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"英語構文"とはどういうものか

 英文法という言葉、これは、英語の運用面の法則といったくらいは、中高生にも、理解もできましょう。一方、英語構文という用語ともなると、中学生では、ちょっと不明、高校生でも聞き覚えはあるが、実体として、英語の文の仕組みくらいは説明できても、その具体的イメージは英文法ほど認識できてはいないのが実状ではないかと思われます。なんとなく、塾や学校、参考書で用いられているから、漠然と理解してもいるようです。
 
 英文法、これは、English Grammar、これ以外に、相当する英単語はありません。それに対して、英語構文ともなれば、①English Construction ②English Sentence Structure  ③English Syntaxなど、様々な対応語が、参考書などで散見されます。
 
 まず、①の英語構文ですが、それは、単文から複文へ、話し言葉の単純性から書き言葉に複雑性へといった、一種、英語を組み立ててゆくそのプロセスに焦点を当てた呼称でありましょう。ですから、端的に言えば、英作文をする際の、英語の建築物の積み上げ方、英語のビルの建設手法、そういった話し・書く上での用いる用語であろうかと思われます。
 
  次に、②の英語構文は、すでに、目の前に英文があり、特に、書き言葉を読み解く上で、その構造といった観点から用いられてもいる用語です。ですから、人体解剖図のように、英文の構造がどうなっているのか、それを説明する際の呼称でもあるかと存しまず。
 
  最後に、③の英語構文こそ、この用語は、「この語はここに掛かって、ここでは、倒置が起こり、このthatは同格となっている」(統語法・統辞法:法を持いている点がミソです!この統語法を中等教育では構文といってもいる)そうした、文構造の、読み込む際の、読み解きの手法で用いられてもいる、一種、高校生には、馴染みがない、むしろ、意味不明な用語でもありましょう。②の英語構文が、消極的、③の英語構文が積極的、そうした違いがあるやに思われます。具体的には、②は、数学である問題が解けない時、その回答(解法)を観て理解する能力的文脈の謂い、一方、③は、数学の問題を解く際に、それを必死に解こうおする推察力的文脈で使用される用語であると思われます。
 
  しかし、英文を読み進む上での、頭の働き、つまりは、その英文を書いた書き手の真意、英文を書き進む上での、English Constructionを想像し、しかも、それの仮説と検証しながら、そのEnglish Sentence Structureを読みほどいてゆく、その、目と頭の働き、その手法、それをSyntaxともいいうるものなのです。
 
 よく、教え子に言う、「着る」と「着ている」と「脱ぐ」、これらの動詞(句)は、特に前者の二つは違うと諭すように、「着る」(哲学)は動作のアスペクト、「着ている」(思想)は、状態のアスペクト、そして、「脱ぐ」(思索){考えて、或る思想に思いを巡らし、そこから一種脱却する、更に、上階へ梯子をかける行為:脱構築ともいう}は動作のアスペクトで、注意する必要があると話す喩えでいえば、この英語構文の用語の使い方の真意、真義とは、
 
 English Construction
   English Sentence Structure
   English Syntax
この三語も、同類に、違いがあると言えるものです。
 
  少々、比喩を用いる私の気質を御考慮願い、話しにお付き合い願いたいのですが、この①から③の関係は、丁度、哲学、思想、思索(脱構築)の関係にも譬えられましょうか。 
 
  哲学とは、世の誰もが見向きもしない命題・ものごとに関して、ゼロの土台から、回答がないとされる問いに深く考えるその行為をいう言葉です、ですから、哲学するという動詞にも、よく応用されます。ソクラテスの哲学とは言いえても、ソクラテスの思想とは言いません。彼は、書物を残していないからです。しかし、その弟子プラトンは、プラトンの思想とは言いえます。ここに、プラトンが、哲学と思想の祖とされる所以があるのです。思想とは、その哲学した、その結果、その果実をいう言葉です。カントの思想、ニーチェの思想、これらは、哲学した結果・成果なのです。そして、こうした思想家の書物を読み、何かしらを考える行為、それを深めたり,進化させたりする熟考、それ思索とかいうわけです。思索とは、哲学との違いてとして、何かを踏み台にしているわけです。その行為は、哲学するとはいいません。哲学するとは、何もない原野、人っ子ひとりいない知の荒野、そこから、東洋風に言えば、仙人的に沈思黙考する行為をさすものです。ですから、哲学、思想、思索、これらは、全く別のものであり、動詞における、put on と wear と take offくらい違うものなのです。
 
 ここで本題にもどるとしましょう。英語構文の三語であります。
 
 English Constructionなる英語構文とは、英語を書き、話す、特に、書くという行為に比重をおいて、ネイティブの無意識に行っていることを、意識にできるようになる手法、文法の有機的複合体を作る行為に対する用語なのです。能動的な、アウトプット的、端的に言えば、英作文の際の用語でもありましょう。
 
 English Sentence Structureなる英語構文とは、英語という海を航行する海図のようなものです。これは、特に、生徒の目線というより、教師(講師)の目線で作成された、英文読解の海図のようなものです。それを、読んで、生徒は、その英文という海を、全体像を、段々と把握してゆく手立てともなる指標としての用語であります。書くことはおぼつかないレベルの、高度な英文を読み解く、文法の、これも有機的複合体ともいいうるもので、これを、自身で身に付ければ、抽象度、高度な英文も書けるようになります。難解なる英文(京大の二次英語)をも、なんとか直訳で、日本語として、ぎこちなくても、ぎりぎり合格ラインの和訳ができても、その意味内容は、具体的に説明できない段階です。普通は、これが、一般の、進学校の高校3年生の、また、英検準1級レベルの構文力といいえるものです。
 
