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⑤質か量か?~空海と最澄を介して~

<空海の曼陀羅は、デカルトの方法序説でもあり、演繹法でもある>

 同時代を生きた天才と秀才という人物比較論という段になれば、現代では、プロ野球選手の長嶋茂雄と王貞治ともなろう。近世の武将では、上杉謙信と武田信玄、また、織田信長と徳川家康ともなろうか?やはり、学びという見地からは、やはり、空海と最澄を比べてみると、その天才と秀才の際立った違いが浮かび上がってもくる。

 日本史上、もし、天才度の偏差値というものがあったら、絶対的に空海を挙げねばならぬであろう。これは、歴史軸という古代から現代までの日本人の天才を比べてのことだけではない、平安初期の空海と同時代を生きた天才とも比肩してもいいうることだ。この空海の天才度は、超絶で、空前絶後、超ド級の天才であることは言うをまたない。

 では、この空海という知の巨人は、天才でありながらも、果たして、独学で、その巨人たりえたかという問いである。これは、音楽家で、モーツアルトやベートーベンなど、幼少期の父親の英才教育(あの佐藤ママこと、佐藤亮子の英才“狂”育を彷彿とさせる!)があって初めて、青年期に才が開花した例と似ていなくもない。

 本名佐伯(さえき)真魚(まお)は幼少期から10代半ばまで、おじの阿(あ)刀(との)大足(おおたり)から儒学などを学んだという。そのおじは、桓武天皇の第三皇子、伊予親王の家庭教師を務めるほどの賢者だった。空海には、おじに、論語・孝教・文章を教授した大知識人がいたということである。その後16才で、当時一つしかなかった官吏養成のエリート校“大学”に入る。これも、このおじがいたからこその学力、いや、コネだっかもしれない。しかし、その後、ある山岳信仰の僧“沙門”から、「虚空蔵求聞持法」という存在、その教えを聞き、その大学を去り、私度僧として修業の7年間には入る。彼の、謎多き期間である。虚空蔵菩薩の真言を百万編唱えれば、一切の経典を暗記することができると記されているこの「虚空蔵求聞持法」を唱えている時、その修業のさなか、室戸岬の洞窟で、明けの明星、金星が火の玉になって、空海の口中に飛び込んでくる。それ以降、読む経典、読む経典すべてが頭の中に入ったともいう。よくテレビ等で見かける、暗記の天才、いや、真の意味でIQが200以上にもなったのやもしれない。この経験で、記憶が、何の苦も無く行える、東大生の中の東大生のような頭脳に変貌したのやもしれない。知の解脱である。知のゾーンに入った、超人になった瞬間でもあろう。

 10代までの、おじからの指導の下、儒教・道教や書を吸収し、その後、7年の修業の末、暗記の超人へと変貌し、その天才的“鋭利なるIQ?”、それベースに、仏教の経典すべてをも吸収して、遣唐使に乗り込み、当時中国でも最先端の密教を学びにゆく。この渡航前の空海は、やはり、明治期医学を学びに、ドイツへ渡った北里柴三郎でもあり、アメリカへと渡った野口英世の如きメンタルでもあったであろうか?彼らは、横浜港で船に乗り込む際、“知の臨界点”に達してもいた秀才から天才へと羽化する直前でもあろう。

 ここまでが、おじの手ほどきをベースにしての、以心伝心、面授面受、対面授業、そして、7年間独学の半生である。ここにおいても、あの空海ですら、孤独の独学の以前には、生の人間を介した教育というものが厳然としてあるという驚くべき真実である。

 しかし、当時真言密教の最高峰、中国唐の青龍寺の第7代恵果から、1年あまりで、真言密教のエッセンスを伝授される。恵果は、弟子が1000人以上もいる中、それを差し置いて、東方の鄙の国からきた空海に密教の秘儀すべてを授ける。秀才レベルの僧であれば、10年はかかるとされる秘儀を短期間で習得してしまう。これは、独学によって研ぎ澄まされた、暗記力以前の、直観的というものがベースにあると思えてならない。この直観力で、密教の本質を、真言(マントラ)の何たるやを、本能的な知、野生の知性でつかみ取り、そこから演繹法で、密教の全体像を征服していったと考えられるのである。彼にとっての帰納法は、その検証・確認に過ぎなかった。彼が月並みな天才(?)、凡庸なる秀才だったら、帰納法から入り、1年や2年では、到底ゼロから最先端の密教など習得できはしなかったであろう。師恵果も、自身の数多き側近の高弟でさえ、そのように思われていた矢先、東の果ての、仏教後進国からの留学僧に、恵果の、これも師の直観力でもあろう、寸時に、空海の本質を見抜いたともいえよう。

