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コラム
私を救ってくれた"いたずらっ子"気質
恥ずかしながら、私の個人的、子ども時代を吐露させていただく。
周囲(親戚や従業員)の弁でもあるのだが、私は子供時代に、いたずらで、いたずらで、手がつけられないやんちゃ小僧であったという。今ふりかえってみると、確かに、そういう面は多々あったと思い出されるのであるが、当時は、余り自覚もされなかった。当事者であった私の幼児性ともいえるわんぱく気質は、天性のもので、環境への反発、自己防衛本能から、そうなっていったとしか考えられない。天才・天然長嶋茂雄が、周囲が奇人変人と呼んでも当事者の彼にはそうなのかな?と自覚されないように、子どもの私は、一切、自身をいたずらっ子などとは、実感してもいなかった。この場では、そのいたずらぶりの武勇伝は、列挙しないが、弊塾の教え子に語るエピソードなどは、彼らが超うける小話ばかりである。もちろん、小6まで勉強など一切しなかった。成績は、それまでクラスの真ん中をうろうろしていたくらいである。できらんぽの、ヤンチャ小僧、それが、小学校時代の私の肖像でもある。
16歳までの、私の、つまびらかな家庭環境は、この場では割愛させていただくとして、端折っていえば、祖父母から三世代同居の中小企業を営む環境にある立場上金銭的には不自由しないものの、前近代的な封建的な家族内で、父母の夫婦関係はいいとはいえず、いつかは離婚するのでは、そういった懸念的空気が立ち込める、暗鬱なる雰囲気の中で高校1年まで東京下町で過ごした。仮面夫婦的両親を持つ子供の心境とは、どういうものか、まあ、想像して欲しい。幸福度という尺度で、裕福で夫婦仲が悪い両親と、貧しいが夫婦仲が良い両親とでは、どちらが“幸せ”であるのか?
案の定、私の両親は、高校1年の6月に離婚と相成った。私は、父方に就けば、高校は中退することもなかったのだが、母に分があると判断した私は、東京の高校を中退した。母方に就くためである。中学浪人の末、宮城県の公立高校に入りなおした。思春期の1歳は、大人の十歳以上に心にプレッシャーとなる。感受性の強さがそうもさせるのであろう。湊町のバンカラな校風の高校と東京のおぼちゃま然とした校風の違いでは、カルチャーショックを受けた。令和と違い、昭和時代の学生の気質はもちろん、校風も全国各ばらばら、よく言えば、個性が際立つほど、今とは違ってもいた。その高校の1年目でも、何か東京からきたよそ者のオーラが原因かは知らないが、短期間、いやがらせ以上いじめ以下の経験もした。
この県立石巻高校入学以来というもの、学校の空気、友人になじめず、短期無断欠席や母親を伴い担任への退学への逡巡の相談などにもおもむいた経験をした。高校を中退して、大検で、大学進学した方がいいのか、悶々と“曇り空”の高校1年時代が過ぎていった。
16才から17才にかけての人生における、葛藤の岐路、苦渋の人生行路、これらは、生まれて初めての試練でもあった、両親の離婚、高校中退、東京の友との離別、地方の片田舎での中学浪人生活、母の兄でもある伯父の実家での1年以上の居候生活、年齢の隔たりへの強烈なコンプレックス、高校への不適合、新しい湊町での新生活など、極々標準的なる思春期の少年ならば陥るでもあろう、恐らく、不登校、引きこもり、軽い不良化など様々な“人生の踏み外し”をしなかった大きな原動力となったのは、子ども時代の、いたずらっこ気質、やんちゃ魂、わんぱく精神、こうした、なんとかなるさ魂ともいえる楽観主義が、あったおかげで、その当時の苦節をしのぐことができたと確信してもいる。
もし中途半端に、社会化された、学校の制度というもの是とする精神を宿していたならば、あの頃、どこかで、また、誤った(?)方向へと進んでいたかもしれない。
