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安倍政権の教育政策というものがどれだけ愚策か!

 安倍政権の教育政策というもの、それは、第一次安倍内閣における教員免許状の10年更新制度、まるで自動車免許じゃあるまいし、不要、無用の長物である。そんなことをしても、しなくても、瑕疵教師を解消できないのは、ちょうど深夜の自転車防犯チックを町の巡査がネズミを捕まえるように、姑息に行う以上に無意味、非効果的ですらある。政治家、役人が、現場をどれだけ把握してはいないか、その机上の空論の証ともなっている政策である。
 第二次安倍政権、それも、下村博文文科大臣の下、一部の財界の人、巷間の英語の負け組の声の<スープ>に、大衆受けする、しかも耳さわりのいい、なお票に結びつく、ポピュリズム英語政策、即ち、使える英語{この錦の御旗に誰も反論はできない。}、資格系試験{英検やTOEICなど}を導入する愚策の<麺>をぶち込み、それもグローバル化を喧伝し、日本国民全員実用英語教に入れの大合唱を煽る<店看板>を掲げる、こうした船にまさに、この国は乗り換えようとしている。国民は、こんな<ラーメン屋>など、一度味わえば、二度と足を向けない。つまり、後悔するということだ。ゆとり教育という、これも、理想的な文言、安い・早い・美味いが、実は、高い・遅い・不味いという、教師には手間がかかり、時間もかかる、一方、生徒には、頭に汗をかき、面倒くさい、しかも生徒には、ちっとも面白くない、いや、試験や入試に関係ない、身に付いたという実感も伴わいない“美味しくない”授業であった現実と同じ運命とあいなるのは、一部のまっとうな知性を持ち合わせている、学者{藤原正彦・茂木健一郎}や専門家{鳥飼玖美子・斉藤兆史}、教師{林修や斉藤孝、進学校の一部の教師}などで指摘されている通りである。
 では、この安倍政権の行おうとしている英語政策の盲点、死角というものを指摘するとしよう。
 まず、先生の質の向上という方針である。経済が大企業を潤せば、中小企業、そして、従業員、国民にまでその利益が行き渡るというトリクルダウンという経済用語がある。これを、学校の英語教師の英語の実力を上げれば、中学高校の生徒も上がるだろうといった類のものだ。ある意味、全国の高校野球の監督を、プロ野球の現役選手や元プロの選手をそれぞれの高校野球部にあてがえば、野球技術の向上、ひいては、日本のプロ野球のレベルが上がり、また、もっとメジャーリーグで活躍する選手が増えるだろうという、“経済予測”に等しいものだ。身体的発展途上の十代後半の少年には、それにあった、アマや教員の監督が、ふさわしいのである。池田高校の蔦監督、横浜高校の渡辺監督、しかりである。
 高校生に「使える英語を身につけたいか?」の問いに、8割前後、「そう思う」と答えるそうだ。しかし、「使える英語には、地獄のような、難儀な努力が伴う」という文言を付け加えれば、おそらくその割合は、2割を切ることだろう。そうである、現今の高校生は楽して技能も身に着けたいという便利社会の空気に育ってきた。彼らのメンタルは“コスパ”思想で染まっているのである。現場の英語教師、塾・予備校の講師、彼らは、わかっているはずだ、高校生の3割も、努力を伴ってまで使える英語に勤しむ者などいないという現実を。こうした本音は、やる気のない高校生に、また、球技が苦手、球技が嫌いな生徒にまで、体育の時間にバスケやバレーを強要する教育方針と同じものである。
 ここ20年以上、日本男子マラソン界は低迷を極めている。この遠因を、スポーツ評論家の玉木正之は、箱根駅伝、そして実業団駅伝にあると指摘している。この男子マラソンの低迷と高校生の英語のできなさを比較すると興味深い点が浮き彫りになってくる。
 日本中のインターハイで入賞する長距離ランナーの高校生を、早稲田、青山、駒沢などヘッドハンティングする。そして、彼は、せいぜい20キロ前後のハーフマラソンにエントリーされることを至上目的として、大学時代練習に励むのである。大学の陸上部のレギュラーに入り、そして、正月の箱根駅伝に出場することを青春の夢としている若者が8割前後であろう。彼らの半数は、陸上を引退し、一般サラリーマンとして企業に入る。また半数は、体育の教師をやる者、実業団で、企業の広告塔として、長距離ランナーを続ける者、これが、実態であろう。箱根駅伝の大学生で、その後、世界的マラソンランナーを目指す者など、箱根駅伝選手の1割にも満たないであろう。彼らは、はこね駅伝出場で燃焼しているのである。
 実は、この箱根駅伝選手のメンタルと同根のものが、日本の高校生の大学受験にむけた英語への姿勢なのである。高校時代英検2級を取得した高校生は、山ほどいるが、その後、大学生になり、進んで準1級、1級へと自己鍛錬、自助努力をする大学生がどれほどいるか、それと箱根駅伝=2級レベルの英語から、マラソン2時間10分台=準1級、マラソン2時間5分前後=1級、この、英語のしんどさ、マラソンのきつさ、高校から大学へ進んだ若者、大学から実業団に進んだ新社会人、同じメンタルといってもいい。玉木正之氏も言っているが、「山の神などと、はやし立てているが、あんな山に得意になっても世界的マラソンレースには勝てはしない」
 あの瀬古利彦も早稲田の駅伝選手だったが、学生時代、福岡国際マラソンで勝っている。そのゴールした場面なんぞは、中村清監督に抱き着いて感動的だったこと記憶している。そうである、駅伝選手くらいでは、所詮、世界の陸上では勝てない。英検2級程度では、使える英語など話しにならない。では、その後、マラソン選手として大成するのは、その本人の資質と気質がものをいう世界なのである。その後、準1級、1級レベルを目指すのは、本人の努力、やる気、そして、それまで本当の2級の実力があったのかという点に尽きるのである。英検2級程度、また、難関大学の入問題、それを箱根駅伝5区の山登りとしよう、そうした能力を持ち合わせていても、所詮、使える英語、また、準1級以上は、日本の高校生の中の10人中1割もいないことだろう。国が、使える英語云々する次元のレベルのものでは、高校生の英語の世界にはないということを、全くわかっていないのが、文科省、安倍政権なのである。
 「日本人の9割に英語は必要ない」と「ビルゲイツとやり合うために仕方なく英語をやった」成毛眞氏の本を、英語リベラル派の連中は、一読するとよい。
 最後に、使える英語、使える英語とわめきたてる安倍政権、文科省に問いただしてみたい。「習字の時間だって?習字なんて今、流行らない。習字の時間をペン習字の時間にしてしまえ!」「音楽の時間で、リコーダーや合唱の練習、くだらない!社会人でも接待で役に立つ、カラオケの時間にしてしまえ!」これと同じ愚策を、今の安倍政権はやろうとしているのである。




 

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