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手塚治虫の才能・努力と<運>

 前回、16才で東大に合格したというカリスの言葉「運が7割、才能が2割、努力が1割」を引用したかと思います。その一方、漫画原作者の鍋島雅治の『運は人柄』(角川新書)の中で主張されてもいる「運が7割、努力が2割、才能が1割」というものもあります。どちらにしろ、<運>というものの比率が非常に高いことに意識が向きます。これは、運命論や環境論に帰着させやすいものです。その極論が、親ガチャでもありましょうか。よく巷で飛び交う『二世論』ともつながります。船曳建夫のものは興味深いものがあります。二世、三世議員、二世、三世タレント・俳優などです。この二世論を完璧に否定する世界がスポーツ界でもありましょう。長嶋茂雄・一茂親子が典型です。愚かにも、運動の世界は、サラブレッドの競馬を人間界にもこじつけようとする風潮が目立ちます。特に、古典芸能、歌舞伎や能、茶道などの世界は、それに近いものがあります。

 このカリスにしろ、鍋島氏にしろ、運の比率は同じです。この<運>というもの比率の大きさを、漫画家を例に語ってみましょう。

 今や、日本の漫画界・アニメ界の最大の功労者にして、漫画の父・マンガの神様として、名声をほしいままにしている天才です。令和の少年少女にも名前がとどろきわたっている手塚治虫に関してです。“天才”落語家立川談志をして、「俺にとって、天才は、レオナルドダヴィンチと手塚治虫だけだ!」と言わしめる、日本漫画界の礎を敷いた天才です。

 彼は生前、漫画には愛されていても、アニメには愛されなかった天才とも言えましょう。彼自身、「漫画は本妻、アニメは愛人」と自身の人生を巧みに比喩してもいました。手塚自身も語っていたように、本妻の漫画で稼いだお金を全て虫プロというアニメ会社の愛人に注ぎ込み、会社倒産、自宅売却の憂き目にまで遭います。あの漫画の天才でさえも、昭和40年代は、一家心中するほど、生活はどん底期だったといいます。昭和38年日本初のアニメ『鉄腕アトム』で成功しても、その後のアニメは成功とは行きませんでした。借金のみがふくらみ、とうとう4億もの借金のすえ虫プロは倒産とあいなります。

 こうした倒産のエピソードとしては、映画界の大スターが、映画がテレビに席捲され、いや、放逐され、映画産業が斜陽の時代となるのと反比例して、石原プロ、勝プロ、三船プロと銀幕のスターが会社をぞくぞくと設立して、うまく行かない事例がありました。また。加山雄三(10億円)のホテル経営の失敗、さだまさし(30億円)の映画撮影と興行失敗、矢沢永吉(20億円)のオーストラリアのスタジオ建設の失敗{信頼する右腕の人物に裏切られる}など、彼らが、多大な借金にその後何十年も苦しむ運命をも、手塚のアニメ進出とかぶても見えてきます。<運>が才能・努力を飲み込んでゆく人生と同じものを感じずにはいられません。本業(ミュージシャンとしての“天分”)以外での、脇の甘さでもありましょう。<運という天候>を、予測、予知せず、登山や出港する蛮勇に類するものです。

 手塚の弟子たち、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫といった面々は、漫画を踏み台に、アニメや特撮物で、大成功した世代です。彼らの収入は、漫画の数十倍、数百倍とテレビでは絶大な人気を博します。勿論、そうしたトキワ荘の手塚チルドレンが時代にマッチした<才能や努力>もあったでしょう、しかし、それ以上に、時代というもの、運というもの、それが、師匠の漫画家と弟子たちのマンガ家における、アニメの勝敗を決めたともいえます。彼らより、若干下の世代でもある、ジブリの2大巨匠、宮崎駿と高畑勲の両雄は、本来マンガ家ではありません。最初から、テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』の原画作りをスタートとして、『ルパン三世』などのテレビアニメ業界で、研鑽と鍛錬を積み、映画アニメ『風の中のナウシカ』で知名度・ブランドを確立します。その後、テレビアニメより、映画アニメを主戦場に、現在のジブリブランドを確立しました。これなども、徳間書店のバックアップや、名プロデューサー鈴木敏夫といった存在も、手塚治虫の虫プロと決定的な違いです。宮崎や高畑は、アニメづくりに専念すれがよかった。これも、資金と名経営者という<運>が追い風となっての、今のジブリブランドです。もともと、小説家が、映画やテレビの脚本まで書こうとした“手塚”と、名映画脚本家の橋本忍や名ドラマ脚本家の山田太一が、“宮崎・高畑”でもあったと言えましょうか。