 ここでは、帰途の経緯は割愛するが、その後、空海と最澄の関係に言及する。

 身分やその他、空海よりも格上の僧、最澄が、本来ならもっと長く中国にいて、密教を学びたかったコンプレクスを抱いてもいた。自分より年下の空海に密教の灌頂を受ける。これは、独学の範疇ではない、面授面受という、対面形式、教室内の教師と生徒の関係に相当する。同じ空間で、その秘儀を口伝で伝えるものである。仏典のみからは、密教の本質はわからぬという証明でもあろう。一般的には、年齢も下、僧格も下、その空海に、密教を習うなどとは、屈辱以外のなにものでもなかったであろう。しかし、ここがまた常人にはできない、最澄の偉い、すばらしい人格が輝いても見える。

 最澄は、その後、密教関係の書を空海に借りまくるのである。密教を独学で、習得しようと必死の様がうかがえる。本来なら、自身が、身分も年齢も格下の空海のところに出向きたいのは山々なのだが、自身にも、多数の弟子がいる。比叡山を離れぬわけにはいかぬ、そうした思いもあったであろう。弟子の泰範を空海の元へ修業に出す。悲しい哉、その泰範は、空海の弟子になってしまう事態すら招く。そうした最中、最澄は、密教の秘典「理趣経」の借与を空海に申し出る。ここに、空海と最澄との経緯、いや、確執から、実は、教育という行為の一番重要な側面といったものが浮かびあがってもくる。

 空海は、最澄にこの「理趣経」は貸せぬと申し伝えるのである。理由は次の通りである。
 この「理趣経」は、危険な書である。詳しくは、ここでは、述べないが、この「理趣経」のエッセンスは、この経典の文章を読むだけではわからない、身をもって修めなければ、その真髄はわからない、私のもとで修業されよ、と空海は最澄に手紙を書く。しかし、最澄には、立場上、時間も余裕もない。ここで、この平安初期の二大巨人は、疎遠になるのである。このエピソードから、ものごと、とりわけ、教育、いや、学問の教授や伝授といったものは、以心伝心・面授面受を通した、“リアルで”の継承にあり、文章・文献・テキストのみでは、その書物の真髄は、半分もわからぬということでもある。


 よく言外の意味をくみ取るという謂いがある。小学生なら、小説の登場人物の心理を読み取る力であり、大学生以上なら、独特の評論文を読み込めたり、難解な哲学書が理解できる、一種、達人的知のことだ。よく、ノーベル賞の受賞者が、凡人には、単なる実験の失敗に映る現象に、新たな真理を嗅ぎ取る知的嗅覚、直観力ともいっていいものに似ている。これは、骨董などの目利きとされる人物と通底するものでもある。

 恐らく、空海には、最澄という人格的には素晴らしい人間でも、準天才、標準的秀才と目に映ってもいたような気がする。この空海が貸し渋ったという「理趣経」は、やはり、中国の真言密教7代恵果からの直伝の、密教全体を概観する・俯瞰する能力を持たぬ限り、誤解されかねないものでもあった。戦前来日したアインシュタインが、知的ヒーローとして日本国中で出迎えられながらも、当時の帝国大物理学の教授たちでも、「一般相対性理論」を真に理解できていた者など、一人か二人しかいなかったというエピソ―ドを思い起こさせる、空海と最澄の関係ではある。

