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コラム
高校生は数学と英語の二刀流を!
世に右利き、左利きという人間は、特に前者は、あまたいる。生来、赤ん坊の時期から一生、その流儀で生き通す人が大半ではないかと思う。しかし、幼児期、その親が、我が子の将来を慮ってか、右利きに矯正させるケースもあるとは聞く。右利きを、無理やり左利きにケースは皆無に近い。あったとしたら、我が子を将来、野球の左投手として大成させたいなどといった一種無謀な、稀有なケースであり、“巨人の星”の星一徹の如き毒親ともみなされかねない。
そうした経緯で、左利きの人間が、その後、将来的、意図的に訓練された右利きをものにして、両刀使いとなる、いわば、両手の二刀流なる人間は巷によく見かけられる。卑近な例では、箸や筆(習字)は右利きだが、ボールを投げたり、ギターを弾く段ともなると左手を使う人間はよく知られたとおりである。
次に、野球選手を見てみよう。それもプロの世界である。
有名な例は、川上哲治、王貞治、柴田勲、石井琢朗、松井稼頭央、イチローなどである。彼らは、高校時代まで、投手として鳴らした、投手として甲子園で活躍もしたアスリートである。しかし、プロ野球の世界に入るや、芽が出ず、バッターに転向し、内野手や外野手として大成した人々である。個人的ではあるが、<川上―王―柴田>の法則をプロ野球は積極的に採用したらと思うのだが、そうした野球道の、アスリートへの慧眼を持つ指導者がいないような気がする。
ここで、何が言いたいかと言えば、それは、投手から野手へ、それもバッターとして成功する事例はあっても、その逆、いわば、野手にしてバッターから投手へと変貌を遂げたアスリートは絶無であるということである。
これは、野球という種目の特性でもあろうか、野球の基本は、キャッチボールであること、そして、そのボールを如何に鋭く、速く、正確に、時に、変化を交えて投げ込むか、それを起点にして、光る主役、“ピッチャー”を目指す。さらに、その種目で、投手として飯を食っていけるか、まずその路線を目指すものである。投手が試合の半分以上の勝敗を決める。投手は貴重な存在なのである、野球という種目では。
柴田勲などは、法政二高の時は、浪商の尾崎行雄と甲子園で投げ合うまでの名投手であったが、その後、巨人に入団すると、川上哲治により、野手に転向、さらに、日本初のスイッチヒッターという二刀流の使い手として、V9の功労者として、長嶋、王につぐ名選手ともなった。
甲子園優勝投手の王貞治も巨人では、ホームランバッターとして、松井稼頭央や石井琢朗も2000本安打を打ち、名球会入りもしている。イチローは言わずもがなである。
さて、右利きと左利き、野球選手における投手からのコンバート、こうした事例をもとに、学校の、学問の、二刀流を極める王道、正統性とやらを述べてみたい。
まず、命題を立ててみよう。
英語教師が、日本史や世界史といった歴史科目を、プロ並みに教えることと、歴史教師が、同様に、英語を上手に教えることは、どちらが難儀であろうか?
数学教師が、物理を、高校生が大学受験で武器となるまで成長する位の技量で教えられることと、物理教師が、同様に、数学を、生徒が唸るほど巧みに教えることは、どちらが困難を極めるか?
