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コラム
経験というものについて➁
“ヴェテラン”の先生という言葉があります。生徒との接し方はもちろん、科目の教え方が、新米教師、中堅教師よりも、ノウハウ、スキルが豊富・優位に立つ、ある意味、経験豊富といった、ある意味で、敬意をこめて用いられる用語であります。
骨董の世界でも同様であります。目利きとも、鋭い鑑定士と言われる、年季がものをいう世界に住まう人種がおります。近代の財界人、益田鈍翁や五島慶太や小林一三など挙げればきりがない、美術等の本物に接してきた実業家でもあります。一方、なんでも鑑定団で有名になった、「いい仕事、してますね!」「名工とは、一見どうでもいいようなところに精一杯の意匠を凝らす」などのフレーズで有名になった中島誠之助などは、どれほどの偽物と本物との主戦場、修羅場を経てきたか、そして、そこで養われたその眼力というものが、長年の経験に裏打ちされていることは言うまでもありません。
東大阪市や大田区蒲田の町工場のオヤジ、即ち、旋盤工や金型職人などの名工は、長年の経験がものをいう世界です。アプルのジョブスが、初めてのスマホの、あの美しいフォルムを実現できたのも、日本の金型職人のおかげであり、NASAやJAXAの人口衛星の繊細な機具の細部にちりばめられた部品なども日本の名工に追うところ大なのであります。
また民芸品の輪島塗や西陣織など、一種、人間国宝の域に至るには、高邁なる努力に裏付けられた年期とも同義の経験というものが、勲章ともなっているのです。
歌舞伎や能狂言、落語や人形浄瑠璃、こうした世界も、その蓄積されてきた、先代、先々代からの、型の洗練さというものが、経験という技として完成されることを求められる芸能の世界でもあります。“形無し”や“型破り”といった用語は、この経験という型があって初めて、独創としてのオリジナリティーとして開花します。
これらに共通するのは、1人の人間の内面による、ある意味、スキルや技といった絶え間ない努力の結晶でもある経験なのです。
この経験という濃密なるエキスが、会社、国家といった社会的範疇に入るや否や、それもビジネスという、近代の産物でもある、弱肉強食のグローバリズムの文明に組み込まれると、否定的用語となり果てることは、前回で申し上げた通りであります。
こうした経験にも、理系的経験(自然科学・社会科学:変わるものを追い求める世界)と文系的経験(人文科学:変わらないものを追い求める世界)というものがあるということであります。前者は文明を、後者は文化を、それぞれ育み、牽引するものとされます。
江戸から明治へ、理系的経験で適応できた人物が森鴎外であり、文系的経験で、一種適応障害を起こした人物が夏目漱石でもあったと思われます。その中間に、次世代の永井荷風や高村光太郎がいたと考えられます。
第二次世界大戦後であれば、戦後の左翼運動や‘意固地なまでの民主主義居士’ともなった左系の知識人(丸山真男・大江健三郎)や戦後右翼とまでは言いません、保守の論客ともなった知識人(福田恆存・山崎正和)など、その分水嶺は、この日本人、いや、やまとの国に生まれ育った人間の拠るべき伝統(※表面的な意味ではない)、言い換えると、国家としての経験を忘れるか否か、保持するか否か、更に、否定するか否か、そこにあったのであります。この経験とやらを忘却、時に、嫌悪し、欧米の文化的・精神的価値観を、世界観を、まるでスーツに、ジャケットに、ジーンズに、すいっと和服から衣替えした、その短慮、浅慮を、小林秀雄や吉本隆明は、暗に陽に批判してもいたのです。
話は、少々、思想的な文脈に逸れてしまったようです。本題に戻るとしましょう。
ここでいう、経験とは、山口周氏が、『NEWTYPE ニュータイプの時代』の中で否定した、‘経験’とは全く異質のものなのです。
