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"中退"の哲学

 昭和の後半、丁度、共通一次試験が開始された頃からだろうか、<浪人>という言葉が、日陰者のニュアンスが薄れ、また、予備校(駿台・河合塾・代々木ゼミナール)という存在が、市民権を得てきた時代でもある。されど、<中退>という言葉は、依然として、平成の後半になるまで、いや、今でさえもマイナスイメージが付きまとっている。因に、<浪人>は、少子化と文科省の政策{共通テストの導入や省庁の改変の如く意味不明の複合的科目の導入}と学校と大学当局{推薦システムへのすり寄り}の方針で、死語にすらなりつつある。<浪人>とは、今や藝大や医学部のための言葉に限定されつつある。
 
 この、高校であれ、大学であれ、<中退>という行為は、その学校という組織から不適合、不適応、ときに、ドロップアウトといた烙印を押される、否定的意味合いが今でもつきまとう。この令和という時代、リベラル思想の蔓延で、少数派(マイナー派)というものへ寛容的態度が台頭してきた。LGBTQや学習障害・ADHDといった存在に、市民権が付与されてきている現象が典型的でもあろう。因みに、元マイクロソフト日本支社長成毛眞氏の『発達障害は最強の武器である』{※IT業界は発達障害だらけ!?といった趣旨}なる本まである。また、少子化やデジタル化といった環境も後押し、「何も、自身が嫌な学校に無理して通うまでもない」といった気風が世を覆い始めたその典型的現象が、カドカワが運営するN高校の存在でもあろう。また、冒険家三浦雄一郎が名誉校長を務めるクラーク記念国際高等学校なるものもある。事実、弊塾に栄光学園を中退して、このクラークに通学している生徒が今在籍している。
 
 学生にとっての<中退>、それは、社会人にとっての、古い用語だが、<脱サラ>が、一昔前、二昔前の、果敢なる行動に比類できもしよう。この<脱サラ>という用語は、まだ、年功序列・終身雇用という会社理念・方針が生きてもいた、バブル崩壊直後くらいまでの言葉であろうか。それが21世紀に入り小泉構造改革で、非正規社員なる存在が一般化した時点で、<脱サラ>が転職へと方向転換した。サラリーマンが、中流ホワイトカラーとダブってもいた時代である。そうした一億総中流時代の、一般サラリーマン層がメルトダウンするにつれて、<脱サラ>という語は、死語になってしまった感が否めない。昭和のサラリーマンが、江戸中期までの武士身分、そして、平成後半の非正規の会社員が、江戸末期の武士身分、それほど変貌してしまったようなものでもある。
 
 昭和から平成初期まで、学生にとって、<中退>をする行為は勇気が要った。また、社会人も、脱サラ{転職、起業、家業を継ぐなど}をする行動、これが、どれほど、リスキーで、社会通念からすると、“常軌を逸脱する”ように周囲から見なされてもいた。周囲や家族から猛反対されもした時代である。今でも、世の多くの人々は、中高から大学へ、大学から社会(企業や公務員)へと、すんなりとステップアップするのが主流派であり、常識的人生行路とされる。この、学生時代の“中退”と社会人時代の“脱サラ”の両方を経験する種族は、世に多くはあるまい、稀である。なにを隠そう、この私が、この人生行路の、二つの“関門”を経てきたことをフォーマットに、こうした、特に、<中退>というものが、どういう経験となるのか、それを語ってみたい。もしかしたら、<脱サラ>にも言及するやもしれない。
 
 <君子豹変>、これは、もともと、良き意味で用いられていた言葉です、しかし、最近では、「石破茂は、総理になって君子豹変した」のように間違った使い方が流布しているようです。一方、<朝令暮改>、これは、本来は、マイナスのニュアンスの言葉でしたが、ビジネス界で、特に、日本のコンビの生みの親、元セブン&アイ会長鈴木敏文が、生き馬の目を抜くご時世のなかで、むしろ、プラスの意味合いに反転させた言葉でもあります。そうです、言葉というものは、時代により意味合い、使い方が変化するのが必然であるのは、人間や国民、国家がそうであるのと同義であります。人間が文化を生み、文化により人間が規定されもする、影響を受ける。この文化とは、言語であり、言葉でもある。この<中退>というキーワードから、世の人、学生から社会人にいたるまで、何を自らの内面に変化・変革をもたらすのか、自身の半世紀以上の人生を下敷きに総括してみたいと思います。(つづく)

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