カテゴリ
- おすすめの参考書
- 保護者の方へ (10)
- 2020年問題 (3)
- おすすめの教養書
月別 アーカイブ
- 2024年12月 (3)
- 2024年11月 (4)
- 2024年10月 (4)
- 2024年9月 (5)
- 2024年8月 (4)
- 2024年7月 (5)
- 2024年6月 (4)
- 2024年5月 (4)
- 2024年4月 (5)
- 2024年3月 (4)
- 2024年2月 (4)
- 2024年1月 (4)
- 2023年12月 (4)
- 2023年11月 (4)
- 2023年10月 (5)
- 2023年9月 (4)
- 2023年8月 (3)
- 2023年7月 (5)
- 2023年6月 (4)
- 2023年5月 (5)
- 2023年4月 (3)
- 2023年3月 (5)
- 2023年2月 (4)
- 2023年1月 (4)
- 2022年12月 (4)
- 2022年11月 (4)
- 2022年10月 (4)
- 2022年9月 (4)
- 2022年8月 (4)
- 2022年7月 (4)
- 2022年6月 (4)
- 2022年5月 (4)
- 2022年4月 (4)
- 2022年3月 (4)
- 2022年2月 (4)
- 2022年1月 (5)
- 2021年12月 (7)
- 2021年11月 (4)
- 2021年10月 (5)
- 2021年9月 (4)
- 2021年8月 (4)
- 2021年7月 (4)
- 2021年6月 (4)
- 2021年5月 (10)
- 2021年4月 (5)
- 2021年3月 (8)
- 2021年2月 (4)
- 2021年1月 (6)
- 2020年12月 (6)
- 2020年11月 (7)
- 2020年10月 (4)
- 2020年9月 (4)
- 2020年8月 (4)
- 2020年7月 (7)
- 2020年6月 (6)
- 2020年5月 (6)
- 2020年4月 (5)
- 2020年3月 (5)
- 2020年2月 (4)
- 2020年1月 (4)
- 2019年12月 (5)
- 2019年11月 (5)
- 2019年10月 (4)
- 2019年9月 (5)
- 2019年8月 (4)
- 2019年7月 (6)
- 2019年6月 (5)
- 2019年5月 (4)
- 2019年4月 (6)
- 2019年3月 (6)
- 2019年2月 (3)
- 2019年1月 (4)
- 2018年12月 (4)
- 2018年11月 (3)
- 2018年10月 (7)
- 2018年9月 (4)
- 2018年8月 (3)
- 2018年7月 (4)
最近のエントリー
HOME > コラム > 夢の海外移住者は、ネイティブ英語教師!
コラム
夢の海外移住者は、ネイティブ英語教師!
先日(4月24日)、テレビ東京の“未来世紀ジパング”という番組を見ました。特集は、「夢の海外移住あり?なし?」というものでした。ご夫婦で60歳以降、年金などで、東南アジアに“夢のような豪邸”に格安賃貸で住むというものです。人気度第1位はマレーシア、そしてタイ、ハワイ、台湾などが続きます。とりわけ、日本の或るメーカーに勤めていたご夫婦が、6LLDKのプール付きの豪邸に、家賃12万円で住んでいる光景が映し出されていました。こうした部族を夢見る方々は、せいぜい数年後、東南アジアの国々の生活水準が日本レベルにまでなった時には、もう不可能です。また、このご夫妻は、日本の国内事情や色々な事件、様々な社会問題などの情報は、ほとんど耳には入ってこないでしょう。悩みも不便さもほとんどないストレスすらたまらない、ある意味、頭を使わない生活(死ぬまでヴァカンス)のせいで、認知症が日本にいるときより、急激に早くやってくるのではないかと危惧されます(笑)。また、配偶者がもし重篤な病気や死亡などで、帰国せざるを得ない状況に追い込まれたら、移住してから数年後、十年後、帰国後の日本での生活が‘浦島太郎状態’になる危険性すら大であるはずです。
芥川龍之介の或る小説に次のようなあらすじの作品があります。悟りを求めて、修行してもなかなか極楽には行けず、更に修行を積んで、とうとう極楽に行きついた主人公の話しです。極楽に行ってみれば、毎日毎日蓮の池の上で、波風もたたず、日々が朗かに何の苦もなく過ぎていきます。主人公は、幸福という退屈、退屈という幸福に目覚めるのです。そして、その主人公は、極楽に来たことをうれしがるどころか、後悔するというものです。
