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慶應附属の蔭の王道とは大学進学に非ず

 岡本太郎、石原裕次郎、松岡修造、河野太郎、そして、千住3兄妹(博・明・真理子)、彼らに共通するのは、慶應大学の附属校に在籍していながらも、千住真理子以外は、その大学を卒業してはいないという事実である。
 
 慶應ボーイの真の隠れた王道<=文化的セレブ?>とは、附属の大学に進学しない、しても卒業はしないルートでもある。
 
 岡本太郎は、小学校時代問題児だったらしく、どこの小学校でも引き取り手がなく、結局は慶應幼稚舎に入る。その後、東京美術学校へと進み、両親の渡欧により、フランスへと渡り、芸術の芽を開花させる。
 石原裕次郎は、慶應義塾高校から法学部に進むも、日活に映画俳優としてデビューし、中退する。加山雄三とは対照的である。加山は、法学部卒業と同時に、東宝に入社する。
 松岡修造は、テニスに才能があり、塾高を中退し、テニスの名門校柳川高校へと進む。
 河野太郎も、慶應の経済を中退し、アメリカのジョージタウン大学を卒業した。
 今や芸術家一家として名高い千住3兄妹も、真理子以外、長兄の博は、藝大の日本画科へ、次兄の明は芸大の作曲家へと進み、両兄は、首席で卒業してもいる。妹真理子は、周囲の勧めに反して、敢えて藝大へは進まず、江藤俊哉から個人レッスンを受けながら文学部を卒業した異風・変わり種でもある。
 
 まあ、こうした異才、秀才、天才たちは、凡人には、適応が好ましくない事例でもある。というのも、彼らの親たちの存在でもある。
 
 岡本太郎の父は、昭和初期の超売れっ子漫画家岡本一平であり、母は、女流作家岡本かの子である。石原裕次郎の父は、山下汽船の重役であり、兄は作家にして政治家の石原慎太郎である。松岡修造の父は、東宝映画の社長、修造自身はあの小林一三のひ孫でもある。河野太郎は、祖父一郎、父洋平と、自民党の大物政治家の家系を引く。千住3兄妹に至っては、父が慶應の理工学部の教授でもある。
 
 慶應大学の、隠れた王道とは、才能という宿命の線路を、本線から逸脱して、開拓してゆく人生行路とも言えよう。これは、セレブ、ある意味で家庭が裕福でなければ歩めない道でもあり、様々な遺伝的プラスの要因も働いてもいよう。この点、早稲田の中退者の王道が、マスコミ、テレビ、歌謡界、文芸のジャンルで大成した傑才とは、まさしくイメージが対照的ともなる。大橋巨泉、タモリ、永六輔、野坂昭如、五木寛之などなどである。
 
 結論を言おう。大学を卒業して、一般企業に就職する者は、結局は、自身の才能・天職・資質などに、気づかぬ者、巡り合わぬ者でもある。
 自身の天命を4年の年月で悟らぬ、悟れぬ者、そういう部族にこそ、就職というルートがあるということでもある。
  しかし、日本人の平均寿命は、昭和に比べ数十年伸びた。福澤諭吉の云う、人生二毛作ならぬ、人生三毛作の時代である。大学を卒業しても、自身の天職に巡り合える可能性が広がってもいる。大学を中退する時代から、今や、会社を“能動的”に辞める時代でもある。これは、終身雇用や年功序列が崩壊した外圧的要因からではなく、むしろ、人生100年時代を見据えた内発的<生の飛躍・躍動>からの帰結でもある。
 
  こうした慶應ボーイの例から、結局は、4年制の大学を卒業し、一般企業に就職する者は、人生20年強の間に、自身のやりたいこと、自身の才能・資質に気づかぬ者と言ってもいい。この事例は、何も慶應だけではなく、他の大学にも当てはまる。
  私の好きなサザンオールスターズの桑田佳祐などは、青学中退のキング・オブ・ポップでもある。

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