禍の最中、キャンピングやグランピングが静かなブームとなり、単に、火をYouTubeで2時間も見つめることが人気ともなっている現象は、このテクノロジーの異常なまでの発展へのアンチテーゼ的大衆行動でもあろう。
この《不便益》の観点からすれば、リニアモーターカーなど不要の長物ともされるが、JR東海の主張は、「近い将来南海トラフ地震で、東海道新幹線が不通となった場合、東西の大動脈が増麻痺断絶となってしまう、その危機管理からもこのリニアは必要なのです」というものである。しかし、実際に運行されても、意外や、新幹線の1時間40分くらいがちょうど本も一冊読み終える、また、車内でちょっとしたパソコンでの事務処理ができる手ごろな時間で、リニアの40分など中途半端で、何もできないと、高額もあり、回避されるような気がする。このようなことを、吉本芸人が大阪東京の行き来に関して同じようなことを語ってもいたので、まんざら嘘の仮説ともならないであろう。人口減もあり、半永久的に、このリニア路線は赤字が続くことであろう。
近年、一家に一台とも言えるお掃除ロボット‘ルンバ’やアマゾンの人工知能内蔵の‘アレクサ’などは、どんなにたくさんの機能を増やしたにしろ、いつか需要の頭打ち現象が起こるのではないか、そうなることを私は淡い期待を抱いてもいるが、おそらく、共働き社会とせわしいGAFA帝国に牛耳られた世界では、それも無駄な抵抗やもしれない。
川上氏の主張されている思想、そのコアは、文明社会の人間の様々な能力の劣化予防といったものである。『スマホ脳』の筆者であるアンデシュ・ハンセン氏や脳トレの開発者東北大学の川島隆太教授といった医学的見地ではなく、テクノロジーの発達におけるストイックなまでのアナログ派の抵抗でもある。何度も引用して恐縮だが、『反デジタル考』の副題である“痩せ我慢のススメ”でもある。これは、弊著の中で一貫しているものだが、教育におけるアナログの死守でもある。
この《不便益》は、教育、特に幼児から中等教育に絶対に必要なコンセプトでもある。事実、佐藤可士和氏がデザインした立川市のふじようちえんでは、凸凹の園庭、足がわざわざ濡れる水道など子どもたちに、考えながら幼稚園生活の時間を過ごし、まるで自然の中で学習するような作りにしている様子が映しだされてもいた。
私の教え子でも言っても聞かないのだが、ほとんどが紙の辞書ではなく、電子辞書を使用しているのが中等教育の実態でもあろう。そうはいっても、小学校低学年では、紙の国語辞典を使用しているのがまだメジャーでもあろう。ローマ字変換を覚えず、また、広辞苑などのソフトの電子国語辞典しか出回ってもいない現状が大きな要因でもある。しかし、三省堂の小学校国語辞典なるソフトが出回ったとしても、敢えて小学校の先生方は、紙の辞書を使わせることであろう。まだ、自我も確立していない、また、そうした文明のガジェットの存在すら知らないからである。それが、中学生という、スマホと同時並行して、ローマ字表記もそこそこできるようになる年齢になると、紙の辞書、英和でも、和英でも、古語でも、すべて電子辞書に依存する悪習にはまってゆくものである。今の初等教育はもちろんだが、中等教育の教師においても絶対に必要なのは、教え子にこの《不便益》という知恵を悟らせることである。<手間暇かけるというアナログという有機野菜>、一方、<便利という怠惰を植え付ける、デジタルという農薬野菜>、こうしたものの線引き、峻別を滔々と語ることが、令和の教師は当然、その親御さんの責務だと思うのだがいかがであろうか?
