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暗記の哲学

 知識偏重・詰め込み教育、こういった言葉は、マイナスイメージで語られことが、ほとんです。しかも、こうした用語は、文科省、教師、父兄、つまり社会的観点で用いられのが通例でもあります。では、この二つの用語は、生徒、子供の視点にたった時、どういう表現になるのか、それは、暗記という一語に集約されます。この暗記という言葉が、一人歩きし、味噌も糞も同列に語られてきた慣例にひとまず、くさびを打ち込みたいと思うのです。この暗記というものは、医師の国家試験、司法試験から、大学入試、中学受験にいたるまで避けては通れないという“現実の関所”のようなものです。中国における科挙の試験というものが典型です。知識偏重・詰め込み教育から暗記を引き算して、何が残るというのでしょうか?生き生きとした思考力、みずみずしい感性とでも、蒙昧な教育評論家は言いたげであります。そこで、この暗記という行為を、どう分類するのか、無学な私は、これを突き詰めた研究書なり、心理学の本、また、学説など知りませんが、日ごろ、この暗記という意識・無意識に行っている学習上の行為といったものを、私見ながら、語ってみたいと思います。
 
 ①天才――賞賛するにあたらない。一種の精神病だ。(フローベール)  長嶋茂雄型
 
 まず、一番典型的なケースとして、歴史という教科を考えてみたいと思います。日本史を例にとりましょう。まず、IQが130以上の地頭のいい高校生は、興味や関心がなくても、自然と頭にその知識なりが、砂が水を吸い込む様に、入ってくるものです。私の教え子で、聖光学院の生徒の事例をお話しすると、「学校で、ある奴がいて、世界史の授業なんですけど、全くノートも取らずに、ただ、頬杖ついて聞いているだけで、定期テスト、ほぼ満点なんですよ。お前、ノートを取らないのか?と尋ねると、こんなの聞いてりゃ、頭に入るじゃんか、と答えくるんですよ、ほんとむかつく位に超できる奴がいるんすよ」こう語ってくれた、B君が忘れられません。そうです、灘や開成でも、こうした連中はクラスに数名はいるものです。脳科学者の中野信子氏や国際弁護士の山口真由氏などは、この口でしょう。
 
 ②天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である。(スタインベック)  王貞治型
 
 次は、そのジャンルにめっぽう関心・興味があるタイプです。いわば、日本史オタク族、歴女なる存在がまさしくこれに入ります。その暗記の対象が、面白く、一般人には苦痛とも思える行為が、遊び・スポーツ化しているのです。このタイプは、日本史という科目を趣味の延長とさえ考え、前向きに学ぼうという向学心が無意識に湧き上がってもくるのです。アメリカ映画が好きで、英語を自然と身に付けたとか、洋楽にはまり、英会話へとスライドしてスキル向上させた英語の使い手たちでもあります。これは、教える立場の人間{教師や両親}と教えられる立場の人間{生徒と子供}の関係性・環境が大きく作用しています。
 こうした2つの事例には、暗記というものは、マイナスイメージが纏わりついてはいません。天賦の才、あるいは、無意識・意識を問わず、彼らは、能動的な学びの行為に及んでいるからです。
 
