カテゴリ

HOME > コラム > 青春の中にも"青春・朱夏・白秋・玄冬"がある

コラム

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

青春の中にも"青春・朱夏・白秋・玄冬"がある

 卒業、また、入学の季節である。受験や就職を関所に、次の人生街道に踏み出す若者が桜の季節と機を同じくする国、日本は、9月入学などすべきではない。世界基準は、工業製品の規格という世界標準を目指すべきだが、教育という文化に軸足をおく学校制度は、コロナ禍でさんざん言われた9月入学論など、何処かへ消え去った。弊著『反デジタル考』でその観点でこれでもかと“9月入学”をさんざん批判した次第です。
 
 小学生は除外する。中高生の6年間は、そして、大学生の4年間、そして、社会人の数十年といったものは、一般的に直線の時間軸観念で捉られる。中高生の期間を、大学生のそれを、四季の如く円環的に時間を捉えることは、ないようである。まるで、電車が、東京駅を出発し、熱海あたりが20歳、静岡あたりが40歳、そして、名古屋が、定年の60歳、そして、終点の京都という80歳まで生きれば、まあ、御の字といったところだろうか?このように、普通、人生の時間を直線的に思い描くようである。
 
 人生二毛作、三毛作とは言い古されたことばであるが、近年はリカレント教育だの、リスキリングだのといった流行語に踊らされて(?)、世のサラリーマンは動揺、刺激、行動し、ちょっとした社会の地殻変動のもとにもなっているが、この考え方、温故知新ではないが、人生二毛作の代表として、福澤諭吉の江戸時代と明治時代の生き様、そして、堀江貴文のライブドア時代と、その後、刑務所暮らしを境に、現在の民間ロケット開発企業の援助活動などが典型でもあろう。ライフネット生命の創業者でもあるAPU学長出口治明などは人生三毛作ともいえる人生として有名である。
 
 中国の五行思想で、玄冬、青春、朱夏、白秋といった、人生を四季に擬える考え方がある。正式には、玄冬は0歳から20歳、青春は20歳から40歳、朱夏は40歳から60歳、そして白秋は60歳から80歳に該当するようだが、一般的イメージ、通説として、やはり、青春が0から20歳、朱夏が20から40歳、白秋が40から60歳、そして玄冬が60から80歳としたほうが、現代ではしっくりするので、その尺度で語ってみようと思う。
 
 まず、中高一貫校を例に挙げよう。中一から中二の夏休みまでが青春であり、中二の後半から中三の終わりが朱夏でもあろうか。そして高一から高二の半ばまでが、白秋であり、その後高三の卒業までが、玄冬ともいえようか。大学は、一応4年間でもあり、それぞれ、この四期間に区分もできよう。この様に、学園生活、キャンパスライフを、人生の四季に擬えて、円環的時間として考える人は、余りいないと思う。むしろ、直線的に考えるのが普通である。
 では、この青春から玄冬までで、勉強、学習、スキルアップといった観点から、その自覚とやらを考えてみよう。
 青春とは、暗記期間ともいえる。朱夏とは、記憶期間でもある。そして、白秋とは、回想の期間であり、玄冬は追憶の期間として自覚するのが、いいかと思う。
 
 暗記とは、次の如く闇雲に頭に叩き込む学習行為であり、受験という試練と結びつく。記憶とは、工夫を伴った知識の定着を追求する学習行為であり、大学から30歳前後にかけての様々な資格と連結してくるものだ。回想とは、40代以降の、仕事や人生の経験値をベースに、そのスキルを思い出し、子ども、後輩、会社などに、武器として活用してもらうことでもある。そして、追憶とは、祖父母、会長など、半分引退しながら、ある主観的感情を伴いながら、来し方、行く末をささやかに導くような、一種仙人的な思索ともいえようか。少年少女が、卒業式で泣く衝動は、ここに存するものである。卒業式は、次の人生の舞台的サイクルへのイニシエーション(通過儀礼)ともいえる。雨あがりの青空への感慨、これ、涙した卒業式の次の日の希望にあふれた人生行路へのまなざしと同じものである。
 
 ボクシングというスポーツ、3分の12ラウンド制である。1ラウンドで相手に勝利することもあれば、12ラウンドで判定勝ちする場合もある。これほど、人間の人生とは、12分割なんぞにはできないが、考えようによっては、中学を含め、定年60歳まで、このように細分化しても、人によってはよいかと思う。人生とは敗者復活戦といわれる所以の一つがここにもある。ここまで、細かく自覚はしなくても、やはり、人生は、二毛作、三毛作、よりによっては、四毛作など自身で区分けする生き方もあってもいいかと思う。
 
 この中国五行の人生区分、青春、朱夏、白秋、玄冬といった期間の、それぞれ約20年も、個人個人で、青春(20歳まで)の中の、<青春から玄冬>まで、朱夏(40歳まで)の中での、<青春から玄冬>までというように、小刻みに生きる流儀をもったらいいのではないかと思う。これも、玄冬(80歳まで)という期間の中の<青春から玄冬>を思い描く時、60歳からの手習いという暗記にチャレンジする、そして、70代でも記憶へ、80代にして、死ぬまで回想や追憶にスライドしてゆく生き方の営為は、死ぬまで勉強だの、一つのチャート図でもある。
 
 世阿弥の“初心忘るべからず”とは、人生では、それぞれの段階で、自身が輝く流儀があり、その段階で、若かりし頃の学びの初心、暗記という行為から記憶という行為を忘れがちであるという警鐘でもある。その典型は、大学入試で、あれほど暗記した、あれほど勉強した、その同じ行為が、大学生ともなると、出来ない。初心を忘れるからである。大学時代の第二外国語がその典型的な例でもあろう。もちろん、実益主義、実用主義といった観点から、ドイツ語やフランス語など、高校時代同様のエネルギーで勉強したとしても無駄になるという動機もあろう。やっても無駄な、益のない語学なんてまっぴらだ!日本史や世界史を勉強した、あのひたむきさを、大学時代の経営学や政治学、法律学には、向けられない。点数や合否といったはっきりとした目標とはならないからだ。大学卒業のための単位くらいにしか、経済学や法学を考えてはいない証拠である。初心を忘れてもいるからである。恐らく、高校時代の学びは、良き教師・講師に恵まれ、成績や受験といったハードルによる外発的な、目標としての学びでもあり、回答がはっきりとしていた狭量の世界でもあった、知のプールを泳ぐようなものでもあった。25メートルプールという高校受験、50メールプールという大学受験、終着点が目の前にあった。しかし、大学ともなると、自身で泳ぐ海を自ら見つけ、どこにたどり着くかもわからない、いわゆる、課題を自身で見つけその解決策を自らが案出する。そして実行するという、内発的行為が求められる。これに、大学生で気づくものは少ない。高校時代のメンタルのままで大学を卒業する者が余りにも多いからだ。この学びの真実に、社会人で気づけばたいしたものである、遅くはない。そこから、自身の、社会人時代の朱夏が始まるのである。
 
 暴れん坊の武蔵(たけぞう)から、姫路城の座敷牢での数年間の読書三昧の期間を経て、求道者の若者武蔵(むさし)に成長し、娑婆に出てきて、姫路城を振り向き、呟く台詞である。
 
 「21にしての青春、遅くはない!」『宮本武蔵』
 
 
 

< Prev  |  一覧へ戻る  |  Next >

このページのトップへ