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ジャニーズの嵐という怪物グループが二度と出現しない理由

 今や、落日の芸能帝国となりつつあるジャニーズ事務所、ジャニー喜多川の性的被害に関してではない。
 
 昨年か、一昨年かは忘れたが、超怪物アイドルグループ嵐が解散した後だったと思う。教室で、生徒に、「これから、嵐を凌ぐ人気のグループが出てくると思うかい?」と質問してみた。すると、「多分、もう出てこないわ」と応じる者が多かった。恐らく、そのマンモス級の人気度、ファンクラブの会員でも、ライブチケットが入手困難なほどの人気ぶりは、サザンやB’zを遥かに超える異常さでもあった。そのことからして、中高生たちは、「もうこんなアイドルグループは出そうもないなあ!」「出るはずないよ!」そういった直感ともいおうか、常識的判断ともいおうか、競馬通に、「デープインパクトを超える名馬が出現するか?」と質問するに等しい愚問かもしれなかった。
 
 では、その教え子たちに、その理由、「どうして出てこないと思う?その理由は?」と訊いても、はっきりと、応えられる者はいなかった。
 そこで、私は、次のように生徒に自説を述べた。
 
 嵐が急上昇で、人気がでてくる時期は、地上波テレビの、最後の輝きを放っていた時機である。まだ、地上波が、家庭のリビングでおじいちゃんから孫までの三世代が、夕飯後、みなでそろって観ていた最後の時代でもある。それは、日本テレビの『世界の果てまでイッテQ!』が、ここ、15年以上、日曜のゴールデンタイムに、視聴率ナンバーワンの地位を占めてきた理由がそれを物語る。このモンスター番組の認知度と嵐の人気度はまさしく正比例している。この番組は、おじいちゃんと孫が、様々なお笑い芸人が、身体をはって、様々なアクティビティーに挑戦し、お茶の間の笑いを誘い、世界の果てまでロケで芸人をわざわざ派遣し、その中間層のママやパパが“海外旅行気分”にさせるというオマケまでついている点が、三世代を引き付けた理由だといわれている。
 
 平成10年代は、SMAPが台頭し、平成20年代は、嵐がポストSMAPとして、急浮上してもきた。この国民的2大アイドルグループは、かわいい、かっこいい、そういった、アイドル的要素は、必要十分条件として兼ね備えてもいた。こうした要素は、フォーリーブスからたのきんトリオ{田原俊彦・近藤真彦・野村義男}を経て、光GENJIに至るまで、ほぼ同列でもあた。それに加え、吉本興業を“仮想敵国”視するかのように、このグループは、お笑い系にも踏み出した。これが、ジャニーズ帝国の、お笑いジャンルの関西系芸人集団帝国の領域にも侵入する、踏み込む戦略である。イケメン系アイドルが、三枚目のお笑い路線に進出したとも言えようか。更に、追加すれば、SMAPや嵐は、光GENJIまでのジャニーズアイドルを凌駕する<ドラマや映画での演技力>を身に付けた点も忘れてはならない。これは、ジャニー喜多川の戦略だったようだ。これが出来ずに、滅びたプロダクションが、石原軍団‘石原プロモーション’でもあろうか?二枚目はできても、三枚目はできないという、“時代の変化への対応”の遺伝子が欠如していたことが致命傷でもあった。
 
 SMAPが国民的アイドルとなる時期は、ガラケーの時代、そして、スマホの初期の時代である。パソコンのインターネットでの娯楽{ゲームから音楽まで}では、まだ黎明期、アマゾンプライムやネットフリックスなどまったくなかった。それが、SMAPが解散する前後あたりから、ポストSMAPとして嵐の人気が急上昇する。SMAPに熱くなった親の世代の子どもが、嵐世代ともだいたいかぶってもくる。これも、ジャニーズ事務所の戦略でもあっただろうか?世の少年少女は、母親父親と一緒に地上波を観ている時期でもある。スマホの機種のバージョンアップとユーチューブの台頭があっても、地上波テレビは、なんとか視聴率を維持して、奮戦してもいたが、結局は、平成の後半から、家庭内で別々に、二台以上のテレビがあり、一台以上のパソコン、そして、各自のスマホから、様々なコンテンツを見始めた事態が、地上波テレビの終焉の予兆でもあった。ちょうど、こうした、メディアの細分化、パワーシフトが完了した時期に、嵐の解散と相成った。
 
 家族の核家族化、祖父母のいない核家族の家庭内の個別化、さらに親子間の会話なしの非コミニュケーション化、さらに共働きスタイルの主流化、こうした社会的流れが要因ともなり、コミュニケーションツールやメディア{GAFA帝国}の出現が土台ともなり、趣味や娯楽の細分化へと帰結する。こうした社会的潮流は、スポーツの世界を概観すれば納得もゆく。昭和は野球の独壇場、平成はサッカーが、そして、令和に至ってはラグビーやバスケットボールなど、まるでオリンピック競技の種目の多彩化に象徴されるように、プロ化や社会的認知がなされてもきた。
 
 これは、よく言われる事例であるが、昭和の時代、ピンクレディーのレコードは100万売れても、日本人1億、みな知っていた。しかし、平成後半ともなると、B’zのCDが400万枚売れても、日本人の400万人しか知らない現実が有名でもあるように、メディアの多様化と価値観の多様化が挙げられようか。昭和っ子は、野球と相撲、そして、プロレスくらいにしか熱くはならなかった。しかし、現代令和はどうであろうか?そのスポートの趣向と同じ趨勢が、メディアツールを通して、芸能世界にも同様の現象を招いている。
 
 孫の聴いてる韓流アイドルの歌をおじーちゃんは知らない。一方、おじーちゃんが聞いている、昭和の歌謡曲またニューミュージックに、まったく知らぬ存ぜぬの風である。まあ、昭和末期生まれのお母さんくらいとは、西野カナや安室奈美恵の曲で、歌の好みや話題が合いもするだろうが、父親ともなると、『娘のトリセツ』(黒川伊保子)でも読まなければ、家庭内シカトとあいなる。こうした事態に、家庭内がぎりぎりならなかった時代の象徴が、嵐でもあっただろうか。
 
 今般、様々な大企業が、ジャニーズ事務所のアイドルを、CMや広告で、不採用を決めた。これは、地上波や新聞・雑誌というメディアが、斜陽産業の時期に入っていることは、電通という世界最大の広告会社が、凋落の端緒にいることと、同様に、もう、突出した芸能プロダクションは言うまでもなく、怪物的アイドルグループなどもう出現しない、その根拠ともなっていることは、令和5年の中高生でも、感覚・感性でわかるのである。
 
 よって、本題に戻るとしょうか、やはり、嵐というモンスターアイドルグループは、地上波黄金の時代が戻ってこないように、紅白歌合戦の視聴率50%時代が過去の栄光であったように、出現しないのである。親子、いや、親子三代にわたって認知されてもいた、最後のアイドルグループでもあった。
 
 これと関連する、地上波放送、紙のメディア、いわば、新聞・雑誌の類、そして書籍というものが、知識・情報から娯楽にいたるまで主役であった時代と現代のSNS全盛時代を経験している私自身の、知的目覚めに関して、近い機会に語ってみたいと思う。

 

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