このテレビ番組で登場していたご夫婦は、彼らご自身の主観の問題でしょうが、こうしたメンタルに陥らないことを願うばかりです。
少々似たような話をします。これもフジテレビのセブンルールという番組でのことです。レギュラー陣のタレントYOUさんやオードリー若林正恭さんなどが登場するものです。そのレギュラーの一人でもある芥川賞作家の本谷有希子さんがコメントしていた言葉が印象的です。「農業のある生活、自然豊かな郊外生活、みな都会の人々は憧れると口にしますけど、私は、むしろ、ごみごみとした便利な東京にいたいわ、というのも、首都圏にいれば、いつでも好きな芝居もすぐ観れるし、映画も手ごろに観れる、ライブだってすぐ行ける…、地方の田舎にいるとこうはいかないでしょう?」
そうです、海外いれば、日本語による芸術や音楽などに身近に接するのは不可能に近い、また、地方の自然豊かなところでは、空気もおいしい、有機農業の自家農園も作れる、しかし、人との交わり、町や都会への交通手段に不便する。教育や文化というものに疎遠になりかねないのです。
俳優のピーター(池端慎之介)も以前は、熱海(40歳)に豪邸(別荘)を構えていましたが、今では、首都圏に近い葉山{※本当は秋谷}(52歳)へ引っ越されたそうです。更に現在(66歳)は両親の自宅をリフォームした高輪の家との2件生活だそうです。恐らく、彼の移住の第一の理由は、私の考えと同じものだと思われます。彼自身は、断捨離的理由を述べていますが、実態は、彼の深層心理は、私の考えと似ているはずです。譬えは、下世話的なコピーでありますが、「遠くの温泉より、近くの高級スパ(サウナ)」といったところでしょうか。
また、「人里離れて、誰もいない山奥で、ひとりで作品を書いても、社会の様々な幸不幸な人々と接していなければ、また、社会の事情を知らなければ、作家になっても無意味である」というような内容の英語の文を以前読んだ覚えがあります。
さらに、2人の詩人と1人の作家の言葉を引用しましょう。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない 宮沢賢治
ひとりで幸福になろうとしても、それは無理よ 寺山修司
この世の最も純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ 三島由紀夫
さて、前置きはこれ位にしておきましょう。今般、拙書『英語教師は<英語>ができなくてもよい!』(静人舎)が上梓されましたが、その根本的主旨は、英語教師は、“如来”教師になってはいけないということです。これは、海外留学組、帰国子女組、ネイティヴ組といった、一種、無意識に英語が操れる部族のことをさしています。英語の悟りを得た部族のことです。これは、誤解を覚悟で敢えて言わせてもらえば、上智の外国語学部英語学科や国立の外語大系出身者にほぼ該当する部族であります。自身が自在な英語の使い手、ほぼ無意識に英語が話せせる“如来”になってしまっている英語教師です。それに対して、<英語>ができない教師とは、ある意味、“菩薩”教師と命名しています。自身が修行段階でもあり、また、衆生としての生徒を救おうと慈悲の心を有している部族です。一般論ながら、この慈悲が“如来”教師には欠ける人間が比較的多いものです。海外移住し、日本社会の様々な問題に、‘極楽とんぼ’的精神状態でいる人々と似たメンタルを有している状況と似て非ではないのです。この“如来”教師と“菩薩”教師は、何も、英語だけにとどまりません。国語や数学にも該当します。東進ハイスクールの現代文の2大講師、林修氏と板野博行氏です。前者は“如来”講師、後者は“菩薩”講師ともいえます。これに関しては別の機会に詳しく語るとします。ですから、本書では、逆説的ながら、英語が‘超おできになられる英語教師’になって生徒の目線・心理がわからない“如来”教師ならば、むしろ、非僧非俗的“菩薩”教師であれと訴えているわけです。親鸞上人の悪人正機説というものを引用して話しを進めてもいます。ご興味を持たれた方は、特に英語教師や学校運営に携わっている方は勿論、中学高校生のお子さんをお持ちのご父兄の方にも、英語教師の立ち位置を知る上でも興味深い1冊であることを付け加えておきます。
