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甲子園球場から教育が学ぶべきこと

 前回、甲子園球場の魅力について語ってみたが、この甲子園という聖地、これが、聖地たる所以は、まさしく、球場というものの理想形・手本・模範といった姿にあるともいえる。この甲子園のいで立ち{アルプススタンド・バックスクリーン・土のみのダイヤモンド}、その球場の趣、さらに、見えない所で、どれほど、阪神園芸の人々の手が加わっているか!選手たちが、その最高のプレーをする環境が、整っている。最高の、日ごろの練習の延長線上でという<ハレの舞台>でという形で維持されてもいる。それだけではない、そこで働く人々の球場愛、これが尋常ではないという点も見逃せない。阪神ファンは、実は、この甲子園愛とセットになって、タイガース愛を貫いてもいる、特に、関西人は、そうでもあろう。これは、私の主観、思い込みやもしれないが、後楽園球場が東京ドームに変わり、巨人ファンの質、巨人ファンのメンタルも変貌したように思われる。

 よく言われることだが、伝統芸能から老舗の名店にかけての鉄則、「変わらないために変わり続ける」というものがあるが、これを、プロ野球球団で唯一、ホームグラウンドで、球場という形で実践しているのが、阪神電鉄でもあろう。この<時代への対応>を忘れず、<基本の徹底>を忘れない精神、それが伝統というものであろう。この点、甲子園球場のみが、伝統ある球場ともいえるような気がする。事実、そうである。そこが、聖地と言われる最大の所以なのだ。

 戦時下の、“悪”としての憧れ、それも、海軍兵士の乗船したい戦艦、それが、大和であったとすれば、平和時の、“善”として憧れ、それも、野球好きの関西人や元球児が働きたい職場、それが、甲子園でもあろう。あのベーブルースが、来日して、「大きすぎる」と呟たように、この甲子園だけはホームランがでなかった。まるで、米兵が目にした、戦艦大和のたたずまいの如しである。

 このいい意味での<レトロ感>と<アナログ観>が満ち溢れる甲子園という存在が、実は、最先端を突っ走り、デジタルを追い求め、利便性・効率性・快適さを最優先させる現代の学校教育にとって、ある意味、<鑑>とすべき点が多々あるように思われる。

 まず、甲子園の、一切芝生のない、土のみの内野、ダイヤモンドである。そして、天然芝を一年中枯れさせない、青々とした外野である。この二つが、チョークの黒板を使用する教師と、鉛筆とノートを用いる生徒の関係ともいえようか。時代として、電子黒板とタブレット端末を教室で使用する環境は、様々なドーム球場と人工芝とダブって見えてしまう。

 ここで、申し上げておくが、小学生、中学生は、当然、近所の少年野球場公園で練習を、高校生は、自校のグラウンドで練習をする。それは、全く甲子園の内野の土の鍛錬場所と同じである。そして、泥まみれになり、環境のいいとはとても言えないグラウンドで、守備練習や打撃練習を行う。これが、高校球児には、神奈川だと、県大会で有名な保土ヶ谷球場など、そして全国大会ともなると甲子園球場、そうである、土のみの試合場で、自身の技能を最大限発揮するのである。プロ野球とて、昔(今でも多くはそうでもあろう)は、巨人軍選手が多摩川グラウンドで泥まみれになり、甲子園や後楽園で真剣勝負をするという段取りでもあった。ましてや、練習場所は、人工芝など皆無である。故障が多いのも大きな理由である。プロ野球選手から高校球児まで、彼らを育て上げたのは、土のグラウンドと荒れ放題の外野の天然芝でもあった。恐らく、プロアマを問わず野球選手を身体の半分以上、いや、三分の二は、この、甲子園のような“土のグランド”が作り上げたといっても過言ではない。その後、プロの選手は、ドームなどの人工芝だらけ、ほとんど土の露わとなってもいないグランドで技能の磨き、競い合うのある。

 小中高まで、令和となった今でも、恐らく、超進学校に限り、紙のテキストやプリント、そして、紙のノートを用い、黒板を通して、英数国理社を学んでいるはずである。大学生(プロ野球)になって、多くは、ノート型パソコン(ドーム型球場で人工芝)で学ぶのである。環境がガラリと変わる。これは、プロ野球の試合、そして、練習が、人工芝だらけで、土のほとんどないグラウンドでプレーする世界へ移行するのと、瓜二つに思えてならない。
 こうした事例は、人間という生き物が、発育段階で、それだけ、非効率的なるもの、不利便的なるもの、そうした環境でこそ、自身の基幹部分、いわゆる、自身の“体幹”的なるものを育て上げるかという面を問いかけてもいよう。
 名アスリートは、体幹とは、むしろ、それとは、かけ離れたところで、鍛え上げている真実を、教育でも忘れてはいけないと考える。

 名投手稲尾和久は、漁師の父に伝馬船で櫓をこがされて、これがその後のピッチャーとして足腰が鍛えられた元であったと語っている。江川卓は、中学二年までの天竜川での石投げに、その強肩が鍛えられたとも述べている。こうした、櫓をこぐとか、石投げとかは、投手の練習とは、関係がないようである。その後の、高校生にしろ、プロにしろ、野球の世界での練習を努力とも言わせてもらおう。しかし、この未野球人の段階の行為をも含めて精進とも呼ぶ。この精進というルート、ロッテの佐々木朗希には、無縁の世界でもあろう、いや、令和の現役野球人は、みなこうでもあろう。勉学の世界においても、紙の辞書から、電子辞書へ、そして、スマホの辞書機能へと、世の流れは必然でもあろう。こうした時代の流れは、何も辞書だけの話ではない、お分かりの人(賢明なる学校教師や塾講師)はお分かりでもあろう。共通一次試験からセンター試験へ、そして、センター試験から共通テストへ、その内実の変貌ぶりが、野球界の、ドーム化と人工芝化とダブっても見えてもいることであろう。甲子園球場から、教育が学ぶべき教訓は多いのである。
 


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