 極論ながら、この「理趣経」を独学で習得できる人がいるとしたら、丁度、塾も家庭教師も無縁だった少年が、公立小学校を卒業して、公立中学校に進み、独学で、中学数学から数ⅢCまでを16才まで習得するに等しい難行といえる。卑近な例では、塾や予備校否定派の、脳科学者茂木健一郎でもあろうか?断ってもおくが、この高校数学は、東大や京大に理系二次試験の問題が、難なく解けるレベルであり、数学オリンピック金メダルレベルと断ってもおこう、よくテレビ等ででる、高橋洋翔君のように、小学生5年生で数学検定1級を得る天才もいよう。だが、一般的天才とは、人間の声、生身の人間の指導、こうしたものを仰がぬかぎり、その道は究められぬ悲しい?性を有するのは、オリンピックのメダリストやプロ野球の選手で、コーチや監督なしで、大成した人物が一人もいないという事実に似て非なるものだ。余談であるが、教えない塾として有名な武田塾とやら、ほとんどが、私立文系の生徒であることは、ここでも想像するにたやすい。理系で、チート式の参考書のみで、旧7帝大の数学が難なく解ける域に達するは、超絶技巧ならぬ超絶才能といわねばならない。巷の、通常の独学とは、いわば、文系の、初歩の初歩のツールに過ぎないのである。武田塾創業者林尚弘氏の書『受験合格は暗記が10割』の題名がそれを証明してもいる。その合格には、その科目の“真の実力”は担保されてはいない!この真実は、英検X級、それが本当の実力ではないことと同じです。

 空海という人は、自身の経験を経て、天才と秀才の違いを嗅ぎ分けていた。更に、超天才と標準的天才の違いをも峻別できてもいた。だから、最澄に「理趣経」を貸さなかったのだ。

 天才という次元では、エジソンもそうである。小学校を中退して、その後、母親が教育係りともなる。それは、最澄のおじ阿刀大足的存在でもあったろうか。恐らく、空海の十代後半とエジソンの十代後半は、天才の独学的修練により、演繹法のスターとラインともなる、そのモノゴトの対象の核・種を見出す、超人的直観力を習得した少年時代である。ものごとの、何らかの現象から、ある確信を抱く超絶的センスといったものだ。彼らの、その10年未満の格闘期は、暗闇でもあったが、指導者、教師、講師というものは、その暗闇に灯りをともす“灯台”的存在であることを忘れてはいけない。生身の人間の、学びにおける仲介者が必要不可欠である真実は、標準的天才以下でも、理系の世界を見渡せば得心がゆくであろう。ましてや、秀才以下でも、文系の世界では、必須の存在であることは、言わずもがなである。

 余談ではあるが、空海は、直観力と演繹法で、その密教の真髄を究めようとし、大成した。一方、最澄は、帰納法で、その密教の本質を究めよう、いや、知ろうとして、自身の代で、それが叶わなかったというに過ぎぬ。あの、“最澄的“王貞治、彼の一本足打法は、荒川博コーチとの真剣(日本刀)を用いた、畳がすり減るほどの帰納法でしか大成しなかった事実・結晶であることを、私を含め、準秀才以下の凡夫は忘れてはいけない。因に、天才の典型、あの長嶋茂雄ですら、深夜、あるスランプから脱出する打法が閃くと、V9の同僚柴田や土井の寝ている布団の上で、ブ~ン、ブ~ンと唸る素振りを始め、彼らは目を覚ましたという逸話がある。これは、演繹法から帰納法への天才の手法でもある。
 
【補遺】
 空海は、晩年、自身の理想とする学校、綜芸種智院を創設する。階級差に関係なく、授業料無料、衣食も完全給費制の、庶民に開かれた日本初の学校を開設する。この行動に、以上で私が語った、教育を俯瞰できる、知の巨人の人生の姿の行き着く先、その答えが伝わってもこよう。
 儒教で自身の基礎を築き、仏教で自身を完成し、教育という理念に到達した、空海の一生は、蘭学から入り、慶応義塾大学を創設した福沢諭吉、政治から入り、早稲田大学を生んだ大隈重信の人生とも比類できるのである。福澤や大隈だけではない、世の偉人、成功した実業者は、晩年、教育という領域の畑を、いや、教育という“農業”を始めるものが少なくないのである。
 私が敬愛もする、仏文学者で、エッセイストの玉村豊男は、いまや、農業で大成功している。
 人生は、二毛作、三毛作が、成功者の証でもある!?
 
 



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