 最後でありますが、English Syntaxこそ、学校の先生、参考書を著す予備校講師などが、頭の中で行ってもいる能動的な読みの行為、その法の謂いでもあり、高校生、特に、受験生も、このSyntaxを追求する営為を怠ってはいけないのです。
 
 先ほども申し上げましたが、英語構文のEnglish Sentence Structureとは、ある意味、数学の解答を読み、「ああこうやって解くのか!」と了解できる知力のことでもあり、英語構文のSyntaxとは、その数学の問題を独力で解く、そのIntellectual Courageとも言えるものです。数学が伸び悩んでいる生徒が、『青チート』や『大学への数学』の解答欄にあるその解き方を見ても、半分近くは理解不能な場合が多い、こうした数学の解答・説明を見ても、理解不能なタイプは、English Sentence Structureの能力が欠けているともいえる生徒です。当然、彼らはEnglish Syntaxの能力などという次元にはいないということです。ここにも、基礎という言葉でも、basicと fundamentalと二種類があり、自由にも、freedomと libertyの二種類があるのと同じであります。どうも、この後者の語義の奥深い意味を認識できていない人が多いように思われるのです。特に、大学受験で、高校生が使用する参考書などを概観いたしますと、まず、このSyntaxという言葉が用いられていません。①と②のみが、英語構文の参考書の表題に記されているにすぎません。では、このEnglish Syntaxという語義における英語構文とはどういうものか、結論を申し上げましょう。
 
 ③の意味での英語構文とは、英文法を、複合的に観る眼、有機的に結び付けられる頭、その英文読解上の、英文を読み解こうとする、積極的な知的営為、その手法のことでもあるのです。
 
 軍隊用語で、戦術(Tactics)と戦略(Strategy)とがありますが、前者が、英文法、後者が英語構文、そう弁えておかねばなりません。中学までは、局地戦で、英文法でどうにかできても、高校ともなれば、総力戦です。よって、戦略という英語構文が求められるのです。但し、優秀な戦略家と凡庸なる戦略家とがある点も忘れないでいただきたい。前者が、English Syntaxと、後者が、English Sentence Structureと呼び名で違ってくる点です。あの関ヶ原の戦いで、西軍は、英文法の烏合の衆でありました。高校生で、やたら英文法には猛勉強、英単語も猛暗記、それのみで、MARCH以上の大学過去問に挑んでゆく、それが石田三成派でもありましょう。一方、東軍は、当然英文法という必須のものを備えてはいましたが、英語構文という戦略というものが、一段上にあった。その違いであります。英文、特に高度の英文を読み解く際には、この“家康”という、<英文法を統べる司令塔>がなくてはならないのです。近年、英文法という戦術すらいい加減に教える風潮には、英語教育の暗い未来しか見えてはきません。
 
 超簡略な例を挙げれば、ifという単語です。その接続詞は、中学2年で、「もし~」という意味で学びます。中学3年で、「~かどうか」という意味のあることも学びます。ここで、高校生となった時点で、副詞節と名詞節なる存在を知ります{※当然中学の段階で知る生徒もおりましょうが}。さらに、五文型というものも習熟していなくてなりません{※勿論中学の段階で学ぶのが普通でありましょう}。ここに、英文法と、それとはまた別次元の文構造のきまりといった存在、構文という、意識する、しないにもかかわらず、そうした存在意義、前者の有機的組み合わせという、英語構文という意義が顕在化しもくるわけです。また、関係代名詞と関係副詞、その違いが曖昧な生徒は、五文型も苦手、いや、その本質を習得していないケースが多いものです。
 
  英語ができない、いや、高校生で英語が伸びない典型的なタイプですが、これは、生徒によくいうことです。「英文法よりも、英文法が無視される、軽視されるケースがある。そのケースとは、英語構文が、英文法よりも優先されている場合だぞ!例えば、倒置とか省略とかがあるだろう、そうしたケースだ。見方を変えれば、倒置や省略にも、“英文法”があるということ、君たちは、学校で、こうした、“日陰者の英文法”を学んでこなかっただろう。それを自覚することだ。ああ、もう一つあった、それは、同格という奴だ。それも高度の同格は、英文法を一通り学んだ後の、英文読解の中でしか学べない、そうした“英文法”でもある。」
 
 以上のように、この英語構文とは、日本語では一語しかないものの、実は、3種類の英単語があり、特に、③のSyntaxという言葉は、高校生には超馴染みが薄いのです。このSyntaxという用語の実体を知ったのは、大学時代、英語から遠く離れた、フランス語に浸っている頃であります。ここにも、英語から、離れ、もう一つ別の言語を学んで得る教訓があったように思われます。
 
 この大学生でしか出会わない、Syntaxという語を、その用語(統語法・統辞法⇒構文)を用いずに、独自に体系化し、受験生レベルに落として、ひたすら“布教した”英語講師、それが、伊藤和夫でもあるのです。

 

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