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"センター試験"随想

 いよいよ2019年度が、センター試験の最終年度となります。このセンター試験というものの特徴を、ざっとですが、この場で総括してみたいと思います。
 毎年1月第二週目の土日の夜のNHKのニュースで報じられる、日本中のセンター試験会場から出てくる受験生のインタビューなる映像を思い起こしていただきたいのです。
 インタヴュアーがマイクを向けて、それに応える受験生の大方の声を列挙してみます。
 「いや~!駄目でした」「いや~!傾向が全く違っていて、出来ませんでした」「難しかったです」「しくじりました」などなどです。
 こうしたマイナスの声こそあれ、「いや~!簡単でした」「思っていた以上にできました」「満足のいく点数が取れたと思います」などといったプラスの声は聞いたことがありません。宝くじに当選した人の声など聞いたことがないのと同様であります。
ここ20年以上、こうしたニュースに出てくる受験生の声を耳にして感じるのは、一般の私大の入試問題と、このセンター試験なるものは、全く性質・趣が異なるということです。MARCHレベルの私大の問題ならば、赤本で過去問をたくさん解けば、その癖や傾向、時間配分など、本番への戦略なり戦術が或る程度立てやすいものですが、このセンター試験に関してだけは、私の教え子の事例を参考にして申し上げれば、過去問を20年以上分やっても、本番でこける生徒がざらにいるということです。それに対して、過去問を解いて、また、大手予備校のセンター試験模試をして、それ(185点)と同等の点数を本番でもゲットできる生徒も勿論います。しかし、そうした生徒は、恐らく受験生の3人に1人、いや、4人に1人くらいの割合ではないかと雑駁ながら思うのです。
 センター試験は、英語でも日本中数十万人の受験生が受けます。私大の試験とは、規模が違います。出題者の平均点の意図・想定は6割前後くらいになるように作られているそうです。そして、問題の形式も発音から文法、会話形式の問題、図表を使用した問題など多岐にわたって、まるで、英語問題の‘幕の内弁当’といったところでしょうか。それもです、私の教え子、また、標準的な高校3年生を基準に申し上げると、どう見ても、時間が足りないようにできているのです。準秀才以上の受験生は話しは別です。もし、センター試験の英語の問題を、80分から、90分へ伸ばせば、筆記試験の200点満点の平均点が10点は上昇することでしょう。また、100分にすれば、20点近く上昇するものと考えられます。これは、私のあくまでも仮説です。しかし、個人的に、私が弊塾で指導している生徒の能力は、センター試験の問題を解く際、十分に時間を与えれば、8割以上はゲットできる、しかし、あの80分という“いじめ・いやがらせ”に近い制約の下で問題を解くとなると、小学校の運動家で、お父さんたちの飛び入り参加の駆けっこ競技で、脚がもつれ蹴躓きそうになったり、脚力が気持ちについていかないのでしょうか、転倒するお父さんがよく見られる現象と同じようなことが、試験会場の受験生のメンタルで起こるのです、いや、実は、起こるように作成されているのが、センター試験の深層部分でもあるのです。
 これは、あくまで、私の憶測に過ぎませんが、センター試験は、その出題者が、英語や国語の専門家一人ではないと睨んでいます。その専門の学者(出題者)の外に、文化庁{※特に国語など}や、心理学者、また、マークシート形式問題作成のスペシャリスト{自動車免許の国家試験・英検やTOEICなど様々なマークシート形式問題のフォーマットを担当している“影”の専門家など}などが、チームで作り上げていることが、想像に難くありません。シェークスピア複数説ならぬ、センター試験問題作成者複数説を唱えたくなるのです。
 国語の問題に関してですが、漢字問題、用語の意味など、そうした背景(文化庁)が透けて見えてきます。また、数学のベクトルの“誘導”問題作成者(心理学者)など、むしろ、記述形式のほうが簡単だとさえ受験生は言います。やはり、国公立受験生を母集団とする、全国規模で行われ、翌日新聞にもその問題が掲載されるというステイタスもあるのでしょう、その英語なり、国語なり、数学なりの本問以外の所で、受験生を篩にかける魂胆が感じられてなりません。センター試験の遺伝子は、ある意味、知能テストのそれを感じずにはいられない所以でもあります。
 TBSのスポーツバラエティー番組、筋肉番付シリーズ“サスケ”ではありませんが、センター試験には、毎年、挑戦者が、ついミスったり、蹴躓いたり、勘違いしたり、墓穴を掘ったりする関所が、私大の問題に比べ意地悪く倍以上、たくさん配置され、しかも、微妙に時間が不足する制約の条件が課されている状況で、そうした失敗を犯してしまうように作成されているというのが、センター試験の、“サスケ”との類似的特徴でもあります。
 ですから、標準的受験生、例えば、赤本で、過去問を10年分解いて平均点が160点前後の生徒でも、いざ、本番となると、本番という空気の中、大学のキャンパス内の異様な雰囲気では、その真の実力は発揮されないような‘意地悪い’意図で作られてもいるといったら言い過ぎでしょうか。
 しかし、様々な書物を出されている、受験にも最近色々と発言もされている知識人佐藤優氏のような方は、「このセンター試験は非常によく練られていて、良い問題だ」と発言し、それを評価する意見も一方にあるのは事実です。これは、受験エリート層の意見です。一般的受援生の基準で言わせてもらえば、80分という制約を取り払えば、全体的に良い問題であると確かに言えましょう。だが、この80分という少々不足気味の時間が、標準的な生徒にとっては、“悪問”とさえ言わざるを得ない所以なのです。TOEICの問題は、“考える問題というより、時間を考慮にいれた処理問題”であるとされることは余りに有名ですが、それと同じような学習行為を18歳の受験生に強いてもいるのです。これも受験生の心得として鉄板です。国立の2次の英語や難しい私大の英語問題だけをやって、いざ、センター試験に臨むと必ず失敗する、だから、センター試験の数週間前は、記述形式の問題は解かず、時間配分を意識した処理問題の権化ともいえるセンター試験に馴染んでおけという受験の鉄則は、そこに起因するのです。
 よく、MARCHレベルの大学を、センター試験枠で出願する生徒がいますが、これなんぞは、ある意味、語弊を覚悟で申しあげると、たまたま、その年度、超高得点をゲットした受験生が、まるで、宝くじにでもあたったかのように、出願してくるので、センター出願など、本来当てにして、出願する考えは間違いだと教え子に言い諭します。
 「お母さん、私、模試でも、英語150点、国語130点、日本史80点がマックスだったんだけど、今日、新聞の解答で採点したら、英語185点、国語165点、日本史90点なの、超信じられない!センター枠で、青山と立教を出願する~!」こうした女子が、MARCHレベルの大学に出願してくるので、ある意味、センター枠でMARCHレベルの大学に合格するなどは、早稲田や慶應の一般入試以上に狭き門、また、偏差値が高くなってもくる奇妙な現象が起こるのです。
 ですから、私立文系の生徒が、センター試験を受けるなどは、本番の小手試し、本番の空気とはどういうものか、それを1か月前に経験しておく程度に心におさめておく、それが、精神衛生上にもいいのです。私大第一志望の受験生は、「たかがセンター試験、されどセンター試験」「当たれば(9割近くの得点)、儲けもん」程度の気楽な気持ちで臨むことが肝要であり、賢明なのです。

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