軽く、触れてもおくが、この思春期の蹉跌とクロスするように、巡りあったのが、文学の世界でもあった。精神の世界で、いくらドロップアウトしようが、挫折しようが、それは、ある意味、<無頼>という、<日陰者の勲章>ともなる、人生の負の遺産が、プラスに逆転するという真実である。<劣等感が優越感にも変貌する、不幸が幸福に下剋上するメンタル上の逆説>という魔法が、文学にあることにも気づいた時期でもあった。
やんちゃ精神が、その組織や学校から、その人を遁走せしめるバネともなる。「学校なんて、友人関係なんて、適当にあしらって、仮面でもかぶり、息を我慢して通り過ぎるに限るさ」と達観させてくれたのが、いたずらっ子気質でもあった。
これは、子ども、少年、青年、そして大人になっても、心に秘めた、自身が生理的・心理的に嫌悪する環境を振り払う武器として有効でもある。それは、「たかが学校、たかが高校、たかが勉強」と、大上段に構えて言わせていただくと、「何かが、いつか、僕を待っていてくれている」と漠たる楽観主義が、なだめてくれていたような気がする。生来、<いたずらっ子憲法>を、<戦後の平和憲法>のごとく、小学校、中学校時代、改定、改変、修正していなかったおかげでもある。
成人して、会社で鬱になる、高校で、不登校になる、中学でいじめ等で、自殺未遂やひきこもる、こうした運命に飲み込まれる部族は、大方、こうした、<少年性という羽衣>をまとっていない人々かもしれない。そうした会社から学校にまで及ぶ大洪水、津波に巻き込まれずに飛び立つ、子ども時代に身に付けた<少年の羽衣>を捨て去った人々なのかもしれない。
ひと様は反論されるかもしれない。あなたの、そうした天真爛漫とした、ちゃめっけ気質は、IQの高さや、絶対音感のように、一種の<天分(ギフト)>である、と。そう批判されたら、もちろん反論などはできない。しかし、親の立場でいる人には、我が子への、この<子供らしさの躾け>、矛盾するようだが、それを心にとめておいて欲しいものである。敢えていう、その<子供らしさの躾け>の要諦とは、“自然”、そして、“アナログ”に存するということを。弊著『反デジタル考』を是非お読みいただくと、その急所が、痛感されることであろう。
周囲(親戚や従業員)の弁でもあるのだが、私は子供時代に、いたずらで、いたずらで、手がつけられないやんちゃ小僧であったという。今ふりかえってみると、確かに、そういう面は多々あったと思い出されるのであるが、当時は、余り自覚もされなかった。当事者であった私の幼児性ともいえるわんぱく気質は、天性のもので、環境への反発、自己防衛本能から、そうなっていったとしか考えられない。天才・天然長嶋茂雄が、周囲が奇人変人と呼んでも当事者の彼にはそうなのかな?と自覚されないように、子どもの私は、一切、自身をいたずらっ子などとは、実感してもいなかった。この場では、そのいたずらぶりの武勇伝は、列挙しないが、弊塾の教え子に語るエピソードなどは、彼らが超うける小話ばかりである。もちろん、小6まで勉強など一切しなかった。成績は、それまでクラスの真ん中をうろうろしていたくらいである。できらんぽの、ヤンチャ小僧、それが、小学校時代の私の肖像でもある。
16歳までの、私の、つまびらかな家庭環境は、この場では割愛させていただくとして、端折っていえば、祖父母から三世代同居の中小企業を営む環境にある立場上金銭的には不自由しないものの、前近代的な封建的な家族内で、父母の夫婦関係はいいとはいえず、いつかは離婚するのでは、そういった懸念的空気が立ち込める、暗鬱なる雰囲気の中で高校1年まで東京下町で過ごした。仮面夫婦的両親を持つ子供の心境とは、どういうものか、まあ、想像して欲しい。幸福度という尺度で、裕福で夫婦仲が悪い両親と、貧しいが夫婦仲が良い両親とでは、どちらが“幸せ”であるのか?