ビジネスの世界にいると、「過去の経験は当てにならない!」「経験など役に立たない時代だ!」などの呪文がまことしやかに、軽々に語られ、世のサラリーマン連中は、さもありなんと、したり顔で、同僚や部下に語り聞かせる御仁が“教養知ったかぶり”の模範です。伝言ゲーム式に、題目・念仏のようにただ口にするだけなのです。山口氏のその真意を深読みできずに。実は、この‘経験’という、ビジネス上の使われ方は、むしろ、‘成功’体験に近いものです。それは、本質的に言えば、経験と体験との違いとは、仏道における智慧と仕事や家庭をも含めた日常における知恵との違いでもあり。戦前は、区分されてもいた輿論と世論との違いでもあります。
ちょうど、文化という言葉のコノテーションは、英語を齧った者ならば、教養というものに基盤を置いたものであることがお分かりな様に、Cultureという単語には、文化と教養という両義があるということなのです。更に、その根底には、“栽培”{=人間の修養・修身}といった具象的意味合いもあることは、忘れてはなりません。因に、前者(文化)しか知らない受験生は、だいたいMARCHレベル以上の大学には落ちます。現場で、直に生徒に英語を教えていての実感です。こうした受験生同様に、経験というものを体験と考え、真の経験を知らぬビジネスマンが、嫌な言い方ですが、“リスキリング”などという言葉に踊らされるものです。真のビジネスマンは、“リスキリング”という用語が巷に出現する以前に、そうした行為を、福澤諭吉のオランダ語から英語への“学び直し”のように実践していました。一昔前、これからは資格の時代だ!といった表層的ブームに乗り、資格を多数もっても職がない、金にもならない、資格バカと同類の連中です。
この経験と体験、智慧と知恵とを区別できる人、そして、文化というコインの裏側に教養という文字が書いてあることを認識している人、それが、教養ある人とも言えます。
では、この経験というものが、山口周氏が使っている文脈ではないということを次回述べてみたいと思います。前振りでありますが、それが、初代文部大臣森有礼の孫でもあり、思想家でもあった森有正の経験という概念であります、それを用いて、次回語ってみたいと思います。
骨董の世界でも同様であります。目利きとも、鋭い鑑定士と言われる、年季がものをいう世界に住まう人種がおります。近代の財界人、益田鈍翁や五島慶太や小林一三など挙げればきりがない、美術等の本物に接してきた実業家でもあります。一方、なんでも鑑定団で有名になった、「いい仕事、してますね!」「名工とは、一見どうでもいいようなところに精一杯の意匠を凝らす」などのフレーズで有名になった中島誠之助などは、どれほどの偽物と本物との主戦場、修羅場を経てきたか、そして、そこで養われたその眼力というものが、長年の経験に裏打ちされていることは言うまでもありません。
東大阪市や大田区蒲田の町工場のオヤジ、即ち、旋盤工や金型職人などの名工は、長年の経験がものをいう世界です。アプルのジョブスが、初めてのスマホの、あの美しいフォルムを実現できたのも、日本の金型職人のおかげであり、NASAやJAXAの人口衛星の繊細な機具の細部にちりばめられた部品なども日本の名工に追うところ大なのであります。
また民芸品の輪島塗や西陣織など、一種、人間国宝の域に至るには、高邁なる努力に裏付けられた年期とも同義の経験というものが、勲章ともなっているのです。
歌舞伎や能狂言、落語や人形浄瑠璃、こうした世界も、その蓄積されてきた、先代、先々代からの、型の洗練さというものが、経験という技として完成されることを求められる芸能の世界でもあります。“形無し”や“型破り”といった用語は、この経験という型があって初めて、独創としてのオリジナリティーとして開花します。
これらに共通するのは、1人の人間の内面による、ある意味、スキルや技といった絶え間ない努力の結晶でもある経験なのです。
