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君は分かるか?歴史は役に立たないという逆説が!➁

 今回は、中高生を意識対象とした歴史の有用性について語ってみたいと思います。
 
 世は、教養ブームである。これも、過度のデジタル化社会への反動か、警鐘か?
このブームは、高校生はもちろん、大学生にすら大方認識されていないように思われる。それは、まだ未成年という、“社会的に禁じられてもいる酒の旨み”を知らぬに等しいこと、高校生は、まず、難易度の高い大学へ、大学生は、なによりも、有名な会社へ、それが先決だからでもある。ある目的が達成され、その後ある限界を体験しない限り、有用性の衣をまとっていない教養は、彼らには無縁の代物なのだ。親元を離れて自立・自活して初めて、歴史の真の姿が見えてもくる。苦労の味は、ビールの苦みでもある。
 
 教養としての歴史、リーダーとしての歴史観、歴史から学ぶなどなど、歴史関係の書籍を多数だしてもいる出口治明、佐藤優、茂木誠などといった知性ある方々の歴史関係の本は、社会人ともなり、自身の知識、教養、スキルなどの力量不足に愕然とする20代後半、いや30代以上の、働き盛り世代が、その意義、無用の効用を悟る、痛感するというのが人間成長過程の覚醒でもあろうか?知的マナー、知的エチケットとして歴史、人間の年季が教えてもくれる。歴史を学ぶのではなく、歴史に学ぶ姿勢の目覚めでもある。
 
 さて、高校までで習った歴史、日本史であれ、世界史であれ、それを社会人ともなって覚えている、記憶している者が、少ないのは、ちょうど、高校まで勉強した学校英語や受験英語を、大学で更に教養英語や実用英語へと飛躍させる大学生や社会人が稀なケースと類をなしてもいよう。学校のテスト、それは、英検やTOEICといった資格系の試験にも言えるのだが、それを、真の融通無碍ともいえる自由自在の英語(言語)へと昇華させようとする気構えがないメンタルと同じである。
 
 日本史は、現実に、大手企業の社長や部長・課長クラスの者が、司馬遼太郎を愛読し、市井のサラリーマンが、仕事上、家庭上の壁にぶちあった時、藤沢周平や山本周五郎の小説を手に取ったり、毎年放映される大河ドラマへの関心、知識補足くらいで、記憶の引き出しにしまい置かれてもいる態度が、彼らの日本史への愛着の残滓、その証拠とも言えようか。
 
 日本史が、ビジネスに役に立つ、起業経営の指針ともなる、その言説は、ほとんどが、戦国時代の武将に拠るところ大であるともいう。日本の企業の運営手法は、武田信玄から毛利元就、そして、織田信長から徳川家康にいたるまで、それの焼き増しに過ぎぬともいう。あの松下幸之助の師は、徳川家康ともいわれている。織田信長や徳川家康を学んでも、歴史小説を読んでも、彼らは、“本田宗一郎”や“松下幸之助”をダぶらせているに過ぎにないのである。孫正義や渡辺美樹などの愛読書は、『竜馬がゆく』である。日本人は、戦国時代以外の、歴史の叡知を、現代で、温故知新として、ビジネスでは、むしろ不要無用ともみなされている実態がある。事実である。日本人は、日本史を中等教育で学んでも、その後社会で一切使えない、使おうともしないのか、まるで、女性の成人式の着物であるかのように、その後箪笥の引き出しの中にしまわれたままになっているのが現状でもあろう。いや、日本史など、実社会では、人間関係の問題を解決するヒントくらいにしかならないのが実態でもあろう。むしろ、学校英語以上に学校日本史は無用の長物となっている嫌いがある。役に立っているように思われるのは、マンガやアニメ、時に、ゲームなどで仮想体験する、やはり、戦国モノの、芸能人によく見かけられる歴男・歴女、その予備知識ともいっていい。
 
 <学校の日本史:社会人=学校英語:社会人>の比の関係ともいって現状がある。
 
 では、世界史はどうであろうか?世界史は、次のような関係とも言っていい。
 
 <学校の世界史:社会人=大学の第二外国語:社会人>の比の関係である。
 
 単刀直入に言わせてもらうが、世界史を学んで、それが、その後、社会人ともなって役に立つ職種など、どれほどあろうか?中国の人気ある『三国志』なんぞは、日本史の戦国時代と人生・社会上の教訓などは、大して差はない。だから人気があるのであろう。イギリス史、フランス史、ドイツ史を、学んでも、せいぜい行き着く先は、マキャベリズムに裏打ちされた地政学とやらである。いや、これが大切だと主張する識者も多い。
 
 これからは、英語の時代だ!英語が大切だ!島国、単一言語、ほぼ単一民族国家にとって、英語などという言語(しろもの)がどれほど重要であるか、素晴らし日本語の使い手、日本語の語彙の豊富さ・多様性、そうしたものさえあれば、一般の7~8割の仕事は、何不自由しない現実がある。アジアで、母国語(日本語)だけで、医師になれる国は日本くらいのものであると、日下公人氏もかつて、語っていた。何せ、世界一の翻訳大国である。海外の書籍など、発売1年前後で日本語で読めてしまう。また、ポケトークやグーグルの翻訳機能が日進月歩進化を遂げている。
 
 世界史が必要な人間など、正直なところ、政治家、官僚、そして、商社マンや海外進出する大手企業(メーカー)の管理職以上会長以下くらいのものである。内閣官房参与(岡本行夫)、三井物産戦略研究所(寺島実郎)、キャノングローバル戦略研究所(宮家邦彦)などを思いつく方もおられよう。日本の9割の中小企業は、市井の個人商店からサービス業に至るまで、世界史の知識など<知らぬ存ぜぬ>でも仕事やビジネスができてしまう。そうした人生(世界史に疎遠な生活)でも、自身の資格やスキルにのみ専心していれば、飯をくっても行ける現実がある。専門学校出の美容師、寿司職人、パティシエから料理人にいたるまで、まず、自身の技量のスキルアップさえしていれば、フランス革命だの帝国主義だの、第一次大戦だの、その表面的知識(“ああ!そんな大事件が起きたんだな~!”程度)すら知っていれば、いや、知らなくても、仕事には一切支障はきたさない。さらに、大手から中小企業にいたる、新橋のサラリーマンおじさんに、果たして、出口、佐藤、茂木などの世界史の範疇に入る歴史的教養など必要ありましょや?
 
 極論を申し上げるが、近年設置された、日本史と世界史の融合科目、歴史総合なども、その文科省が望む知識を習得しても、その後、その“教養”が果てして、どれほどの有効性、効力を社会人としての彼らに発揮してくれるというのか。学校英語以下の力しか出せはしない。いや、道徳教育以下の効果すら出ないかもしれません。
 グローバル化もあろう、価値観の多様化もあろう、国際理解もあろう、だから、世の大人から中学生まで、「これから必要なのは、日本史と世界史のどちらですか?」とい問いを投げかけてみた時、50%以上は、世界史だと返答する、その母集団こそ、高校で世界史を選択する者の50%は、愚昧者と前回烙印を押した次第でもある。お勉強して、受験英語で高得点を取り、鼻高々に英語ぺらぺらになるという幻想を抱きもする高校生と、なんとなく世界史選択組が、五十歩百歩の“なーんちゃって教養組”でなんと多いことか!これは皮肉でも、批判でもない、赤裸々な日本人の歴史への向き合い方を語ったまでである。

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