 昭和30年代末までは、手塚治虫の漫画は主役でもあった、王者でもあった。丁度、銀幕のスター石原裕次郎が映画の世界を席捲したように。昭和40年代ともなると、時代は、テレビが台頭してきて、漫画雑誌や映画という存在をわき役へと追い込んでいきました。それと機を同じくするかのように、サイボーグ007や仮面ライダー、オバケのQ太郎やドラえもん、そして、モーレツア太郎や天才バカボンが、茶の間のテレビを主役ともなってゆくのです。因に、劇画といって、特に、スポコン(スポーツ根性)もの、巨人の星、あしたのジョー、柔道一直線、アタックナンバーワン、エースをねらえ!など、手塚治虫の世界とは一線を画するかのように、いや、手塚世界を“左遷させる”かのように、テレビアニメが昭和の少年少女を夢中にしました。こうした風潮に、もっとも嫉妬心を露わにしたのが手塚治虫本人だったといいます。自身の、弟子、後輩、そして、他ジャンルのマンガ家へのライバル心は並々ではなかったといいます。手塚の息子手塚眞氏がこうしたアニメに夢中になっている姿に「どうして、こんものが面白いんだ?」と怒りの表情で問い詰めたといます。恐らく、スポコンものの原作者梶原一騎のような世界は手塚治虫には踏み込めなかった領域であったそうです。彼自身は、ギフティッド、いわゆる、関西の富裕な家庭出身で、それも大阪大学医学部に進むほど超秀才にして、絵の才能も超一品です。そうした<才能2割派>にとっては、努力で、星飛雄馬や岡ひろみが花形満やお蝶婦人を打ち負かす努力の世界、泥臭い<努力2割派>の世界は、平安時代の貴族と武士のようなものでもあったでしょう。
 そうです、昭和40年代は、虫プロ倒産、弟子世代(特に、石ノ森章太郎たち)の台頭への焦り、スポコン劇画への嫉妬、こうした鬱屈した経験が、昭和50年代のブラックジャック{※医師として資質や知識、手塚の思想(芸術観)、絵の巧みさの結晶}を生むのです。しかし、この作品は、少年チャンピオンという、マガジン、サンデー、ジャンプの三大少年誌の後塵を拝する秋田書店からのものですが、ドカベンとがきデカと、このブラックジャックと昭和50年代後半は、講談社、小学館、集英社をもしのぐ少年誌の地位を確立します。しかし、この手塚のブラックジャックは、テレビでアニメ化として爆発的大成功を収めたわけでありません。やはり、手塚は、漫画界の天才なのです。日本初のアニメ鉄腕アトムの大成功のみ、ジャングル大帝レオも、さほど成功したとはいえません。ディズニーにライオンキングとし影響は与えます、その才能はディズニーに勝るとも劣らずではあります。

 手塚が、デズニーアニメを少年時代に観て、“いつかはアニメーションを!”と夢にも抱いたものの、その実現にはいたらなかった経緯{※実質『鉄腕アトム』のみ}、それは、時代でもありましょうか。手塚が抱いていた夢やロマンは、その後の世代で実を結びます。

 武田信玄の上洛途上の突然の死、伊達政宗の10年遅く、遅きに生まれた定め、こうした宿命も、手塚の天才でもいかんともしがたい<運>というものにダブってもくる歴史的事例です。

 手塚は、1950年~60年代まで、自身の才能・天才で、漫画界を牽引してきた。70年~80年代まで、その手塚チルドレンが、漫画界からテレビ業界へアニメとしてテイクオフした。当然、高度経済成長というレールに乗るかのように、テレビというメディアの普及もあり、スポ根ものの劇画が時代を席捲しもする。そして、80年代から今日に至るまで、テレビアニメの原画家からスタートした、宮崎、高畑の2大巨頭が、まさに、自身の天分をアニメと時代にマッチングさせ、今のジブリブランドが実現する。

 もちろん、ロボットもののマジンガーZ(昭和40年代)、機動戦士ガンダム(昭和50年代)、そしてエバンゲリオン(平成)とテレビから映画への人気の着火並びに爆発といった現象も同じであり、SFものの宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999も、テレビから映画への流れでブームを作りました。
 こうした、漫画、テレビアニメ、映画アニメという流れには、天才手塚治虫がどんなに抗っても、どうすることのできない<運の力>、<運命の流れ>といったものがあるのは、人生、会社、こうしたものに該当しているやも知れません。

 前回に引用した、平成の名経営者孫正義にしろ、柳井正にしろ、マクドナルドの‘創業者’、レイ・クロックにダブっても見えてききます。このクロック氏は、マクドナルド兄弟の個人経営のハンバーバー店を、ビッグビジネスとして大成させた偉人でもあります。このマック兄弟が、手塚治虫、そして、宮崎駿が、クロックにダブっても見えてきてしまうのです。
 この両者の違い、努力が1割・2割、才能が2割・1割にしろ、運が7割を達観している、いや、運がイコール時代、気運と本能的に自覚している人間との差でもありましょうか。

 昭和40年代末まで、流通の主役、小売業の雄はデパート(百貨店)でありました。少年雑誌で読む漫画でもあったでしょう。昭和50年代から台頭するスーパー(量販店)という存在が、テレビアニメでもありましょうか。そして、平成からは、コンビニとショッピングモールというものが台頭してきます。ここにも、どんな名経営者、著名な経営コンサルに依頼しても、手塚のアニメのように、百貨店の凋落と量販店の没落は免れぬし、また、紙の媒体の少年ジャンプの部数の杭止めを行うことはできないものです。手塚の天才の限界であり、努力の悲しさでもあり、才能の<運>の面前での弱さでもあります。こうした事例からも、「運が7割、才能が2割、努力が1割」・「運が7割、努力が2割、才能が1割」に共通する、<運>の怖さを一番認識、痛感、経験してもいた人物、即ち、経営の神様松下幸之助の言説が、唯一、高い信憑性を持って、生きた教訓として鳴り響いてもいるのです。(つづく)


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