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帰宅部とは?

 政治上、また議会上、投票という行為には、賛成と反対が優位をしめる。それで、ものごとが決定されるのが、政治上のみならず、株主総会や会社の役員会議など、経済上も同様である。これは、白と黒、その明暗をはっきりさせ、事を先に進めるための、人類史上の知恵でもあった。これを古代ギリシアにルーツを持つとされる“民主主義方式”とやらである。しかし、そこには、グレーゾーンとも言える棄権という中間的な立ち位置、意思というものの存在は無視できない。この投票における棄権行為は、賛成派・反対派から様々な憶測をよび、何故棄権なのか?当時者にもならず、外野でもある市民やジャーナリストからあれこれと根掘り葉掘り、邪推やら忖度やら、穿った見方の対象ともなる存在でもある。支持政党なしといった無党派層がこれであり、サイレントマジョリティーの大勢はこれでもある。

 さて、この社会上、組織上、棄権という行為と同様のものがあることを、学校生活で指摘することができる。それは、帰宅部という、一種、仮面浪人同様に、その用語はあるものの、その実態が、我関せず、我が周囲のこと、他人様の行為、その程度で、中学、高校ではみなされてもきた。余り、肯定的な意味合いを帯びてもいない用語である。市民権はあるものの、広辞苑などの国語辞典には、記載もされてもいる日陰者の言葉である。この帰宅部という用語を題名に使用した、教育関係の書籍を私は知らない。但し、『帰宅部ボーイズ』(はらだみずき)〔幻冬舎文庫〕という小説はあるようである。帰宅部という部族を扱って、少々、新聞とかで特集した教育ジャーナリストも知らない。これは、仮面浪人同様、取るに足りない、個人の問題、個人の生活圏の問題でもあり、益にも害にもならないから、いちいち、取り立てて議論、分析する対象でもないからであろう。

 世は、コロナ禍で一層加速したオンライン授業、ネット教育、カドカワ主宰のN高など、デジタル・非アナログをツールとした人間との直接な、リアルの生の学びを避ける教育が主流となりつつある。ここ数年で、デジタル教科書も紙の教科書を駆逐してゆくであろう。また、不登校、引きこもり、いじめ問題、実は、これらの諸問題は、帰宅部という存在、恐らくは、帰宅部という部族の増殖ともリンクしているのではないかと、近年、私は睨んでいる。濃い人間関係、うざい師弟関係(教師と生徒)、煩わしい友人関係、窮屈な上下関係が存在する部活動、これらが、どうも、帰宅部という部族増殖へと導いてもいるというのが、私の推測でもある。では、この、帰宅部という存在がどういうものなか、それを次回深く掘り下げていく。

 端的にいって、ホリエモンが提唱する、「寿司職人になるには、10年の修行なんて無駄だ!半年寿司専門学校に通えば、立派な寿司職人になれる!」という考えも、実は、その対象(部活動における趣味的要素)のみにかかずらいたい、その周囲のまどろっこしい人間関係はまってぴら御免だ!というZ世代の気質と通底するものがある。こうした面でも、帰宅部からのアプローチは避けては通れない。
 近未来、メタバースで、仮想寿司専門学校で学び、ゴースト寿司レストランを開き、ウーバーイーツや出前館などが、“接客する(料理を出す)従業員”となり、一切、客と面と向きあわない、顔や性格の不明な大将、寿司職人など出現しかねない現況は、学校における帰宅部員の増加と比例しているように思えて仕方がない。


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