  ③凡人が自らの天才に失望した時、まず立てるべきは戦略だ。(ゲーテ)  野村克也型
 
 では、IQも標準並み、興味・関心も薄い、こうした生徒③は、暗記が避けて通れない受験というものにどう挑んでいくべきなのか、それが、勉強の、受験のハウツー本がバカ売れする所以でもあります。
 ここで、国語という教科に関して、典型的な二人を挙げてみましょう。それは、東進ハイスクールの林修氏と板野博行氏です。
 林修氏が、テレビで語っていたことですが、「イイククニ(1192)作ろう?、鎌倉幕府だって?そんなゴロで覚えるなんてナンセンス、そんなの、年号なんて無意味、すぐ頭に入るじゃんか!」とゴロで暗記する手法を、鼻で笑うように批判していました。それに対して、板野氏は、古文単語をゴロで覚える単語集『ゴロで覚える 古文単語ゴロ513』で一世を風靡し、参考書のベストセラーにもなり、知名度を上げました。この両氏は、対照的です。林氏の受講生の母集団は、東大志望、それも現代文だけが凹んで、それをどうにか底上げしてあげたい、克服してあげたい連中です。それに対して、板野氏の受講生は、MARCH志望、できれば、早慶記念受験組であるのは想像されます。こうした標準的受験生、IQもそんなになく、興味もなし、しかし、藁をもつかみ、古文単語を必死で覚えたいと望む受験生の教祖的存在が板野氏であり、その経典こそ、この≪ゴロ語シリーズ≫なのです。
 こうしたゴロで覚える超有名な事例は、化学の「水兵リーベぼくの船、ななまがり、shipすクラークか」でありましょう。ノーベル化学賞を受賞した、福井謙一氏や白川英樹氏や野依良治氏に、青春時代の暗記の経験を質してもらいたいものです。最近では、化学の周期表の物質を歌(音楽)で暗記するCDまであるそうです。彼ら偉人達は、かの“水兵リーベ…♪”からどう、更に物質名を暗記していったか、恐らく、我ら凡人とは、その知的ルートは異なっていたことでしょう。林修氏が、小学生の頃、前向きに日本史に興味を持ち、中学高校では、暗記の必要すら感じていない域に達していた。なお、彼のIQの高さもあったでしょう。板野氏の手法を信じ、彼にすがる、凡庸なる受験生のメンタルは、林氏には想像できないかもしれません。
 暗記という行為に、自身が工夫・覚え方など、自身の戦術・戦略を発見・発明した人は、一応、受験の勝者となります。落とすべき“城(夢・目標・目的)”を闇雲に、足軽の城攻めを行っても、犬死するのが関の山です。また、乃木希典の203高地の戦術と同じように、兵士の玉砕(※何浪もしてしまう)ともあいなります。こうした、足軽の城攻めや乃木の戦略の如き受験暗記というものと、世にいうカリスマ予備校講師による授業{理解⇒納得⇒関心⇒感動}による暗記とを峻別しなくてはならないのです。これは、有名な定説ですが、浪人生{※共通一次以降の生徒:予備校がスターダムにのし上がった時代}で、浪人して、たとえ第一志望の大学に入れなかった生徒でも「浪人してよかったです!」という発言をするのが7~8割だと言います。これは何を意味するのか?恐らく、現役時代、高校の授業でただ闇雲に理解も、納得も中途半端で、頭を知識でいっぱいにして、不合格となりながらも、通った予備校で、知的に体系化された観点、覚えやすい手法を、知的感動すら伴いながらも、学び取り、その科目に対して、前向きに学ぶメンタルの向上、さらに、丸暗記という無機質な学習を脱皮し、時にゴロ的手法もあったでしょう、克服した1年が、<お勉強(小中)⇒学び(高)⇒{学問(予備校)}⇒研究(大)>へと、少々大げさですが、知の飛躍があったからだろうとも言えるのです。
 
 ④:①でも②でも③でもないタイプの学生
 
 こうした知的経験を経ずして、棒暗記・うさぎ跳び的丸暗記しかやらずに、第一志望はもちろんのこと、第二志望すら合格しなかった生徒、また、そうしたお勉強しかやってこなかったにも関わらず、第一志望に合格してしまった生徒、こうした大学生④は、キャンパスで向学心に燃えて、次の段階に、前向きに勉学に勤しむ気持ちなど湧き上がってくるでしょうか?実は、暗記というものは、前回でも申し上げましたが、良い暗記悪い暗記があるにも関わらず、すべて、悪い暗記の観点で、全てファショ的に、暗記駄目、詰め込み教育駄目、知識偏重駄目という風潮になっているのが実態なのです。英語教育における<学校英語><受験英語>駄目説は、①から③にも入らない部族④のみを臨床エビデンスとして湧き上がってきたものなのです。文科省の連中は、得てして、暗記というものに苦労してこなかった部族①であります。いわば、林修氏的エリート層の連中です。この人種の人々が、受験の負け組の無機質棒暗記部族④の悲惨さに、思いを巡らせ、興味・関心から学ぶ部族②、さらに、工夫(ゴロ暗記族)部族③も、全て、否定し、‘知のゆとり主義’へと舵を切ってもいるのです。








 

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