芥川龍之介の或る小説に次のようなあらすじの作品があります。悟りを求めて、修行してもなかなか極楽には行けず、更に修行を積んで、とうとう極楽に行きついた主人公の話しです。極楽に行ってみれば、毎日毎日蓮の池の上で、波風もたたず、日々が朗かに何の苦もなく過ぎていきます。主人公は、幸福という退屈、退屈という幸福に目覚めるのです。そして、その主人公は、極楽に来たことをうれしがるどころか、後悔するというものです。
このテレビ番組で登場していたご夫婦は、彼らご自身の主観の問題でしょうが、こうしたメンタルに陥らないことを願うばかりです。
少々似たような話をします。これもフジテレビのセブンルールという番組でのことです。レギュラー陣のタレントYOUさんやオードリー若林正恭さんなどが登場するものです。そのレギュラーの一人でもある芥川賞作家の本谷有希子さんがコメントしていた言葉が印象的です。「農業のある生活、自然豊かな郊外生活、みな都会の人々は憧れると口にしますけど、私は、むしろ、ごみごみとした便利な東京にいたいわ、というのも、首都圏にいれば、いつでも好きな芝居もすぐ観れるし、映画も手ごろに観れる、ライブだってすぐ行ける…、地方の田舎にいるとこうはいかないでしょう?」
そうです、海外いれば、日本語による芸術や音楽などに身近に接するのは不可能に近い、また、地方の自然豊かなところでは、空気もおいしい、有機農業の自家農園も作れる、しかし、人との交わり、町や都会への交通手段に不便する。教育や文化というものに疎遠になりかねないのです。
俳優のピーター(池端慎之介)も以前は、熱海(40歳)に豪邸(別荘)を構えていましたが、今では、首都圏に近い葉山{※本当は秋谷}(52歳)へ引っ越されたそうです。更に現在(66歳)は両親の自宅をリフォームした高輪の家との2件生活だそうです。恐らく、彼の移住の第一の理由は、私の考えと同じものだと思われます。彼自身は、断捨離的理由を述べていますが、実態は、彼の深層心理は、私の考えと似ているはずです。譬えは、下世話的なコピーでありますが、「遠くの温泉より、近くの高級スパ(サウナ)」といったところでしょうか。
また、「人里離れて、誰もいない山奥で、ひとりで作品を書いても、社会の様々な幸不幸な人々と接していなければ、また、社会の事情を知らなければ、作家になっても無意味である」というような内容の英語の文を以前読んだ覚えがあります。
さらに、2人の詩人と1人の作家の言葉を引用しましょう。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない 宮沢賢治
ひとりで幸福になろうとしても、それは無理よ 寺山修司
この世の最も純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ 三島由紀夫
さて、前置きはこれ位にしておきましょう。今般、拙書『英語教師は<英語>ができなくてもよい!』(静人舎)が上梓されましたが、その根本的主旨は、英語教師は、“如来”教師になってはいけないということです。これは、海外留学組、帰国子女組、ネイティヴ組といった、一種、無意識に英語が操れる部族のことをさしています。英語の悟りを得た部族のことです。これは、誤解を覚悟で敢えて言わせてもらえば、上智の外国語学部英語学科や国立の外語大系出身者にほぼ該当する部族であります。自身が自在な英語の使い手、ほぼ無意識に英語が話せせる“如来”になってしまっている英語教師です。それに対して、<英語>ができない教師とは、ある意味、“菩薩”教師と命名しています。自身が修行段階でもあり、また、衆生としての生徒を救おうと慈悲の心を有している部族です。一般論ながら、この慈悲が“如来”教師には欠ける人間が比較的多いものです。海外移住し、日本社会の様々な問題に、‘極楽とんぼ’的精神状態でいる人々と似たメンタルを有している状況と似て非ではないのです。この“如来”教師と“菩薩”教師は、何も、英語だけにとどまりません。国語や数学にも該当します。東進ハイスクールの現代文の2大講師、林修氏と板野博行氏です。前者は“如来”講師、後者は“菩薩”講師ともいえます。これに関しては別の機会に詳しく語るとします。ですから、本書では、逆説的ながら、英語が‘超おできになられる英語教師’になって生徒の目線・心理がわからない“如来”教師ならば、むしろ、非僧非俗的“菩薩”教師であれと訴えているわけです。親鸞上人の悪人正機説というものを引用して話しを進めてもいます。ご興味を持たれた方は、特に英語教師や学校運営に携わっている方は勿論、中学高校生のお子さんをお持ちのご父兄の方にも、英語教師の立ち位置を知る上でも興味深い1冊であることを付け加えておきます。
2019年5月13日 16:48