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人生、刃の研ぎ頃に、真価が問われる

 頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。
                             西岡常一
 器用な人は苦もなく先に進んでゆけるので、往々にして「本当のものをつかまないうちに」作業を終えてしまう。反対に不器用な人は「とことんやらないと得心ができない」から、要所を疎かにせずに熟達すると、奈良の宮大工は言う。画家の場合だとたしかに、手がそつなく動く、その器用さを不自由と漢字、あえて利き手とは逆の手で筆を持つ人がいる。
     折々のことば  鷲田精一   2022・4・10
 
 
 「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」(吉田兼好)
 
 プロ野球界の速球王、尾崎行雄、山口高志などは、日本球界でスピードガンなどない時代、最も球が速かったとされる投手である。しかし、短命で終わった。
 
 大正の文壇では、学生時代秀才でもあった理知派の芥川龍之介より、学生時代落第を繰り返した白樺派の志賀直哉の方が、戦後まで大家として存命した。
 
 西欧画と日本画を代表する中川一政と奥村土牛なんぞは、若かりし頃、決して画壇では、エリートでもなく、傍流でもあったが、晩年に、大家となり、齢100歳前後まで天寿をまっとうした。中川は岸田劉生を、奥村は小林古径を、自身の及びもつかない天才とも自覚していたのであろう、こつこつとまるで“牛が歩む”ように、画道を極めてもいった。
 
 学生時代は、特に中等教育では「頭が切れたり、器用な人」が良い大学(偏差値の高い大学)へゆく傾向が高い。それと並行して、平成の世までは東大から官僚へと進むのが、‘鋭きカミソリ派’の常道でもあった。そうした‘カミソリ派’は令和の時代、男性の髭剃りカミソリと同様に使い捨ての時代ともなった。その実状を察知してか、今や東大生には霞が関が理想の職場ではなくなってもいる。経営コンサルのマッキンゼーやボストンコンサルタントが人気らしい。しかし、こうした外資系企業も、数年で自身の鋭利な刃は摩耗する職場である。人生とは、鋭さから鈍さへの転換というものの自覚が、20歳を過ぎてからが勝負の勘所となるらしい。
 ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥氏{※医師としての整形外科医として挫折する}などは、その典型でもあろうか?いや、上皇陛下の心臓バイパス手術を行った天野篤氏{※医師になるまで三浪もしている}なども、県立浦和高校に入学するまでは、秀才中学生でもあっただろうが、高校、そして浪人時代は、人生の鈍さの真意を悟る。人生の無駄な時間、人生の寄り道、こうした不便益・不用益を悟った者でもある。彼らは、鈍き刀を30代以降に手にし、懐に大切に忍ばせてもいる。20代の蹉跌を、武器に変えた達人でもある。

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