案の定、私の両親は、高校1年の6月に離婚と相成った。私は、父方に就けば、高校は中退することもなかったのだが、母に分があると判断した私は、東京の高校を中退した。母方に就くためである。中学浪人の末、宮城県の公立高校に入りなおした。思春期の1歳は、大人の十歳以上に心にプレッシャーとなる。感受性の強さがそうもさせるのであろう。湊町のバンカラな校風の高校と東京のおぼちゃま然とした校風の違いでは、カルチャーショックを受けた。令和と違い、昭和時代の学生の気質はもちろん、校風も全国各ばらばら、よく言えば、個性が際立つほど、今とは違ってもいた。その高校の1年目でも、何か東京からきたよそ者のオーラが原因かは知らないが、短期間、いやがらせ以上いじめ以下の経験もした。
この県立石巻高校入学以来というもの、学校の空気、友人になじめず、短期無断欠席や母親を伴い担任への退学への逡巡の相談などにもおもむいた経験をした。高校を中退して、大検で、大学進学した方がいいのか、悶々と“曇り空”の高校1年時代が過ぎていった。
16才から17才にかけての人生における、葛藤の岐路、苦渋の人生行路、これらは、生まれて初めての試練でもあった、両親の離婚、高校中退、東京の友との離別、地方の片田舎での中学浪人生活、母の兄でもある伯父の実家での1年以上の居候生活、年齢の隔たりへの強烈なコンプレックス、高校への不適合、新しい湊町での新生活など、極々標準的なる思春期の少年ならば陥るでもあろう、恐らく、不登校、引きこもり、軽い不良化など様々な“人生の踏み外し”をしなかった大きな原動力となったのは、子ども時代の、いたずらっこ気質、やんちゃ魂、わんぱく精神、こうした、なんとかなるさ魂ともいえる楽観主義が、あったおかげで、その当時の苦節をしのぐことができたと確信してもいる。
もし中途半端に、社会化された、学校の制度というもの是とする精神を宿していたならば、あの頃、どこかで、また、誤った(?)方向へと進んでいたかもしれない。
軽く、触れてもおくが、この思春期の蹉跌とクロスするように、巡りあったのが、文学の世界でもあった。精神の世界で、いくらドロップアウトしようが、挫折しようが、それは、ある意味、<無頼>という、<日陰者の勲章>ともなる、人生の負の遺産が、プラスに逆転するという真実である。<劣等感が優越感にも変貌する、不幸が幸福に下剋上するメンタル上の逆説>という魔法が、文学にあることにも気づいた時期でもあった。
やんちゃ精神が、その組織や学校から、その人を遁走せしめるバネともなる。「学校なんて、友人関係なんて、適当にあしらって、仮面でもかぶり、息を我慢して通り過ぎるに限るさ」と達観させてくれたのが、いたずらっ子気質でもあった。
これは、子ども、少年、青年、そして大人になっても、心に秘めた、自身が生理的・心理的に嫌悪する環境を振り払う武器として有効でもある。それは、「たかが学校、たかが高校、たかが勉強」と、大上段に構えて言わせていただくと、「何かが、いつか、僕を待っていてくれている」と漠たる楽観主義が、なだめてくれていたような気がする。生来、<いたずらっ子憲法>を、<戦後の平和憲法>のごとく、小学校、中学校時代、改定、改変、修正していなかったおかげでもある。
成人して、会社で鬱になる、高校で、不登校になる、中学でいじめ等で、自殺未遂やひきこもる、こうした運命に飲み込まれる部族は、大方、こうした、<少年性という羽衣>をまとっていない人々かもしれない。そうした会社から学校にまで及ぶ大洪水、津波に巻き込まれずに飛び立つ、子ども時代に身に付けた<少年の羽衣>を捨て去った人々なのかもしれない。
ひと様は反論されるかもしれない。あなたの、そうした天真爛漫とした、ちゃめっけ気質は、IQの高さや、絶対音感のように、一種の<天分(ギフト)>である、と。そう批判されたら、もちろん反論などはできない。しかし、親の立場でいる人には、我が子への、この<子供らしさの躾け>、矛盾するようだが、それを心にとめておいて欲しいものである。敢えていう、その<子供らしさの躾け>の要諦とは、“自然”、そして、“アナログ”に存するということを。弊著『反デジタル考』を是非お読みいただくと、その急所が、痛感されることであろう。
2022年9月19日 16:34