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柔道家斉藤立に想うこと<パリ五輪随想>

 今回のパリ五輪を観て、毎回のことながら、このスポーツの祭典で実感することなのだが、やはり、卓球の張本兄妹にしろ、女子レスリングの藤浪朱里にしろ、その親の存在がコーチ、監督として絶大な力となっている現実である。親子鷹という事実でもある。親が、準一流選手以下の選手、いや、無名の選手でもあったが、我が子をアスリートとして大成させる、その育成の秘儀は、大谷翔平とその父や花巻東の監督の関係を見れば一目瞭然でもあろう。

 歴代の金メダリストが、我が子も二代にわたり、五輪の頂点を極めさせた事例は、珍しい、いや、皆無でもある。長嶋茂雄・一茂を見れば、その典型でもあろう。親子二代に東大出身、親子孫の三代にわたり医師の家系、こうした勉学と富、そしてある程度の遺伝的な知力が融合する領域は、納得しもする。一方、二世、三世議員が国会の3割もいる国は独裁国家以外では日本くらいであろうか。おまけに、閣僚の6割は、二世以上の世襲議員である。また、祖父と孫が総理になるケース{麻生太郎・安倍晋三・鳩山由紀夫}、親子が総理{福田康夫}になるケースの何と多い日本であることか。恐らく、小泉進次郎にしろ、河野太郎にしろ、将来総理に就く可能性が大なのである。戦前にはこうした親子や祖父孫などで総理になるケースはゼロでもあった。但し、超然とした貴族院なるものが厳然としてあったことが見逃せない。それが、戦後になり、貴族院なるものの一部が、“衆議院=世襲議員”となっているといってもいいだろう。戦後の衆議院や参議院は、江戸時代の“殿様”身分になれ下がった感が否めない。事実、衆議院宿舎など、国家運営の“大名屋敷”に等しい。参勤するその費用すら、現代では、新幹線や飛行機など無料パスとまできている。こうした時代逆行、アスリートの二代、三代にわたる金メダル皆無といった生物学的摂理からして、不自然そのものといってもいい。日本の戦後民主主義が、<議員さんが殿様に居座るデモクラシー>という実体が透けても見えよう。

 まあ、政治とスポーツを同列に比べるのは、ここでやめておこう。では、今般のパリ五輪で最も印象深い、興奮した競技は、柔道団体戦の決勝であったことは、想像に難くない。この決勝で、フランスの国民的英雄で、今回3回目のゴールドメダリストとなったリネートと斉藤立との二度の激闘でもあったことは、意見の一致をみるであろう。
 リネールは35歳、斉藤は22歳、そこには、風貌や佇まい、顔つきなど、様々な要素もあったが、格の違いというものが歴然と二人の対峙の立ち姿から明白でもあった。リネールは、体ではほぼ互角、技では上、心ではさらに上にいた。まるでメンタル面で優った“小次郎”が、未経験の“武蔵”に巌流島で戦うかのような幻覚すら抱いたものである。個人的感想だが、斉藤は、自身の、アスリートいや格闘家としての完成度から言えば、心技体の体は〇、技は△、そして心は×、そうした印象を持ったものである。

 そもそも、斉藤の風貌といったら、相撲取りに柔道着を着せている体形であり、顔も力士の典型の肉付きでもある。お断りしてもおくが、この風貌、「ごっつあんです」と口にする、十両前後のぽっちゃり型の力士でもあり、つとに有名な名力士のそれではない。敢えて主観を、直観を加味して申し上げるが、この斉藤は、次回のロス五輪では、100キロ超級に出場できないのではないか、また、出たとしても、今回同様、一、二回戦で敗退するのではないか、そういった予想を、今回の二度のリネール戦で確信もした。

 この斉藤の父、斉藤仁は、ロス五輪、ソウル五輪で、二度金メダリストになった偉大な柔道家でもあった。以上で申し上げたアスリートの法則やらに則れば、ほぼ不可能に近い難行ともいってことは、この斉藤親子に関しても十分言えることである。但し、例外的に言えるのは、立が、まだ中学生の頃、偉大な父が亡くなったということではある。
 この偉大な父、同時代に、最強のカリスマ山下泰裕が、存在したことである。この山下に終生勝てなかった。ロス五輪では、95キロ超級(無差別級)の枠に山下の強さで出られず、95キロ級で金を、そして、山下が引退した後のソウル五輪で、無差別級(95キロ超級)で金を、それぞれ獲得した。当時、日本選手権という、事実上武道館で日本一を競う闘いで、山下と斉藤の激闘をテレビで観たが、僅差で斉藤は敗れた。この偉大なる山下泰裕という存在がいなければ、斉藤の五輪での連覇はなかったことでもあろう。

 また、今回の五輪で金メダルの連覇に輝いた、阿部一二三も同様である。これは私の感想でもあるのだが、前回東京五輪の代表を決める一戦での、これまで敗北を喫してきた丸山城志郎との30分近い死闘である。これで、阿部が一皮むけた、心というものの大切さに覚醒したと私は観ている。超ライバル、これまで越えられなかった大きな壁を打ち破った瞬間でもある。

 科学者の最高の栄誉ノーベル賞は、親子で受賞したケースは、キュリー夫妻とその子どもくらいで、他に、一組いたかな?くらいである。アスリートの究極の目標は、五輪金メダルである。これも、日本人の親子など、一人だけである。それも体操選手の塚原光男・直也親子である。光男は、団体戦は、当然、鉄棒でも2度金メダリストになっている。その息子は、アテネで団体戦の金メダルにみである。個人による金ではない。どれほど、スポーツ競技の最高峰、五輪において、親子で、個人競技で金メダルを獲得することが至難の技か!あの体操サラブレッドにおいてさえ、これである、あの内村航平の息子が体操で金メダルを取ることなど、夢のまた夢である。大谷翔平にあってはいわずもがなである。

 以上より、何が言いたいかということである。人類の最先端をゆく科学の世界、そして、スーパースターの栄誉を極めたアスリートの世界、こうしたジャンルにおいては、世にいう“帝王学”なるものは、一切効果は発しない。極普通のご家庭の父や母は、むしろ、反帝王学ならぬ、我が道とは違う道を暗に、誘導、推奨した方が、可能性の芽が見えてくるとも言えるのである。ブレイキンダンス、スケートボードなど、その親が著名なるダンサーやボーダーであるなどは勿論、自由気ままに、我が子にそうしたアーバンスポーツをやらせた末路が、メダルということにもなった。これ、勉学や習い事にも該当する。

 親が、昭和、平成生まれの東大卒、そして、祖父母が当然名前を知ってもいる超一流企業(?)に勤めてもいる“成功者”は、我が子を、令和においても同様のレールに乗せようとする。そうすればするほど、我が子の真の幸福度を下げるという“ものごとの真理”と逆行する愚行と心得るべき点はわかっていなようである。アスリートの振り見て我が振り直せぬ、一般サラリーマン家庭に実に多いものである。



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