それはどういうものかと言えば、《不便益》という概念である。英語でいう“benefits of inconvenience”という意味でもある。《世はテクノロジーの進化で社会がより便利になっている、その方向と全く逆の発想で社会をデザインするという考え方》である。その推奨者が京都先端技術大学の川上浩司教授である。彼は、もともとAIの研究者であったそうだ。今現在、携帯は持っていない、仕事上パソコンは使用するが、連絡は公衆電話を使用し、鉛筆をナイフで削り、紙の辞書を使用する。その紙の辞書の重要性は、まさしく、『反デジタル考』の第3章“電子辞書支持者への一諫言”で主張していることと不思議と見事に一致をみて誇らしく思った。さらに我田引水的になるが、私が主張してもいる“デジタルは仕事で、アナログはプライベートで”、それを地で行くお方である。私と一脈も、二脈も通ずるところがある。実は、この川上氏の生活ポリシーを小学生や中学生に是非実践して欲しいと常々思ってもいる。
彼は、20年以上前からこの《不便益》というものを研究されている。不便益システム研究所を主宰されている。不便益システムを確立し、それに則り私生活をされてもいる。敢えて私生活を不便にすることで、人間としての様々な能力の退化を予防することがその目的、その思想だとも語っていたが、私に言わせれば、生への、生きていることへの、人生の充実感といったものを見失わない規範ともいえる生き方でもある。『便利は人を不幸にする』という本があったが、それへの予防薬、それへの処方箋といったところだろうか。飛躍して聞こえるやもしれないが、これは、アナログ復興の萌芽、世の大衆のデジタル呆けへの覚醒でもある。アナログの原点、手間をかけるから楽しい、手間がかかるからいとおしい。ロボット犬アイボと生身の柴犬の違いでもある。
彼は、富士山登山を例に挙げている。「もし富士山に頂上まで、たいへんだからといって、エスカレーターを作ったらどうであろうか?」司会者の二人アンドレ・ポンピオさんと、シャウラさんは、それぞれ、「嫌だな!」「嫌だな!富士山までエスカレーターは嫌だな!」と応じていた。「それが不便益というものです」と、彼は二人に説明すると、「超わかりやすい!」と応じてもいた。
登山とは、ある意味、この《不便益》から生じる生活の幸福感ともいえるものでもある。だから、コロナ禍の最中、キャンピングやグランピングが静かなブームとなり、単に、火をYouTubeで2時間も見つめることが人気ともなっている現象は、このテクノロジーの異常なまでの発展へのアンチテーゼ的大衆行動でもあろう。
この《不便益》の観点からすれば、リニアモーターカーなど不要の長物ともされるが、JR東海の主張は、「近い将来南海トラフ地震で、東海道新幹線が不通となった場合、東西の大動脈が増麻痺断絶となってしまう、その危機管理からもこのリニアは必要なのです」というものである。しかし、実際に運行されても、意外や、新幹線の1時間40分くらいがちょうど本も一冊読み終える、また、車内でちょっとしたパソコンでの事務処理ができる手ごろな時間で、リニアの40分など中途半端で、何もできないと、高額もあり、回避されるような気がする。このようなことを、吉本芸人が大阪東京の行き来に関して同じようなことを語ってもいたので、まんざら嘘の仮説ともならないであろう。人口減もあり、半永久的に、このリニア路線は赤字が続くことであろう。
近年、一家に一台とも言えるお掃除ロボット‘ルンバ’やアマゾンの人工知能内蔵の‘アレクサ’などは、どんなにたくさんの機能を増やしたにしろ、いつか需要の頭打ち現象が起こるのではないか、そうなることを私は淡い期待を抱いてもいるが、おそらく、共働き社会とせわしいGAFA帝国に牛耳られた世界では、それも無駄な抵抗やもしれない。
川上氏の主張されている思想、そのコアは、文明社会の人間の様々な能力の劣化予防といったものである。『スマホ脳』の筆者であるアンデシュ・ハンセン氏や脳トレの開発者東北大学の川島隆太教授といった医学的見地ではなく、テクノロジーの発達におけるストイックなまでのアナログ派の抵抗でもある。何度も引用して恐縮だが、『反デジタル考』の副題である“痩せ我慢のススメ”でもある。これは、弊著の中で一貫しているものだが、教育におけるアナログの死守でもある。
この《不便益》は、教育、特に幼児から中等教育に絶対に必要なコンセプトでもある。事実、佐藤可士和氏がデザインした立川市のふじようちえんでは、凸凹の園庭、足がわざわざ濡れる水道など子どもたちに、考えながら幼稚園生活の時間を過ごし、まるで自然の中で学習するような作りにしている様子が映しだされてもいた。
私の教え子でも言っても聞かないのだが、ほとんどが紙の辞書ではなく、電子辞書を使用しているのが中等教育の実態でもあろう。そうはいっても、小学校低学年では、紙の国語辞典を使用しているのがまだメジャーでもあろう。ローマ字変換を覚えず、また、広辞苑などのソフトの電子国語辞典しか出回ってもいない現状が大きな要因でもある。しかし、三省堂の小学校国語辞典なるソフトが出回ったとしても、敢えて小学校の先生方は、紙の辞書を使わせることであろう。まだ、自我も確立していない、また、そうした文明のガジェットの存在すら知らないからである。それが、中学生という、スマホと同時並行して、ローマ字表記もそこそこできるようになる年齢になると、紙の辞書、英和でも、和英でも、古語でも、すべて電子辞書に依存する悪習にはまってゆくものである。今の初等教育はもちろんだが、中等教育の教師においても絶対に必要なのは、教え子にこの《不便益》という知恵を悟らせることである。<手間暇かけるというアナログという有機野菜>、一方、<便利という怠惰を植え付ける、デジタルという農薬野菜>、こうしたものの線引き、峻別を滔々と語ることが、令和の教師は当然、その親御さんの責務だと思うのだがいかがであろうか?
2021年11月 8日 17:00