この経験という濃密なるエキスが、会社、国家といった社会的範疇に入るや否や、それもビジネスという、近代の産物でもある、弱肉強食のグローバリズムの文明に組み込まれると、否定的用語となり果てることは、前回で申し上げた通りであります。
こうした経験にも、理系的経験(自然科学・社会科学:変わるものを追い求める世界)と文系的経験(人文科学:変わらないものを追い求める世界)というものがあるということであります。前者は文明を、後者は文化を、それぞれ育み、牽引するものとされます。
江戸から明治へ、理系的経験で適応できた人物が森鴎外であり、文系的経験で、一種適応障害を起こした人物が夏目漱石でもあったと思われます。その中間に、次世代の永井荷風や高村光太郎がいたと考えられます。
第二次世界大戦後であれば、戦後の左翼運動や‘意固地なまでの民主主義居士’ともなった左系の知識人(丸山真男・大江健三郎)や戦後右翼とまでは言いません、保守の論客ともなった知識人(福田恆存・山崎正和)など、その分水嶺は、この日本人、いや、やまとの国に生まれ育った人間の拠るべき伝統(※表面的な意味ではない)、言い換えると、国家としての経験を忘れるか否か、保持するか否か、更に、否定するか否か、そこにあったのであります。この経験とやらを忘却、時に、嫌悪し、欧米の文化的・精神的価値観を、世界観を、まるでスーツに、ジャケットに、ジーンズに、すいっと和服から衣替えした、その短慮、浅慮を、小林秀雄や吉本隆明は、暗に陽に批判してもいたのです。
話は、少々、思想的な文脈に逸れてしまったようです。本題に戻るとしましょう。
ここでいう、経験とは、山口周氏が、『NEWTYPE ニュータイプの時代』の中で否定した、‘経験’とは全く異質のものなのです。
ビジネスの世界にいると、「過去の経験は当てにならない!」「経験など役に立たない時代だ!」などの呪文がまことしやかに、軽々に語られ、世のサラリーマン連中は、さもありなんと、したり顔で、同僚や部下に語り聞かせる御仁が“教養知ったかぶり”の模範です。伝言ゲーム式に、題目・念仏のようにただ口にするだけなのです。山口氏のその真意を深読みできずに。実は、この‘経験’という、ビジネス上の使われ方は、むしろ、‘成功’体験に近いものです。それは、本質的に言えば、経験と体験との違いとは、仏道における智慧と仕事や家庭をも含めた日常における知恵との違いでもあり。戦前は、区分されてもいた輿論と世論との違いでもあります。
ちょうど、文化という言葉のコノテーションは、英語を齧った者ならば、教養というものに基盤を置いたものであることがお分かりな様に、Cultureという単語には、文化と教養という両義があるということなのです。更に、その根底には、“栽培”{=人間の修養・修身}といった具象的意味合いもあることは、忘れてはなりません。因に、前者(文化)しか知らない受験生は、だいたいMARCHレベル以上の大学には落ちます。現場で、直に生徒に英語を教えていての実感です。こうした受験生同様に、経験というものを体験と考え、真の経験を知らぬビジネスマンが、嫌な言い方ですが、“リスキリング”などという言葉に踊らされるものです。真のビジネスマンは、“リスキリング”という用語が巷に出現する以前に、そうした行為を、福澤諭吉のオランダ語から英語への“学び直し”のように実践していました。一昔前、これからは資格の時代だ!といった表層的ブームに乗り、資格を多数もっても職がない、金にもならない、資格バカと同類の連中です。
この経験と体験、智慧と知恵とを区別できる人、そして、文化というコインの裏側に教養という文字が書いてあることを認識している人、それが、教養ある人とも言えます。
では、この経験というものが、山口周氏が使っている文脈ではないということを次回述べてみたいと思います。前振りでありますが、それが、初代文部大臣森有礼の孫でもあり、思想家でもあった森有正の経験という概念であります、それを用いて、次回語ってみたいと思います。
2023年1月16日 16:53