まず、文系科目に関しては、大方、英語教師が歴史を教える方が、比較的、易であり、理系科目に関しても、だいたいは、数学教師が物理を教える方が、私の想像だが、易であるような気がする。この理系に関しては、深堀しない、今は、文系科目に焦点を絞って論を展開したい。
この私の説、私見というものは、アカデミックからジャーナリズムを概観すれば大方、納得するはずである。
英語教師で、作家、評論家、思想家となりし人{西脇順三郎・福田恆存・江藤淳・外山滋比古}は、あまたいるが、作家として名を挙げた者は、その後、英語でさらに、世を唸らせる仕事をした、業績をあげた人物など皆目見当たらない。それは、英語という言語のみならず、仏語の世界でも同様である。内田樹、鹿島茂、福田和也などから國分功一郎や千葉雅也にいたるまで{※この御四方は、読み書きの仏語は一通り完成している学者でもある}、フランス語をベースに、それを起点に、思想や著作物を生み出してもいる。その逆のルートは不可能なのは、丁度、野手でスラッガーの選手が、ピッチャーでも大成することがないに等しい、超難儀を極めるケースである。
ものごとの二刀流には、そもそも、筋道、正道というものがある。
英語を究めて、その後、歴史や評論の域でも活躍する、しかし、それ以前にも、英語以前に、まず日本語を耕していなければ、その<英語の生育・成長>も未発達になる真実は、数学者の藤原正彦氏が「小学校で大切な科目は、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、パソコン、英会話などどうでもいい」と主張されてもいる名言で、わかる人は、ご納得するはずである。常用漢字もろくすっぽ書けない中高生に、難解な英単語が覚えられるか、使いきれるかといった命題と同じことが言える。
これには、スポーツでも、学びにおいても、何かのスキル、技能、道を極める際の、二刀流への道筋の本義が、見えてこないだろうか?
ことば、言語、それは母国語を起点として、英語でも、仏語でもいい、実は、令和となりし近年では、だれも口にしなくなった考え~言語学者鈴木孝夫の意見に自身の経験を止揚したもの~だが、小学校の時期は、徹底的に、漢字と読書による国語第一主義、中学高校では、読み書き主体の英語の鍛錬、そして、大学では、それを基盤に、話し・聞く英語の訓練である。更に、付け加えるならば、実力としての、本物の第二外国語(仏語・独語・中国語・韓国語など)の習得、これこそが、文系人間がたどるべき、何らかの数刀流人間として、飯を食っていける正道でもあると考えている。
やはり、中等教育に限定して言わせていただくと、極論ながら、一番大切にすべき教科は、英語と数学である。
まず英語は、実用英語や使える英語などといった、形而下レベルの重要性ではない、形而上レベルの、特に、読み書きをベースにした、ことばというももの奥儀、即ち、神が人間にあたえし知恵でもある、その言語を、人間という不可解なる存在を知るツールとしての必須のアイテムと弁えることから人間社会を統べる諸々の知恵を育ててゆくことができるのである。言語は、文化を耕し、社会を豊かにし、国家を盤石化する、その育ての土壌なり。話はそれるが、何故高校で、古文の授業があるのか、また、学ばねばならないのか、その答えは、その点に存するとも言える。
一方、数学とは、“宇宙の言語”、“自然の摂理の言語”とも言われる。数学とは、人類発祥以前から、コスモスを流れている、存在というもののロゴスでもある。その“言語”により、古代ギリシャから、イスラムを通して、近代におけるニュートンやガリレオという、コスモスとの会話の仕方を人類は知った、悟ったのである。たかだか数万年ほど神の言葉を、悠久の宇宙の言葉が超克した時代、それが近代である。
この数学は、コンピュータを生み出す言語、また、AIと会話する言語として、むしろ、G7の国々の共通言語である英語に対し、GAFA帝国における、その帝国内で、仕事ができる、起業ができる言語でもある。ホームページを作成することから様々なアプリを開発でき、更には、データサイエンティストともなれる技能など、数学が、今や英語以上に必要な時代ともなってきている。『儲けたいなら科学なんじゃないの?』(堀江貴文・成毛眞)〔朝日文庫〕という書籍が、その卑近なる実例をものの見事に表してもいよう。時代は英語ではなく、数学なのであるということ。その象徴が、企業における、政府誘導のDXであり、社員におけるリスキリングでもある。いわば、コンピュータと会話ができる、意思疎通ができる言語を学べと言うに等しい。そのツールの根幹は、数学ということに尽きる。数学は、文明という森林を育む空気にして水なり、である。
弊著『反デジタル考』でさんざん語ったが、令和は、高校生、大学生、社会人では、英語より、数学の方が、飯を食べてゆけるツールになっている、そのことを、文科省は熟知すべきであり、もっと、喧伝すべきでもある。今や、人類共通の言語である英語以上に、AI社会を牽引する、それを生み出す、GAFA帝国の“ラテン語”でもある数学が、世の勝ち組となるツールなのである。
結論を言わせていただくと、世は、文理融合などといった曖昧で、理想的、お役人的表現ではなく、「中等教育は、数学と英語の二刀流を身に付けよ!」と生徒に熟知させるオリエンテーションを新学期の4月に、行われるべきだと思うのだが、如何であろうか?
そうした経緯で、左利きの人間が、その後、将来的、意図的に訓練された右利きをものにして、両刀使いとなる、いわば、両手の二刀流なる人間は巷によく見かけられる。卑近な例では、箸や筆(習字)は右利きだが、ボールを投げたり、ギターを弾く段ともなると左手を使う人間はよく知られたとおりである。
次に、野球選手を見てみよう。それもプロの世界である。
有名な例は、川上哲治、王貞治、柴田勲、石井琢朗、松井稼頭央、イチローなどである。彼らは、高校時代まで、投手として鳴らした、投手として甲子園で活躍もしたアスリートである。しかし、プロ野球の世界に入るや、芽が出ず、バッターに転向し、内野手や外野手として大成した人々である。個人的ではあるが、<川上―王―柴田>の法則をプロ野球は積極的に採用したらと思うのだが、そうした野球道の、アスリートへの慧眼を持つ指導者がいないような気がする。
ここで、何が言いたいかと言えば、それは、投手から野手へ、それもバッターとして成功する事例はあっても、その逆、いわば、野手にしてバッターから投手へと変貌を遂げたアスリートは絶無であるということである。
これは、野球という種目の特性でもあろうか、野球の基本は、キャッチボールであること、そして、そのボールを如何に鋭く、速く、正確に、時に、変化を交えて投げ込むか、それを起点にして、光る主役、“ピッチャー”を目指す。さらに、その種目で、投手として飯を食っていけるか、まずその路線を目指すものである。投手が試合の半分以上の勝敗を決める。投手は貴重な存在なのである、野球という種目では。
柴田勲などは、法政二高の時は、浪商の尾崎行雄と甲子園で投げ合うまでの名投手であったが、その後、巨人に入団すると、川上哲治により、野手に転向、さらに、日本初のスイッチヒッターという二刀流の使い手として、V9の功労者として、長嶋、王につぐ名選手ともなった。
甲子園優勝投手の王貞治も巨人では、ホームランバッターとして、松井稼頭央や石井琢朗も2000本安打を打ち、名球会入りもしている。イチローは言わずもがなである。
さて、右利きと左利き、野球選手における投手からのコンバート、こうした事例をもとに、学校の、学問の、二刀流を極める王道、正統性とやらを述べてみたい。
まず、命題を立ててみよう。
英語教師が、日本史や世界史といった歴史科目を、プロ並みに教えることと、歴史教師が、同様に、英語を上手に教えることは、どちらが難儀であろうか?
数学教師が、物理を、高校生が大学受験で武器となるまで成長する位の技量で教えられることと、物理教師が、同様に、数学を、生徒が唸るほど巧みに教えることは、どちらが困難を極めるか?
まず、文系科目に関しては、大方、英語教師が歴史を教える方が、比較的、易であり、理系科目に関しても、だいたいは、数学教師が物理を教える方が、私の想像だが、易であるような気がする。この理系に関しては、深堀しない、今は、文系科目に焦点を絞って論を展開したい。
この私の説、私見というものは、アカデミックからジャーナリズムを概観すれば大方、納得するはずである。
英語教師で、作家、評論家、思想家となりし人{西脇順三郎・福田恆存・江藤淳・外山滋比古}は、あまたいるが、作家として名を挙げた者は、その後、英語でさらに、世を唸らせる仕事をした、業績をあげた人物など皆目見当たらない。それは、英語という言語のみならず、仏語の世界でも同様である。内田樹、鹿島茂、福田和也などから國分功一郎や千葉雅也にいたるまで{※この御四方は、読み書きの仏語は一通り完成している学者でもある}、フランス語をベースに、それを起点に、思想や著作物を生み出してもいる。その逆のルートは不可能なのは、丁度、野手でスラッガーの選手が、ピッチャーでも大成することがないに等しい、超難儀を極めるケースである。
ものごとの二刀流には、そもそも、筋道、正道というものがある。
英語を究めて、その後、歴史や評論の域でも活躍する、しかし、それ以前にも、英語以前に、まず日本語を耕していなければ、その<英語の生育・成長>も未発達になる真実は、数学者の藤原正彦氏が「小学校で大切な科目は、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、パソコン、英会話などどうでもいい」と主張されてもいる名言で、わかる人は、ご納得するはずである。常用漢字もろくすっぽ書けない中高生に、難解な英単語が覚えられるか、使いきれるかといった命題と同じことが言える。
これには、スポーツでも、学びにおいても、何かのスキル、技能、道を極める際の、二刀流への道筋の本義が、見えてこないだろうか?
ことば、言語、それは母国語を起点として、英語でも、仏語でもいい、実は、令和となりし近年では、だれも口にしなくなった考え~言語学者鈴木孝夫の意見に自身の経験を止揚したもの~だが、小学校の時期は、徹底的に、漢字と読書による国語第一主義、中学高校では、読み書き主体の英語の鍛錬、そして、大学では、それを基盤に、話し・聞く英語の訓練である。更に、付け加えるならば、実力としての、本物の第二外国語(仏語・独語・中国語・韓国語など)の習得、これこそが、文系人間がたどるべき、何らかの数刀流人間として、飯を食っていける正道でもあると考えている。
やはり、中等教育に限定して言わせていただくと、極論ながら、一番大切にすべき教科は、英語と数学である。
まず英語は、実用英語や使える英語などといった、形而下レベルの重要性ではない、形而上レベルの、特に、読み書きをベースにした、ことばというももの奥儀、即ち、神が人間にあたえし知恵でもある、その言語を、人間という不可解なる存在を知るツールとしての必須のアイテムと弁えることから人間社会を統べる諸々の知恵を育ててゆくことができるのである。言語は、文化を耕し、社会を豊かにし、国家を盤石化する、その育ての土壌なり。話はそれるが、何故高校で、古文の授業があるのか、また、学ばねばならないのか、その答えは、その点に存するとも言える。
一方、数学とは、“宇宙の言語”、“自然の摂理の言語”とも言われる。数学とは、人類発祥以前から、コスモスを流れている、存在というもののロゴスでもある。その“言語”により、古代ギリシャから、イスラムを通して、近代におけるニュートンやガリレオという、コスモスとの会話の仕方を人類は知った、悟ったのである。たかだか数万年ほど神の言葉を、悠久の宇宙の言葉が超克した時代、それが近代である。
この数学は、コンピュータを生み出す言語、また、AIと会話する言語として、むしろ、G7の国々の共通言語である英語に対し、GAFA帝国における、その帝国内で、仕事ができる、起業ができる言語でもある。ホームページを作成することから様々なアプリを開発でき、更には、データサイエンティストともなれる技能など、数学が、今や英語以上に必要な時代ともなってきている。『儲けたいなら科学なんじゃないの?』(堀江貴文・成毛眞)〔朝日文庫〕という書籍が、その卑近なる実例をものの見事に表してもいよう。時代は英語ではなく、数学なのであるということ。その象徴が、企業における、政府誘導のDXであり、社員におけるリスキリングでもある。いわば、コンピュータと会話ができる、意思疎通ができる言語を学べと言うに等しい。そのツールの根幹は、数学ということに尽きる。数学は、文明という森林を育む空気にして水なり、である。
弊著『反デジタル考』でさんざん語ったが、令和は、高校生、大学生、社会人では、英語より、数学の方が、飯を食べてゆけるツールになっている、そのことを、文科省は熟知すべきであり、もっと、喧伝すべきでもある。今や、人類共通の言語である英語以上に、AI社会を牽引する、それを生み出す、GAFA帝国の“ラテン語”でもある数学が、世の勝ち組となるツールなのである。
結論を言わせていただくと、世は、文理融合などといった曖昧で、理想的、お役人的表現ではなく、「中等教育は、数学と英語の二刀流を身に付けよ!」と生徒に熟知させるオリエンテーションを新学期の4月に、行われるべきだと思うのだが、如何であろうか?
2023年5月 8日 17:03